ぼくときみが見た未来
「遅いぞ、君。十分も遅刻だ」
「はぁ、はぁ……ご、ごめん。ちょっと、授業が長引いてさ……」
「ふぅん。授業が長引いたところで、教室から図書館までの道のりを考えたら大してかからないと思うが……まぁいいだろう。ずいぶん急いで来てくれたようだし、今回は許してやる」
「ありがとう……はぁああ、疲れたぁ……」
「それじゃさっそく勉強を教えてくれ」
「……もうちょっとだけ待ってくれる?」
「ふむ……しょうがないな、まったく。君、少々運動不足なんじゃないか?」
「つい数日前まで引きこもりしてたきみに言われたくはないわ」
「言ったな? こう見えても体力には自信があるんだぞ、私は」
「……きみが言うと本当にありそうで怖い」
「ま、それはいいとして。ついさっきわからない問題に当たってしまったんだ。解説を頼みたい」
「はいはいおっけー。どの問題?」
「数学だな。このページの問二の計算過程がよくわからない」
「うし、どれどれ……えっちょっと待って、ぼくのクラス、まだここまで授業進んでないんだけど……」
「ああ、それは私もだぞ。今は予習でやっているんだ」
「予習……にしては進みすぎじゃないこれ!? 三十ページくらい差あるよ!?」
「それがなんだ? 予習というのはそれくらいやるものだろう」
「いや違うと思う……せいぜい数ページ先くらいだよ」
「ふむ、そんなものか……まあいい、君がわからないのならしょうがあるまい。ここは今度また考えてみることにしよう」
「……はぁ。なんていうか、すごい情けない気分になったよ」
「別に君が落ち込む必要はないだろう?」
「いやぁ……きみがやっと学校に行くっていうから、なんか役に立ちたいなと思って自分から提案したのに、ここまで見事に空振りしちゃうとね……」
「なんだ、そんなことか……それなら心配はないぞ。私はもっと知りたいことがたくさんある。この学校のこともまだあまりわかっていないしな。だから、君が教えてくれれば嬉しい。それでいい」
「はは。優しいね、まったく……ん、そういえばきみ、昼ごはんは食べた?」
「いや、まだだ」
「そっか。じゃあ勉強は早めに切り上げて、学食行かない? ぼくもまだ食べてないからさ」
「おお、いいぞ。ちょっとだけ待ってくれ、出る準備をする」
「はいはい」
「……今日の日替わり定食は?」
「から揚げ定食」
「じゅる」
「よだれ拭け」
「こんな暑い日にはアイスを食べるに限るな」
「そーだねー。あー幸せだわー……」
「ん、君のアイスは何味だ?」
「んーと、ブルーベリーとチョコ? だったかな」
「ほう、なかなか見ない組み合わせだな! 一口食べてもいいか?」
「いいよ。ついでにそっちのも一口ちょうだい」
「…………」
「なにさその嫌そうな目は……」
「……ま、まあよかろう。ちなみに私のアイスはオレンジミントだ。味わって食べるといい」
「おっけ。じゃあ、いただきます……はむ」
「…………」
「……うん、結構いけるねこれ! んーおいしいなぁ、今度買うときはこれにしようかな……あれ? どうしたの?」
「……ん? 何が?」
「いや、ぼくのアイス持ったまま止まってるから変だなと」
「あー。いや、大したことじゃないんだ。本当に、大したことではないんだが……」
「……?」
「私が、これに口をつけて食べたら……それはその、つまり……か、かん……」
「……かん?」
「……間接技?」
「当たらずといえども遠からず!! いやごめんやっぱだいぶ遠いわ!!」
「その口ぶりからすると、私の言いたかったことは無事に伝わっているようだな……?」
「うっ……ま、まぁね……?」
「そして君は、それを承知の上で、私のアイスを食べたということだな……?」
「……う、うん……そうです、はい……」
「ふふ。ならば私も、それを承知の上で、君のアイスをいただくことにしよう」
「……わかってて食べると、すごい緊張するよね?」
「……今がまさにそれだ」
「…………」
「よし、では行くぞ……はむ」
「……おお……」
「……ふーむ。これはなかなか……」
「…………」
「……君の味がする」
「……うん」
「感想は以上だ」
「アイスの味は!?」
「よーし。それじゃそろそろ帰ろうか」
「ん、もう授業はないのか?」
「うん。あんまりたくさんは入れてないからね。きみと同じで」
「あまり授業が少なすぎると、単位の問題で危ういことになりそうだな。もっとも私は結果オーライになりそうだが」
「フルに入れてたら絶対追いつけなかっただろうね……いや、きみのことだからそれでも十分こなしかねないけど」
