2:和弥の困惑
アイツの頭の中には、ウッドチップがギッシリ詰まってるに違いない。
でなきゃ、こうも毎日毎日各務さんに付きまとうことできるわけないだろ。
さすがに自分の仕事を放り出すようなマネはしていないが、空き時間になればいつの間にかチャッカリ張り付いていやがる。各務さんが馬に乗ってりゃそばから黄色い声援上げてるし、トレーニング中もあの人の横でずーっと一人くっちゃべってる始末だ。あの調子じゃ、メシはおろかトイレにまでついていってるんじゃねーか?
完全に無視されて、見下されてるんだぞ。それをものともせず、各務さんに突進していける神経はやっぱマトモじゃない。いい加減、周りも居たたまれない空気に困ってんだろ。
こうなったら、トコトン嫌われちまえばいいんだ。アイツのバカ頭でも理解できるくらいに。そうすりゃアイツもあきらめるだろ。
……いや、あきらめるかな? アイツのあきらめの悪さは学校時代にイヤってほど思い知らされたからな。
もっと心配なことがある。
毎年何人か辞めていく騎手の中でも『各務さんに潰された』と噂される者は少なくない。
元々ラフプレーの多い人だ。審議対象になることなんて屁とも思ってないだろう。その結果降着になろうが騎乗停止になろうが、平然としてるぐらいだからな。
そんな人に目をつけられて、レース中に審議覚悟で進路妨害されちゃたまんねーよ。
相手は天下のリーディングジョッキー。その騎乗技術には定評があり、馬主からも調教師からも絶大な信頼を寄せられている。そんな人に『斜行はわざとじゃない』とシラを切り通されたら、それ以上は何も言えんだろ。下手すりゃ『マズイ騎乗をした自分はどうなんだ?』ということになって、鞍上から下ろされちまう。
そんなことが続けば次第に相手は萎縮し、思い切った騎乗ができなくなる。成績は低迷し、引退に追い込まれるって寸法だ。
レース中の駆け引きの一種と言ってしまえばそれまでだけどな。こんなこと各務さんに限った話じゃないし、騎手はこの仕事に命かけてるんだ、少々強引な騎乗をしてでも勝ちたいという気持ちが働くのは当然のことだろう。それで潰されるなら、そこまでの騎手だったってことさ。
でも、もし萌黄が同じように目の敵にされたとしたら──もう遅いかもしれない。嫌がらせとしか思えないストーカーぶりだもんな。
けど、萌黄は絶対に辞めさせやしない。
萌黄に引導を渡すのは、アンタの役目じゃないんだよ。
恐れていたことは、数日後、現実のものになった。
日曜日、東京の第五レース。三歳未勝利、芝の一六〇〇メートル。
スタートゲートの中で、萌黄と各務さんは並んでいた。
『明日の五レース、早く来ないかなー。各務さんと初めて一緒に乗れるメモリアルレースだよ。しかも隣同士。ワンツー決めなくちゃねー』
オレも同じレースに乗るんだけど……聞いちゃいねーな。
『バーカ、誰がお前に簡単に勝たせるかってーの。一番人気はオレの馬なんだよ』
ウキウキ気分でムチ磨いてる萌黄は、やっぱり聞いてない。その浮かれっぷりが心配になるんだっつーの!
