第50話 壊れた村
朝日が昇り、照らし出されたのは、昨日までの平穏が嘘のような無残な光景だった。
広場に面した民家は半壊し、瓦礫が散乱している。そして何より、ジークが心血を注いでいたあの「羽村」との共同管理畑が、勇者パラガスの放った過剰な魔力によって、無惨に焼き付いていた。
かつてジークが「畝の間隔を変える」ことでようやく整え始めた土地のリズム。戦争の余波で不安定だった土壌は、パラガスの放った「不速之致ス所」の衝撃と光魔法によって、再び激しくかき乱されていた。
「……ひどいな。せっかく芽が出始めていたのに」
ジークは焼け焦げ、硬く固まった土を手に取った。
セラフィナが危惧していた通り、暴力的な魔力の流入は、繊細な土地の鼓動を完全に狂わせていた。せっかく整えた畝の計算も、これでは最初からやり直しだ。
しかし、ジークの目に絶望はなかった。
彼はすぐに立ち上がり、村人たちに向けて的確な指示を出し始めた。
「羽村の班長、すまないが水路の泥上げを優先してくれ。水の流れを戻して、土の熱を冷ます必要がある。俺たちの村の連中は、壊れた屋根の瓦をまとめてくれ。使えるものとそうでないものを分けるんだ」
その指示は、混乱する村人たちの心を静かに、けれど力強く繋ぎ止めた。
戦場で補給路を確保し、壊滅した陣地を数時間で再建させてきたジークの「組織管理能力」。それは剣を振るう強さよりも遥かに、今の村にとって必要な「本物の強さ」だった。
昼過ぎ、ジークは一人で半壊した民家の屋根に上り、重い梁を固定し直していた。
レベル1の肉体。
本来なら数人で当たるべき作業を、彼は自分の「勘」と「効率」だけでこなそうとしていた。
「……ジーク、降りてきなさい」
下から響いたのは、少し怒気を含んだ、けれど震えるようなセラフィナの声だった。
ジークが手を止めると、そこには不機嫌そうに頬を膨らませたセラフィナが立っていた。
「あと少しで終わる。ここの支えさえ通せば、夜露は凌げるから……」
「そういう話をしてるんじゃないわよ!」
セラフィナは、身軽な動きで屋根の上に飛び乗ってきた。
彼女の黄金の瞳には、怒りと、それ以上の隠しきれない「不安」が渦巻いている。
「なんで全部一人でやろうとするのよ。村の人たちも手伝うって言ってるじゃない。……あなたは、昨日あんなに無茶をしたばかりなのよ?」
「……俺はレベル1だからな。人より動かないと、埋め合わせができないんだ」
ジークがいつもの「卑下」を口にした瞬間、セラフィナが彼の胸ぐらを掴んだ。
「その『レベル1』って言葉、禁止よ! あなたが自分を低く見積もるたびに、私の心臓がどれだけ縮むと思ってるの!? ……昨日だって、あんな化け物みたいな勇者を相手にして、もし、もしあなたが……」
彼女の言葉が詰まる。
ジークは初めて気づいた。
セラフィナの指先が、小さく震えていることに。
守護竜としての威厳も、圧倒的な力も、今の彼女には何の意味も持っていなかった。
彼女はただ、大切な「隣の男」を失うかもしれないという恐怖に、たった一人で耐えていたのだ。
「……セラフィナ」
「……心配、したんだから。本当に、本当に怖かったんだから……!」
彼女はジークの胸に顔を埋めた。
周囲の村人たちから見れば、復興作業中の微笑ましい(あるいは少し目のやり場に困る)一幕だったが、ジークにとっては、どんな強敵の一撃よりも重く、心に響く叫びだった。
「……悪かった。俺が悪かったよ、セラフィナ」
ジークは不器用な手つきで、彼女の肩を抱き寄せた。
「これからは、ちゃんと人を頼る。……お前にも、手伝ってもらうよ。ただし、屋根を突き破らない程度にな」
「……ふん。私が本気を出したら、屋根どころかこの山ごと平らにしちゃうんだから」
セラフィナは鼻をすすりながら、ジークの胸をポカポカと叩いた。
ようやく彼女の顔に、いつもの「生意気で可愛い隣人」の表情が戻ってきた。
二人は並んで、壊れた屋根の上から村を見渡した。
羽村の人間も、ジークの村の人間も、今は境界線など気にせず、泥にまみれて作業をしている。
パラガスが壊したものは多かったが、皮肉にもその「共通の災厄」が、村人たちの心の壁を少しだけ溶かしていた。
「……よし。まずは、今夜のシチューの材料を村長に分けてもらおう」
「お肉多めでね、ジーク!」
「わかってるよ。……さあ、仕事の続きだ」
壊れた村、狂わされた畑。
けれど、二人の「生活」という名の戦場は、ここからまた新しく、そして少しだけ騒がしく、始まろうとしていた。