「はは、それはないさ。さて帰ろう。今日はずいぶん疲れた」
「そーだねぇ……。んー、でも、楽しいな。すごく楽しい」
「ほう、何がだ?」
「はは、だってさ……きみと二人で学校に通うなんて、少し前まで想像もしてなかったのになー、って。本当は、きみが生きてくれてるだけでよかったのに、ここまで来ちゃうとなんかもう、幸せを通り越して有頂天っていうのかな……とにかく、すごくいい気分なんだよね」
「……なかなか照れることを言うじゃないか」
「そりゃあ、そんだけきみのこと好きって感じなんで……」
「よくもまあ、そんな恥ずかしい台詞を堂々と吐けるな?」
「言う相手がきみだからですー、本当は恥ずかしすぎて死にそうなんですー」
「そうだろうそうだろう。実は私も大変恥ずかしい。顔が赤くなってるのがわかるぞ」
「ぼ、ぼくの方が赤くなってるね。まちがいない」
「何の張り合いだ……まあ残念ながら事実は私に味方しているがな。この熱量からしてどう考えても私の顔の赤みの方が勝利している。ミス茹でダコと呼んでもらっても差し支えないぞ」
「そ、そんなことないし! 絶対ぼくのが勝ってるし! 鏡見たらすぐにわかるよ、きみのはせいぜいみかんレベルだけどぼくとかもうトマトみたいな感じになってるはずだからね! 栄養にもいいからね!!」
「……もはや何を競っているのかわからんな」
「……うん、それはうすうす気づいてた」
「さー早く帰ろう帰ろう。部屋に戻ってエアコンの涼しさに身を任せよう。ちなみに今日の晩御飯は何だ?」
「煮物」
「…………」
「今月は生活費きついから……ごめん……」
「……今までずっと黙っていたが、私は君の作る煮物が大好物なんだ」
「悲しげな微笑は心をえぐりにくるからやめてください」
「……まだ起きてるか?」
「うん? 起きてるよ。どうかした?」
「実はな、聞いてほしいことがあるんだ」
「聞いてほしいこと……って、何?」
「私の将来の話なんだが」
「……し、将来……」
「何をそんなにうろたえている」
「きみの口から、まさかそんな単語が飛び出すとは思ってなくて……」
「……一理ある。だがまあ飛び出してしまったものは仕方がない。ということで話を続けるぞ」
「う、うん」
「私はもともと、なりたい職業というのが無かった。ずっと昔からそうだ。将来の夢を書いて教室の壁に貼るとか、進路希望調査表を書くとか、そういうのがあるたびにどうも迷っていてな……結局進学を選んで今に至るが、まだ明確な自分の将来を考えたことがなかったんだ――ほんの、数日前までは」
「うん……それで?」
「……私は、いつ死んでもいいと思っていた。後悔なんてないと考えていた。やり残したことはたくさんあるけれど、出来ないと思い込んで、無理やり諦めていたんだ。だが、やはりそれでは空しい……君のおかげでそれに気づけた。私が目指していたのは――自ら死を選ぶことは、決して正しい道じゃなかったんだと理解できた」
「……うん」
「それで、それでな……ようやく私にも、夢ができたんだ。将来を、未来の自分を信じて、希望を託すことができたんだよ。だから、とても幸せだ。今までにないほど幸せなんだ。こんなにも幸福になったことはただの一度もないんだ……全部、君のおかげだよ。君がここまで連れてきてくれたから……どれだけ感謝しても、感謝しきれない……だから、ありがとう……ほん、とうに、ありがとう……」
「……そっか。どういたしまして」
「うん……」
「…………」
「…………」
「……もしよかったらさ。その夢、教えてくれないかな?」
「それは嫌だ」
「即答した!?」
「は、恥ずかしいからだ! 面と向かって言うのは……叶ったら言うから。だからそれまで待て」
「えぇええ……ま、まあ、いっか! うん! 今が良ければ! ね!」
「そうだ! 今が良ければいい! 何も心配することはない! ……そう、何も心配しなくていいんだ。私はもう、独りじゃないのだから」
「…………」
「すまなかったな、こんな時間に。それではおやすみ。また明日」
「……うん。おやすみ。また明日ね」
「ああ……。…………」
「…………」
「…………」
「……夢、か」
「…………」
「……夢じゃ、ありませんように。この幸せが、夢じゃありませんように……」
「……すぴー……」
「……かわいい寝顔しちゃってさ。はは、まーいっか。よーし! 寝るぞ! おやすみ世界! また明日! ぼくが目を覚ます時まで! ばいばい! あでぃおす! それじゃ! はいっ、おやすみっ!!」