『……お前、気をつけろよ』
『気をつけるって……何を?』
『各務さん、何か仕掛けてくるかもしれない』
『えー? 私にアタックしてくるってこと?』
『ちがーう! どうしてお前の頭はそんなにオメデタイんだよっ! そうじゃなくて、何か危ないことしてくるんじゃないかってことだ』
『各務さんはそんなことしないよー』
恋は盲目とはよく言ったものだ。散々各務さんのレースビデオ見てるくせに、際どいプレーの一つも見抜けないのかよ。
『……もーお前には何にも言わねぇ』
不利でも何でも受けりゃいいんだ。後で泣きごと言っても知らねーぞ。
そんな昨日のやり取りを思い出しながら、オレは外枠から萌黄と各務さんを見つめていた。
あのバカ、浮かれて地に足が着いてねーじゃねぇか。ゴーグルで目元が見えなくても、口元がだらしなく緩んでる。ヘラヘラしやがって。
各務さんは萌黄なんかいないかのようにただまっすぐ前を見つめている。
オレは昨日も各務さんと同じレースに乗ったけど、同じコースに立ったときのその存在感はやっぱりすごいと思った。
他を寄せ付けない威圧感。そこにいるだけで、周りに重苦しいプレッシャーを与える。もっとも、萌黄はそんなことまったく感じてないようだけど。
最外枠の馬が入り、一呼吸の後、ゲートが一斉に開いた。
オレの馬はもちろん、萌黄も各務さんもつまずくことなくスムーズにスタートできたようだ。オレは集団の後ろにつけて、前の様子を伺いながら走ることにした。
萌黄と各務さんの馬は両方とも先行馬。前で競馬をするタイプだ。二人を含めた四頭ほどが先頭集団を作り、一丸となって直線を抜け三コーナーに差し掛かる。
ちょっと流れが速いか……けど、調教師からは『三コーナーまでは動くな』と言われてる。手綱をきつく握り締めて、ここはじっと我慢の時だ。
三コーナーを過ぎ、四コーナーにかかる。
各務さんにとって、ここは今でも特別な場所なんだろうか……
勝利に対する並々ならぬ執念を醸し出すその背中からは、そんなセンチメンタルな感情は微塵も感じられない。
そうだろうな。感じるわけねーよな。
事故に対する謝罪を一言も口にすることはなく、由佳ねーちゃんの墓参りすら未だにしていないと聞く。
自分の恋人を殺しておきながら、そのふてぶてしい態度は何だ? 自分を何様だと思ってんだよ!
オレは手綱を握る手をわずかに緩めた。馬に対するゴーサインだ。
四コーナーの入り口。先頭集団はバラつきはじめ、萌黄と各務さんは先頭で並んでコーナーに突っ込んでいった。オレも他馬をかき分け、追いかけた。
各務さんが内側で、萌黄が外側半馬身ほど遅れてピッタリとついて行く。萌黄の馬もよくやるなぁ。また大穴開けるつもりか?
けど馬の底力はこっちのほうが上だ。悪いけど、今日は勝たせてもらうぞ!
前二頭をかわそうと馬を外側に持ち出そうとした、そのときだった。
各務さんがムチを手にしたのが見えた。一発入れて、ここから逃げ切ろうってのか?
が、しなるムチは馬の尻ではなく、後ろにいた萌黄の頬を打っていた。
高速で走る馬の上で、萌黄の身体が大きく仰け反る。
危ない! 落馬する!
「萌黄!」
その言葉に呼応するかのように、萌黄は身体を前に振り戻し、体勢を立て直した。
息つくヒマなんてない。各務さんはその隙にさらに加速して、後続との差を広げている。
「おいっ、萌黄! 大丈夫か!」
後ろから声をかけるが、萌黄は振り返らない。それどころか自分のムチを取り出して、馬を追い出す。それでオレは気づいた。
まだレース中なんだ──一瞬の迷いが、レースの勝敗を決するというのに……
気がつけばコーナーを抜けて直線、残り六〇〇を切った。
逃げる各務さんを追いかけて、萌黄の馬も加速する。オレも続こうとムチを振るったが、タイミングを逃した馬は伸びを欠き、思うように加速しない。
──終わってみれば、各務さんが一着、萌黄が三着、一番人気だったオレは八着に沈んだ。
電光掲示板を見上げると、審議の青ランプが灯っている。
当然だろ。あんなヒドイことやっといて、ただで済むわけがない。
馬を下り、後検量室に戻ると、萌黄と各務さんは既に裁決室に入っていた。レース中に問題が発生したとき、問題の当事者がこの中で裁決委員に事情聴取される。被害者と加害者がそれぞれの言い分を主張するんだ。
萌黄が何を言うかはともかく、各務さんは「ムチが当たったのは故意ではない」と弁明するだろう。あの人のやりそうなことだ。確かに道中後ろを振り返るようなこともしてないし、後ろに誰がいるかなんてわからないと言ったらそれまでだ。
だけど、オレの目はごまかせないぞ。
各務さんは絶対に萌黄を狙っていた。各務さんは萌黄が斜め後ろにいることがわかっていたんだ!
