落とす
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
つぶらやくんは、自分がこれまでに壊してしまったものを覚えているかな?
まあ、まず覚えていないだろうな。自分ではっきり、やってしまったといえるものは把握していても、そうでないものだとどうにも印象が薄い。
明らかな自分のミスなら、申し訳なさが勝ち謝罪も素直にできる。けれども、自分はあくまでとばっちりなポジションなのに、謝らざるを得ないというのは、理屈は分かっても心はついていくとは限らない。
絶対に、自分のせいじゃないのに。
これらの心を飲み込んで、対処できるようになっていて大人になるんだ……といわれても、心にはいつまても枷や傷が残るもの。清く正しく生きよというのは、このような重荷を背負わず、楽しく過ごせることも肝要だぞ、といいたい側面もあるかもしれない。
私もごくごく小さいころ、悪意なく壊してしまったものをめぐる話があるんだ。少し聞いてみないか?
それは祖父と一緒の散歩のときに起こった。
地元の大きい橋のひとつ。車道をはさむ形で両側に歩道があったのだけど、その片方の歩道を二人で歩いているとき、ふち背後から自転車のベルを鳴らされた。
私と祖父は歩道を並んで歩いていたが、それでも歩道には自転車二台が通れるほどの、十分なゆとりが残されていた。それでも祖父は私のそばへ寄り、道幅をより確保する。私は車道側とは反対の欄干側を歩いていたよ。
にもかかわらず、再び自転車のベルが鳴る。不満げといわんばかりに、執拗に。
私も振り返った。数メートル前方に迫っていたのは、赤いママチャリだ。そのカゴ、その図体、いずれも当時の私にとっては見上げるほどの大きさ。怪物の一種のように思えたよ。
祖父はなおも、私を守る格好で自転車との間に体をはさみこむ。そこでようやく自転車は軌道を変え、私たちの横を追い抜いていく……と思われた。
なにをされたか、すぐに理解できなかったよ。
追い抜いていく瞬間、祖父によるガードを外れて、私と自転車の間に壁のなくなったタイミングで。
キックをもらった。ペダルから離れた足が、すれ違う一瞬で私の足をとらえたんだ。
突き飛ばす形じゃない。ボールを蹴り上げるときのように、下から上へつま先を持ち上げたんだ。
自転車を漕ぎながら、という不安定な姿勢。満足に力も込められないような短い間。ほとんどの場合は、私を蹴り倒して終わるだろう。
それが服はおろか、胴体にまでしっかりめり込んだキックは、勢いよく私の身を宙へ浮かせた。欄干を完全に飛び越してしまうほどに。
橋の下までの高さは数メートル。背中から落ちたとはいえ、命にかかわるけがをする恐れは十分にあっただろう。下は大小のごつごつとした岩の並ぶ地面。
けれども、私の背中を待っていたのは無数の石たちによる、冷たく鋭い折檻ではなかった。むしろ柔らかささえ感じる抱擁。そこへ私は背中をあずけつつ着地したわけだが。
「あっ!」
女の人の悲鳴が、頭の上から響く。
私は背の高い女性に見下ろされていたんだ。当時の私は4つか5つほど、おそらく女性のほうは、どう見積もっても10歳以上は年上に思えた。
服装はインドの人が身に着けるようなサリーに酷似ししており、つややかな長い髪を伸ばす頭には金色のサークレットを着けている。
鼻が異様に高いその顔立ち。まるで見覚えがなかった。少なくとも、このあたりに住んでいる人とは思えない。
そう思考できたのは、のちほど落ち着いて、あらためて振り返ってからのこと。
このときの私は、またも蹴り飛ばされて、今度こそ石たちの上を転がされていた。このサリーをまとった女性にだ。
痛みよりも、怖さのほうが勝った。橋の上でも下でも、ろくに理由も分からないまま暴力を振るわれるなんて、理解が追い付かない。
その女性が、私の倒れこんでいた場所へかがみこむと、そっと何かを抱えて立ち上がる。
それはサッカーボールほどの大きさをした、人形の頭だった。その首の部分より下は、荒々しくちぎれた断面のみを残し、存在しない。
そして首の転がっていたあたりには、明らかに石たちのものとは異なる、白い粉末が広がっていたんだ。そして女性はいまいちど、私をにらむや怒気をはらんだ声をあげる。
その声の意味、私は理解できなかった。聞いたことのない言葉の羅列だったからだ。ただその表情は私への明らかな敵意に満ちていた。
状況的に、私が彼女の大事にしているであろうものを壊してしまったのだろう。
が、先ほどから芽生えていた怖さを土台に、どんどんと感情が積み重なっていく。
あの蹴ってきた相手への怒り。理解できない言葉を本気でぶつけられるおびえ。自分がなぜこのような目に遭うのかという問いと疑い……。
私は橋をまわりこんで降りてきた祖父に助け起こされるまで、頭の中でぐるぐると回る思考にとらわれ続け、動くことができなかった。
気づいたときには、先ほどの女性は影も形もなくなっていた。祖父に尋ねても、ここに来るまでにそのような女性は見ていないとのこと。
ただ、あの大量の白い粉末だけは確かにそこへ残っていたんだよ。
あの女性が何者だったかは、今も分かっていない。
けれども、あれ以降、私の持ち物に落書きがされるようになった。幼稚園児のときから、地元を離れるようになる高校卒業までの間だ。
日本語ではない文字が、すさまじい小ささと密度で書き込まれ、虫メガネを使わないとそれが文字列とは分からなかったほど。
その文字、手持ちの辞書でも分からずに知人を訪ねまわって、ようやく判断がついたものなのだけど詳しくは教えてもらえなかった。
いわく、口に出すのもはばかられるような呪詛とのことで、実際に発音することは避けるべきという類のもの。一字一句たがわないそれらが10年以上に渡り、私の持ち物のいずこかに、感知できない間に書き込まれ続けたんだ。
地元を去ったのも、それが一因でもある。実際、よそへ移り住んでからは落書きされることはなかったのだから。でも、地元に帰るときは非常に度胸がいる。
たとえ年端のいかぬ子供相手でも許してもらえないこともある。いかに過失であったとしても、落とされる。
私が人生の早くに、学ばされたことのひとつだよ。




