真昼/溺死
「戦いはこれからだぞ、君」
「いきなり何を言い出してんの?」
「つまり油断するなと言っているんだ。プールという場所は往々にして危険な場所なんだぞ。刹那の誤った判断が永遠の眠りをもたらすことが十分にありうる。私たちが立っているのは市民のふれあいのための憩いの場などではない、戦場だ」
「きみがどう曲解しようとここは市民のふれあいのための憩いの場だっつーの」
「はぁ。君の考えはなんともぬるいな」
「温水プールだけにね……ていうかさ、危険な場所っていうのは、死にたがりのきみにとってはむしろ好都合なんじゃないの?」
「プールでの事故は大方想定外に起こるものだ。そして私は想定外というものが嫌いだ。ちなみに君に殺される可能性は想定内だぞ」
「さいですか……」
「それよりだ。人の水着姿を見た時には、何かするべきことがあるんじゃないのか?」
「え、するべきこと……? ああ、つまり感想を言」
「水着の強度と素材の種類を把握して絞殺用の凶器として利用できるかどうか分析するだろ?」
「プロの殺人犯か!」
「私がなりたいのは殺人犯じゃなくて被害者だといつも言ってるだろうが!」
「意味わかんないキレ方しないでよ……」
「まあいいだろう。とりあえず早くプールの中に入ろうじゃないか。実はずっと楽しみにしていたんだ」
「なんだかんだでエンターテイメントを享受する喜びは持ってるのね」
「それはもちろん。水泳自体ははっきり言って嫌いだがな」
「泳げないの?」
「いや、水が私を泳がせてくれない」
「新手の言い訳だな! 素直に泳げないって言いなよ!」
「ふん。私はいつだって素直で正直者だ」
「無い胸をはってもあんまり意味は」
「てい」
「あいったぁいプールサイドでは暴れないでください」
「やかましい! 君がさりげなく傷つくことを言うからだ! これでも割と気にしてるんだぞ!」
「心配しなくても大丈夫だって。それくらいの大きさが好きって人もいるから、たぶん、きっと」
「むぅうううううううう」
「わっちょちょちょちょあっははははちょっとやめ、ちょ、ぼくの胸を揉むのはやめて! やめろ!!」
「私が今何を考えてるのか言ってやろうか」
「うん」
「このまま事故にみせかけて君の手を引っぱり、バランスを崩したところで首をつかんで水中に全力で沈めて溺れさせてやろうと考えている」
「とうとう殺人願望が目覚めはじめたか……」
「いやいや、そういうわけじゃないぞ。君に死ぬことの素晴らしさを教えてやるには、実際に体験してもらうのが一番なのではないだろうかという心理に基づいた理論だ」
「推測レベルの理論で殺されそうになるぼくって何?」
「まあ実際、君には一度くらい死ぬということを経験してほしいとは思っているぞ」
「いや経験したらそれで最期じゃん。ダメじゃん」
「臨死体験ならいいだろう。一度心臓が止まってから数時間に再び動き出して、『私は死後の世界を見てきました……』なんて言っている先人たちは結構いるぞ。だから大丈夫だ」
「いったいどのへんに大丈夫な要素があるんだよ……下手したら死ぬでしょうが」
「下手しなければいい」
「下手ってのはしようと思ってするもんでもなければしないでおこうと思ってしないもんでもないわ」
「ようは個人の意思でどうこうできるようなものではないということだろう。それくらい知っている」
「知っててそれなら苦労ないね……」
「ところで、だ」
「うん?」
「こうして手を引かれながら、バタ足の練習をするというのは……なんというか、あれだな。恥ずかしいな」
「え、そう? 周りでも結構、初心者っぽい子たちが同じようなことしてるけど」
「あっちは子供だからまだいいだろう。しかし彼らと比べて私はそれなりに成熟している方だ……だから羞恥の度合いは十分に高い」
「まあ、言われてみればたしかに……かといって家のお風呂でやるわけにもいかないしなぁ」
「そもそもだな、私は水泳をできるようになりたいなどと言ったわけでは……」
「ぼくと一緒に泳ぎたい、なんて言ったのはどこの誰だったかなー?」
「い、一緒に泳ぐ方法が一つとは限らないだろう! 私が泳がないで済むやり方が一つくらいあるはずだ!」
「どんな方法さそれ?」
「そうだな……私が君の背中に乗るとか」
「沈むわ」
「私が重いと言いたいのか……」
「言ってないから! 仮に十キロ程度の重りを乗せたとしてもたぶん同じ結果になるわ!」
「じゃあ私は軽いのか?」
「統計的に見たら若干重い方じゃない?」
「てい」
「うわっぷごぼっ!! ……えっほっ、えっほ!! み、みず、水が鼻からはいった……」
「ちっ、惜しかった。もう少しで首をつかめるところだったのに」
「公共の場で、げほ、殺人未遂を、平気で行うとか、けほ、ひどくない?」
「助かってよかったな、とだけ言っておこう」
「なんて白々しい現行犯だ……」
「元はと言えば君が悪い。胸がないとか、重いとか……少しはデリカシーというものを身につけたまえ! 私だって、れっきとした一人の女なんだぞ……」
「あ、ごめん……。なんかきみといるとその当たり前の事実を忘れちゃう……」
「……それはやはり、私に女性としての魅力が皆無だということなのか?」
「いやいやいやいやそれはない」
「な、なんだその否定の仕方は!? いろんな意味で怪しいぞ!」
「はぁ……きみはもうちょっと自分のステータス的なものを自覚して……まあいいや。とりあえずそろそろプールから出ない? お腹も減ってきたし」
「ん、そうだな。それじゃあ私をこの体勢のままプールの端まで連れて行ってくれ」
「えー? 普通に歩けばいいんじゃ……」
「……むぅ」
「……はいはいわかりましたよもう! かわいいなちくしょう! よし、じゃあ行くよー。すいー」
「すいー」