だからこそ、馬にムチを振るうフリをして萌黄をブン殴ったんだ。そんな器用なことができるのは、トップジョッキーであるアンタだけだよ。
審議が終わるまで着順は確定しない。裁決の内容によっては、降着ということもありうる。加害馬の着順を被害馬より下に繰り下げるんだ。馬券を買ってる人にとっちゃいい迷惑だけどな。
今回も各務さんは降着になるだろう。もしかしたら、騎乗停止処分も下されるかもしれない。が──
裁決室から出てきた二人は、両方とも笑っていた。
萌黄はいつもの絵に描いたような満面の笑み。
各務さんは勝ち誇ったような、気味悪い薄ら笑いを浮かべて、そのままどこかへ消えていった。
「萌黄、どうなったんだ?」
萌黄の左頬は真っ赤に腫れ上がり、あまりに痛々しくて無残だ。
仮にも嫁入り前の女の子だぞ! ムチで殴るなんて何考えてんだよ!
「着順は変わらないよー。っていうか、なんで私、裁決室に呼ばれたんだろ?」
ハァ?
「なんでって……お前、各務さんに殴られたじゃねーかよ」
「殴られた? 違うよー。あれはムチがたまたま当たっただけだよー」
も、もしや……
「お前……裁決委員に何にも言わなかったのか?」
「うん、そうだよ。だって、各務さんが『わざとじゃない。追い出そうとしたらたまたま当たってしまった』って言うから。大体さー、各務さんがわざと私を叩くようなマネするわけないじゃない。それをさ、いちいち取り上げて審議にするなんて、各務さんがかわいそうだよー」
オレは目が点になった。
「各務さんが身をもって競馬の厳しさを教えてくれたんだよ。これがまさに『愛のムチ』ってやつだねー」
プチッ!
オレはとっさに萌黄の襟首を掴んでいた。
「どうしてお前はそんなにバカなんだっ! 頭ン中に詰まってるオガクズ全部出せ!」
頭を前後左右に激しく揺さぶっても、当然ながらオガクズは出てこない。
「耳ン中で詰まってんのか? だからお前は他人の話が耳に入らねーのかっ!」
先輩騎手が苦笑い気味にオレを止めに来て、萌黄はようやく解放されたが、オレの怒りは一向に収まらなかった。
「お前が文句言わないんだったら、オレが言ってくるぞ!」
着順はゴールに到達した順で既に確定してしまった。今更ゴネたって何も変わらないことはわかってる。
けど、せめて、萌黄を殴ってしまったことをちゃんと謝ってほしい。
各務さんに突撃しようとしたオレの肩を、萌黄が掴んで引き止めた。
「カズくん、各務さんイジメちゃダメー」
「お前のために言ってやるんだよ! 放せよ!」
そんなこと言ったくらいで放すようなヤツじゃないんだな、これが……
女のくせにバカ力しやがって……前に進むことも手を振り解くこともできやしない。
「ダメったらダメー」
「放せったら放せって!」
「なーに二人で漫才やってんだぁ?」
気がつくと、前にシゲさんが立っていた。
「シゲさんもコイツに何とか言ってやってくださいよ! このまま黙って泣き寝入りしろって言うんですか?」
「オメェなあ、当人同士が納得してること、今更引っかき回してどうしようってんだよ。やーめとけ」
「でもっ!」
それ以上の反論を封じるように、シゲさんはオレの胸倉を乱暴に掴んだ。
「テメェの下手な騎乗を棚に上げて何言ってやがる。他人のことより自分の心配しろ。さっきみたいなフヌケた乗り方してっと、いくら親の七光りったっていい馬回してもらえんくなるぞ」
言葉に詰まった。
そうだ……オレの馬は八着。殴られて不利を受けた萌黄でさえ三着に入る健闘を見せてるのに、オレは掲示板にも載れなかった。
オレの中で急に悔しさがこみ上げてきたのがわかったのか、シゲさんは胸倉を掴んでいた手をパッと放してくれた。
シゲさんは後ろにいた萌黄に目をやると、労りの言葉でもねぎらいの言葉でもなく、厳しい叱責の言葉を投げつけた。
「萌黄、オメェもだぞ。アレぐらいのことで怯んでどうする。逆に怒鳴りつけて抜き返すぐらいの根性見せろや」
いくらなんでも、それは言いすぎじゃ……
「はーい。じゃあ、次からは各務さんに抱きついちゃうくらいのつもりでがんばりマース」
殴られた勢いで、バカに拍車がかかったようだな。
同情するだけムダな気がしてきた……毎度のことなんだけどな、オレも学習能力ないのかな?
