2:和弥の遺恨
シゲさんのセダンの後部座席に乗り込むと、萌黄は当たり前のように助手席に座った。どこで仕入れてきたのか、両手にたくさんの食べ物を抱えている。
「まだ食うのかよ。さっきもそば食ってたろ」
「だってー、お腹空いたんだもーん」
そう言って早速肉まんを口に放り込む。食っても太らない身体というのは騎手としてはうらやましい限りだが、コイツの場合は普通の人間以上に食ってるだけに、本当に胃の中にブラックホールがあるんじゃないかとさえ思う。
「お前、今日何鞍乗った?」
「うーんと……三鞍かな? 十着、十二着、そんで一着!」
「なんだ、賞金取れたの最後だけかよ」
赤信号で車が止まった隙に、シゲさんが話に割り込んできた。
「カズ、オメェはどうだったんだよ」
「オレは……八鞍乗って一着一回、二着一回、その他六回です」
「へーっ、八鞍も乗せてもらえるなんて、未来ある若人はいいねえ。オレなんて四鞍だぞ、四鞍。いい馬あったらオレにも回してくれよな」
なんて言いますがね、それで年間三十勝をコンスタントに上げられてるんだからもう十分じゃないですか。
デビューした頃は乗鞍も勝利数も華々しかったものの、年を追う毎にその数も先細り、次々と追い上げてくる新人に先を越され、果てには淘汰されていく若手や中堅騎手だってたくさんいる。華はなくても、三十年もしぶとく騎手をやってるんだからすごいですよ。
「カズくんスゴイねー。今日の連対率は……うーんと……〇.二?」
「〇. 二五だよっ! 八分の二だろ! その位の計算できるようになれよ!」
「あははは、やっぱりカズくんはスゴイねー。カズくんの馬券買おうかなー」
「買えるか、アホッ! 競馬関係者は馬券買ったらダメだって何べん言ったらわかるんだ!」
「あははは、そうだったねー」
万事がこの調子だ。もっとも、コイツは馬券の種類さえまともに覚えてないから、買うこともできないだろうけど。大体、連対率だけ見ればお前のほうが上なんだよ。
オレたちを乗せた車は高速に乗り、府中から茨城県美浦村へと帰路に着いた。
美浦にはJRAのトレーニングセンター、通称トレセンがある。そこがオレたちの本拠地だ。
トレセンには競走馬を預かる厩舎があり、そこには騎手、調教師、厩務員などの関係者が数多くいて、その家族がトレセンの近くで生活している。
父親が騎手だったオレも、美浦で生まれ育った。
オレの実家とシゲさんの家は隣同士で、昔から付き合いがあるせいか、シゲさんは未だにオレのことを子供扱いする。イヤじゃないけどね。
いつも忙しくて、どこか偉そうで、子供心に近寄りがたかったオレのオヤジよりは、成績は劣っていてもシゲさんのほうがとっつきやすくて、シゲさんもオレとよく遊んでくれた。
シゲさんはみんなに慕われてる。口うるさい近所のカミナリオヤジみたいなとこもあるけど、調教師とは違う、先輩騎手として後輩を厳しく指導してくれるシゲさんみたいな人は、オレたちにとってきっと必要な存在なんだと思う。
そんなシゲさんに可愛がられてる萌黄は、ある意味ちょっとうらやましい。
萌黄が実習で初めてシゲさんに出会ったとき、競馬を知る者なら誰でも知ってるシゲさんに向かって「オジさん誰?」とのたまったらしいが、シゲさんは怒りもせず、萌黄の大胆不敵さに大笑いしたそうだ。
思えば、あの頃のシゲさんは「あの事故」からようやく立ち直ろうかとしていたところだった。
それまではムリに笑顔を作って、周囲の同情の視線を振り切ろうとしていた感じがあったが、萌黄に出会ってからのシゲさんは、萌黄をビシバシ鍛えるのが楽しくて、それを生き甲斐にしているようにオレの目には見えた。
もしかしたら、シゲさんもオレと同じく、萌黄に救われた人間だったのかもしれない──なーんて、んな訳ないよな。きっとシゲさんも萌黄のバカっぷりに呆れてただけだよ。
後部座席で一人黙って、流れる景色を見ているオレの存在など忘れたかのように、前の二人のおしゃべりは一向に止まらない。萌黄はともかく、シゲさんもよく付き合ってしゃべるもんだ。
首都高を抜け、常磐道に入るころには、初夏の遅い日暮れが訪れていた。
今日は日曜日。競馬関係はレース明けの月曜が全休日と決まっている。明日は馬も人もお休みだ。世間は大型連休で旅行だレジャーだって騒いでるけど、オレたちにはそんなものは関係ない。
競馬の世界じゃ、今は春のGⅠレース真っ只中。今日だって京都では春の天皇賞が行われて、兄貴が天皇賞初勝利を収めて、初めての盾を獲得したんだ。
来週はNHKマイルCがあり、その後にはクラシックレースのオークス(優駿牝馬)とダービー(東京優駿)が控えている。
ああ、そうか──
今年も、この季節がやってくるんだな。
ダービー。
競馬界にとっては節目の大レース。古い人間に言わせれば、正月よりもダービーが一年の節目になるらしい。
クラシックレースの最高峰と言われるのはわかるが、じゃ、皐月賞や菊花賞の立場はどうなるんだよ、とオレは言いたい。あれだって立派なクラシックだぜ?
