第6話 不穏な教室
聴取を受けた、翌朝。
警察とのやり取りが頭から離れないまま、直斗は奈美恵に促されるように家を出て、重い足取りで学校へ向かった。
校門の前には、まだ多くの報道陣がたむろしていた。
教師たちは総出で校門に立ち、彼らの視線から生徒を遮るよう、一人一人に「おはよう」と声をかけ続ける。
直斗は、神経質に目を光らせる大人たちの間を通り抜け、うつむき加減に校門をくぐった。
校舎へ続くアスファルトの道は、いつもより長く、灰色に澱んで見えた。
三階へ上がり、教室の引き戸を開けた途端――直斗は異様な空気に足を止めた。
いつもの騒がしいおしゃべりではない。
不気味な囁き声と、互いの顔色を窺い合う視線の交差が、刺すような緊張を作り出していた。
クラスメイトが、一斉に直斗を見た。
おそらく彼らは、直斗がおととい、天文部として観測に参加し、事件直後の現場に居合わせたことを知っている。
だが、事件について直接尋ねてくる者はいなかった。
気を遣っているというより、直斗の前では、北川先生が殺されたこと自体、口にするのがタブーであるかのような、重く暗い沈黙だ。
それでもできるだけ普段どおりの顔をして、教室に入る。
すると、窓際の列、前から三番目――麻衣の席が空いていた。
いつもなら彼女が座っている机と椅子だけが、そこにあった。
――欠席か……。
麻衣が受けた衝撃を考えれば、無理もないのかもしれない。
けれど、直斗はなんとも言えない心細さを感じた。
席に着く。
鞄から教科書を出していると、教室の後ろで数人が顔を寄せ合う声が耳に入ってきた。
「……ねえ、結局、北川先生って殺されちゃったわけでしょ」
「ネットでもテレビでも大騒ぎなのに、うちらにはなんも説明ないんだからおかしいよね」
「で、聞いた? 犯人のこと。ほら……三組の尾崎武じゃないかって」
「えーっ、やっぱり? あの人、普段から変だったよね。いつも黙ってて何考えてるかわからないし」
「この前、どっかの高校生相手に喧嘩して、ボコボコにしたらしいよ」
「怖い! 二年の時も校内で暴れて問題になってたよね。親がヤクザって噂もあるし」
「しかも昨日からずっと連絡取れなくて行方不明らしいよ。警察も家に行ったって。北川先生に前、めちゃくちゃ怒られたから、その腹いせだって」
「え、ほんと、それ――?」
直斗は思わず、ノートの端をぎゅっと握り締めた。
武が犯人だという噂は、おそらく、もう学校中に広まっている。
『らしい、らしい、らしい』――
そして、根拠のないその言葉は、誰かの口を渡るたび、少しずつ本当の話へと変わっていくのだ。
確かに武は背が高く、強面で腕っぷしも強い。
誤解されやすい人間なのは事実だ。
だが、彼が拳を握るのは、理不尽に絡まれた時だけなのだ。
直斗は知っていた。
武という人間が、本当は我慢強く、優しい心の持ち主であることを。
だから「北川先生に叱られた」という噂も、たぶん嘘だ。
いつも冷めていて感情を表に出さない武が、無闇に教師を怒らせる真似をするはずがない。
だが、それを口にしたところで、誰が信じてくれるだろうか?
やがてチャイムが鳴り、担任の花村先生が入ってきた。
三十代半ばの国語教師で、いつも銀縁の眼鏡に薄化粧の、いかにも地味で真面目そうな女性だ。
結婚はしているらしいがガードが固く、プライベートの話をすることは一切ない。
殺された北川先生とは違い、生徒に人気があるとは言えなかった。
「起立!」
日直の号令が響くが、挨拶の声はみな小さい。
そんな中、朝のホームルームは、まるでお通夜のように静かに始まった。
「……皆さんも知ってのとおり、北川先生が亡くなられました」
普段ほとんど感情を露わにしない花村先生も、さすがに今日の声は沈んでいた。
出席簿を握る手がわずかに震えている。
「警察の捜査が続いています。話を聞かれた人もいるでしょう。不安なこと、怖いことがあれば、ひとりで抱えず、スクールカウンセラーや、私たちを頼ってください。それから……」
一度言葉を切り、教室全体を見渡す。
「憶測で物を言うのはやめなさい。ネットやSNSに根拠のない噂を書き込むことも厳禁です。いいですね」
その言葉は、明らかに「武が犯人だ」と騒ぐ生徒たちを牽制していた。
だが直斗には、その警告が逆に教室の「武=犯人説」を強めているようにも思えた。
時間割どおりに授業は始まった。
しかし、教室の空気は、事件の前とは明らかに別物だった。
教師の声は一段低く、説明は途切れがちで、生徒たちは上の空だ。
ただ張り詰めた不安の中、重苦しい時間だけが過ぎていく。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
その日、放課後の部活はすべて中止になり、生徒は速やかに下校するよう指導された。
だが、天文部だけは例外だった。
田中先生から、最後の授業が終わり次第、新校舎の図書準備室に集まるよう、あらかじめ言われていたのだ。
わざと帰り支度を遅らせ、ひとりで教室を出た直斗は、こっそり職員室へ向かった。
準備室には遠回りになるが、そこが今どんな様子か、自分の目で確かめたかったからだ。
階段を下りて廊下を進むと、職員室の入口が半開きになっていた。
気づかれないよう中を覗くと、数人の教師が輪になって話し合っている。
その手前の机に、白い花束が置かれていた。
北川先生の不在を告げるそれは、遺影の代わりのように無言で佇み、かすかな花の香りを廊下まで漂わせている。
「お、滝沢、どうした?」
背後から声をかけられ、直斗は飛び上がりそうになった。
振り向くと田中先生が立っていて、少しほっとして肩の力が抜ける。
「あの……これから図書準備室に行こうと思って」
「なんだ、わざわざ呼びに来てくれたのか。すまんな、こんな時にみんなを集めたりして。じゃあ用事も済んだから、一緒に行こう」
田中先生は普段どおり爽やかに振る舞ってはいたが、隈の浮いた、落ちくぼんだ目が、その憔悴を物語っていた。
天文部の顧問なのに、観測会に三十分遅刻したせいで、警察から厳しい取り調べを受けたのだろう。
とはいえ、犯人が田中先生でないことは、直斗が一番よく知っていた。
おととい、麻衣が事件を目撃したあの瞬間、先生は新校舎の屋上で、自分たちと一緒に星を観測していたのだから。
そして、それは同時に、天文部員全員のアリバイの証明にもなるはずだった。
昨日の警察の聴取で思い知らされたが、この異常な状況下では、直斗を含め、あの夜屋上にいたみんなが容疑者なのだ。
準備室に入ると、すでに麻衣以外の部員がそろっていた。