と、そこへ各務さんが戻ってくるのが見えた。
文句言いたい気持ちはまだ残ってたけど、ここはグッとガマンすることにして、ムカつく気持ちを抑えようと顔を背けた。
が、萌黄のバカはニコニコしやがって、各務さんの顔をうっとり見つめてる。そんなことしてたらまた……
あーあ……各務さんの怖い顔がこっちに来ちゃったじゃねーか……
各務さんが口を開くよりも早く、萌黄は笑顔で頭を下げた。
「各務さん、ありがとうございましたぁ」
これにはさすがに各務さんも面食らったようだ。萌黄をブッ潰すつもりでやったのに、文句を言われるどころか、礼を言われるなんて初めてのことだろう。
各務さんは不敵に笑うと、萌黄に言い放った。
「……ふざけた気持ちでやってるなら、今すぐ騎手を辞めるんだな。事故起こしてケガする前に実家に帰ったほうが身のためだ」
──それは萌黄に対して、絶対に言ってはいけない一言。
「萌黄に向かってなんてこと言うんだよっ!」
オレはとっさに怒鳴っていた。
たとえシゲさんに殴られても、萌黄に対してそんなセリフを吐くことは絶対に、絶対に許せない。
「アンタは何も知らないからそんなことが言えるんだ……萌黄は……萌黄はなぁ!」
今にも食って掛かりそうなオレの気迫に気圧されたのか、各務さんは驚いたように目を見張っている。
この人は……萌黄のこと、本当に何も知らないんだな。そんなヤツに、萌黄のことどうこう言う資格なんてない!
が、萌黄はいきり立つオレを片手で制しながら、微笑んで首を横に振った。「何も言うな」ってことか? お前は本当にそれでいいのか?
萌黄は各務さんを見つめて、静かに言った。
「お気遣いありがとうございます。でも心配しなくても、私は死にませんよ」
今度は各務さんの顔色が変わる番だった。
何気ない一言のように聞こえて、心に深く刺さる強烈な一言。萌黄なりの逆襲なんだろうか?
萌黄は時々、胸をえぐってくるような鮮烈な言葉を発することがある。
深い意味があるのか、もしかしたら単に思いつきで言ってるのかもしれないけど、相手の心臓をわしづかみにすることだけは確かだ。
複雑な表情を浮かべて、各務さんは逃げるように背を向けた。去り際、シゲさんの前でわずかに足を止めたが、互いの目を合わせることはなかった。
うつむいたままだったシゲさんの態度が、オレはすごく気になった。
この日、オレはまた萌黄と一緒にシゲさんの車で帰ることになった。
ホントのことを言うと、オレは九レースが終わってすぐに一人で帰ろうと思ってたんだけど、萌黄にムリヤリ力づくで引き止められてしまったんだ。
「一緒にNHKマイル見てから帰ろうよー」
「やだよ。オレは早く帰りたいんだよ!」
そう言って萌黄に背を向けると、後ろから細く長い腕がオレの身体に巻きついてきた。
「お、おい……何すんだよ……」
背中があったかい……
オレは思わずあたりをキョロキョロと見回してしまった。幸い、誰も見てないようだけど……
「な、何だよ、急に……」
後ろからきつく抱きしめられて、それが萌黄のイタズラだとはわかっていても、この腕を振り解くことができない。
「うんしょ」
急にオレの両足が浮いた。萌黄がオレの身体を抱え上げたんだ。オレよりも身体小さいくせに……このバカ力め!
有無を言わさず、オレはレースが見える場所まで強引に連れて行かれた。
心臓をバクバクさせてあれこれ想像してたオレの繊細な心なんて、お前にはわかんないんだろうな……あーチクショー!