けど……やっぱり特別なものだよな。ダービーって。
競走馬が生涯に一度、三歳の時にしか出走できないクラシックレース。
その中でも、ダービーはやはり格が違う。
なんでそうなのか──とオレに聞かれても困るんだけど、競馬をやってる国なら必ずと言っていいほど「ダービー」の名がつくレースがあるほどだし、それだけに歴史は相当古いんだろう。何とかと言うイギリスの伯爵が大昔に始めたらしいが、そんな細かいことまで覚えちゃいられない。
一年間に一万頭とも言われるサラブレットが誕生するが、その中でダービーに出走できるのはたった十八頭。
どっかの国のお偉いさんは「ダービー馬の馬主になるのは、一国の宰相になることより難しい」って言ったらしいが、まあそのくらい大変で、かつ名誉あるレースってことだ。
騎手としても栄誉あるタイトルであることは間違いない。
騎手になった以上、誰もが「ダービージョッキー」の栄冠を目指す。いや、ダービーに乗れるというだけでも、充分光栄なことなんだけど。
兄貴やオヤジがその栄誉に輝いている以上、当然オレにも、という期待がかかっているのは感じている。オレもそのつもりだ。
オヤジがダービーを勝ったのは約三十年前、オレがまだ生まれてない頃だ。
皐月賞を完勝したロイヤルダンスと再びコンビを組み、ダントツの一番人気で挑んだダービー。オヤジはその重圧に打ち勝ち、見事優勝した。あまりの強さに三冠馬の呼び声も高かったロイヤルダンスだったが、ダービー直後に屈腱炎を発症していることが判り、そのまま引退。「幻の三冠馬」と呼ばれた。
兄貴はデビュー五年目。若手のホープと言われながらも偉大なる大先輩たちに囲まれて、十番人気のスノーエスケープに乗って二度目のダービーに挑戦した。その名の通り大逃げを打って一時は十馬身差も開き、誰もが最後まで持たずに潰れると思ったが、追いすがる他馬を振り切り、まるで計算したかのようなクビ差での勝利。この時から、兄貴も名騎手の仲間入りをしたんだ。
日本でダービーが開催されるようになって七十年余り。
大レースの名に恥じない様々なドラマが、いつもそこにある。
今から四年前のダービー──
主役は間違いなく「あの人」、騎手・各務之哉だった。
「……やっと、各務さんに会える」
その声は明らかに上ずっていて、萌黄らしからぬ艶のある声にオレの胸がドキンと高鳴った。
ずっと待ちわびていて、ようやく会うことができる喜びが、表情を見ずとも声によく表れている。
「明日、ヨーロッパから帰ってくるんですよね?」
シゲさんは何も答えない。独り言のように萌黄はつぶやいて、外のサイドミラー越しに見えたその顔には満面の笑みが浮かんでいた。
「ずーっと各務さんと一緒に走れる機会を待ってたんですよー。桜花賞と皐月賞の時は、私は中京で乗ってたから会えなかったし、各務さん、それが終わってすぐヨーロッパに行っちゃうんだもん。やっと美浦に帰ってきてくれる……」
萌黄が各務之哉の大ファンだということは、萌黄を知る者なら誰でも知ってる。
そもそも、萌黄が騎手を目指したのは各務さんに憧れたからで、それを公言してはばからないのはいいが、「各務さん大好き」と事あるごとに言い回るのはウザったいったらありゃしない。まったく……後ろから首シメたろか。
各務之哉。
誰もが認める、日本の競馬界最高峰のジョッキー。
この人のどこがすごいかって、一年の三分の一は海外遠征に出かけてるのに、それでもリーディングジョッキーになれてしまうところだ。
最多勝利数、最多勝率、最多獲得賞金の「騎手三冠」はもちろん、GⅠタイトルは全て保有、おととしにはエリプスで牡馬クラシック三冠を十年ぶりに達成した。
日本を飛び出して海外にも活躍の場を広げてからは、アメリカ、イギリス、フランス、オーストラリア、香港などの調教師からもお呼びがかかるようになり、今では世界の主要なGⅠレースの常連だ。三年前にフランスのジャック・ル・マロワ賞で初の海外GⅠ制覇を果たしたのを皮切りに、香港、イギリスでもGI制覇の偉業を成し遂げている。
オレは「あの人」の能力は認めている。認めざるを得ない。