本当に見たくなかったんだ。
GIという大舞台で、圧倒的一番人気という重圧を背負いながらこともなげに圧勝する各務さんの姿を。
同じ騎手という立場に立った今、あの人のスゴさを目の前でまざまざと見せつけられることほど、残酷で苦痛なものはない。
だからイヤだったんだよ……自信なくすじゃねーか……
スタンドを埋めつくす大観衆の歓声を受けながら、ウイニングランをするわけでもなく、手を振って歓声に応えるわけでもなく、淡々と勝利ジョッキーインタビューを受け、表彰台に立つ各務さん。
イヤミなんだよな、その態度が。って新人のオレが言っても、それこそイヤミにしか聞こえないけど。
萌黄はと言えば、各務さんがGI勝つとこを初めて生で見れたのがよっぽどうれしかったらしく、帰りの車に乗ってもまだ「すごいねー」「カッコイイねー」を連発していた。
「オレにはお前の神経がわからんよ……ムチで殴ってきたヤツをどうしてそこまで褒められるかね」
「だってー、ホントにカッコイイんだもん。早く各務さんみたいな騎手になりたいなー」
「百年早えーよ。つーか、まず重賞乗れるようになってから言えってーの」
「あ、カズくんひどーい。自分が重賞乗ってるからってー」
今日はシゲさんの口が重い。いつも軽口を叩いて周囲を和ませてるこの人らしくない。
競馬場にいるときから、何だか様子が変だった。義理人情に厚いシゲさんが、よりによって妹弟子の萌黄をかばわなかったんだぞ。絶対おかしいって。
そういえば、各務さんとシゲさん、騎手としての二人を同時に見るのも初めてだった。
やっぱり、二人の間には妙な緊張感が漂っていた気がする。お互い、話をすることもなければ、目をあわそうとすらしなかった。
でも、正直言って、オレはそれが巷で言われている「確執」や「不仲」と言うのとは、ちょっと違うような気がした。
何となくだけど……シゲさんのほうが各務さんに遠慮しているような?
……んなワケないか。気のせいだよな。
「萌黄」
シゲさんが口を開いた。妙にかしこまった感じだ。
「ふぁい?」
スタンドで買ってきたと思しき牛丼をかっこむ手を止めて、萌黄は答えた。
「……各務のこと、恨まないでやってくれな」
何を言い出すのかと思ったら……驚いた。
「あったりまえですよー。私はいつだって各務さん大スキですよ」
プ、と吹き出し、シゲさんは笑い声を上げた。
「今じゃオメェ位だな。そんなこと、堂々と言えるヤツはよ」
「……シゲさん、どうしたんですか? 何か変ですよ、そんなこと言うなんて」
オレが思わず口を挟むと、シゲさんは運転中だというのに後部座席のオレを振り返った。
「おお、カズ、オメェもいたんか。忘れてたよ」
失礼な、と言うよりも、オレの存在を忘れるほど何か深く考え込んでいたに違いない。
「そうか……カズ、オメェにも話しといたほうがいいかも知れんな」
「……何を、ですか?」
「うん……」
逡巡するかのように、シゲさんはまた黙り込んだ。
今更何の話があるって言うんだ?
沈黙に気まずくなって外に目を向けると、晴れた五月の夕空は透き通った色ガラスのように美しく、生い茂る緑の鮮烈さと対を成すようだった。
今日は暑かった。五月もまだ上旬だと言うのに、もう夏がやってきたような暑さだ。
そう言えば、あの日もこんな晴れた暑い日だったよな……
「各務があんなんなっちまったのは、オレのせいなんだよ」
またもやオレは驚いて、反射的に言い返した。
「何言ってるんですか! あの事故は……」
「事故のことじゃねぇよ。各務があんな風にトゲトゲしくなっちまったのは、オレのつまらん意地のせいなのさ」
シゲさんは何を言おうとしてるんだ?
あの事故は、誰がなんと言おうと各務さんの騎乗ミスが招いた事故だ。その結果、シゲさんの一人娘である由佳ねーちゃんが死んだんだ。
あの人が薄情で陰険な性格になったのは、あの事故を周りから散々叩かれたから、それを根に持って今もふてくされてるだけなんだよ!
「あん時はよ、中坊だったオメェにはわかんねぇいろんなことがあったんだよ。って、コドモ扱いしちゃぁいけねぇな。あん時はオレも大人気なかったしな」
何だよ……何があったって言うんだよ!