競馬は「馬七、騎手三」と言われるだけあって、馬の力で勝敗を左右されることが多い。勝ち星が多いのはそれだけ強い馬に乗っているからであって、騎手自体の力はそんなに働いてないんだけど、逆に言えば、騎手が下手を打てばどんなに強い馬でも勝つことはできない。
その馬が持つ能力を最大限に引き出すことができる騎手。それが超一流の騎手の条件だ。
各務之哉には、それがある。
だけど、オレは「あの人」が嫌いだ。
他人はその嫌悪感を「嫉妬」と呼ぶかもしれない。確かにそれもある。
オレや兄貴は「名手・柘植浩二の息子」というだけで騎乗依頼が来るし、強い馬にも乗せてもらえる。オレたち兄弟はそんな恵まれた環境にありながら、何のバックボーンもなく、身体一つでのし上がってきた各務さんには勝てない。
それだけ、「あの人」との力の差が歴然としているということだ。
兄貴が天皇賞を勝ったビースタイルだって、元々は各務さんのお手馬だったんだ。海外遠征に出かける各務さんの代わりにと、たまたま兄貴にお鉢が回ってきただけの話で、調教をつけ、ビースタイルをGⅠ常連馬にしたのもひとえに各務さんの力なんだ。
それだけに、各務さんが周囲に与える影響は大きい。
馬にそれほどの実力がなくても、各務さんが乗るというだけでお客はその馬券を買い、たちまち一番人気になる。各務さんの複勝率は五割、すなわち二レースに一度は複勝馬券が当たるということ。人気が集まるのは当然だ。
そして、競馬のケの字も知らなかった萌黄をこの世界に引き込んだのも、各務さんが初めて勝った四年前のダービーだった。
「たまたまつけたテレビでダービーをやってたのを見たんですけど……あれはスゴかったですよねー。私、鳥肌が立っちゃいましたよー。覚えてます?」
お前に言われないでも、オレもシゲさんもあのときのダービーはよーく覚えてるよ。
各務さんが乗ったスーパーオリーブは五番人気。皐月賞では二番人気に推されながら、スタートに失敗して七着に沈んだ馬だった。怒った馬主さんがそのときの騎手を下ろして、長期の海外遠征から帰ったばかりの各務さんに替えたんだって聞いてる。
血統からして二四〇〇は勝てないだろうと言われていたこの馬を、ゲートが嫌いでしょっ中出負けしていたこの馬を、きっちりとスタートさせて脚を余すことなく二着に一馬身差をつけて完勝させたのは各務之哉、その人の力だった。
オレもテレビで見ていたけど、あの騎乗には確かに鳥肌が立ったな。
喜びも、怒りも、悲しみも、何も見えない凍てついた表情──それなのに気迫だけはビリビリと伝わってくる騎乗には、見る者全てを魅了するほどの熱い闘志を感じさせた。
「勝利ジョッキーインタビューで各務さんの顔を初めて見て、一目ボレしちゃったんですよー。そんで騎手になろうと思ったんです」
一目ボレして騎手になろうなんて思ってしまうところがこのバカらしいところだけど、競馬がどういうものかも知らず、騎手になるための厳しい条件も知らずに、競馬学校をポンと受験して約四十倍の難関をいとも簡単に突破してしまうあたりが、やっぱり萌黄らしいところだ。
「やっと同じコースに立てる。一緒に走れるんだ……」
うれしそうにつぶやく萌黄の横で、すっかり黙ってしまったシゲさん。けど、バックミラー越しに見えたその顔は、穏やかに微笑んでいた。
意外だった。もっと、苦々しい表情を浮かべてると思ったのに。
萌黄はちゃんとわかっているんだろうか?
シゲさんと各務さんの間に横たわる、深い深い溝のことを。
競馬関係者なら誰でも知ってる。いつも言いにくいことをズバズバ聞いてくるマスコミだって、シゲさんの前では各務さんの話はしない。逆もまた然り。
二人が取っ組み合いのケンカをしたとか、そういうことじゃない。
もっと複雑で、やりきれない問題。
もっとも、萌黄のバカ頭じゃ理解できないかもしれないけどな。
「来週、一緒のレースで走れるといいなー」
「そうだな」
シゲさんがそんな風に優しく答えるなんて、オレには信じられなかった。
歳をとって人間が丸くなってきたんだろうか? そんなこと口に出したらブン殴られそうだけど。
それとも──シゲさんは各務さんを赦したんだろうか?
たとえそうだとしても、オレは「あの人」を赦さない。萌黄には悪いけど、各務さんを赦すなんて真似はオレにはできない。
だって、あの人は……
各務さんはオレの「由佳ねーちゃん」を殺したヤツだから。