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第47話 速度の檻

家鳴りが、ひときわ大きく響いた。

古い木造建築の限界を告げる悲鳴。だが、その音さえもパラガスの放つ黄金の魔圧にかき消されていく。


ジークは薄暗い廊下の隅、影に溶け込むようにして立っていた。手元には、台所の勝手口で見つけた古い縄と、物置から引きずり出してきた数枚の戸板がある。彼はそれらを、あたかも戦場での陣地構築を行うかのような迅速さで配置していった。


扉をあえて半開きにし、縄を柱から柱へと複雑に渡す。それは獲物を捕らえるための罠というよりは、視覚的な「錯誤」を生むための障壁だった。


「どこだ……どこに隠れた、虫ケラがぁ!!」


パラガスの声が、もはや人間のものではない獣の咆哮となって響く。

彼の能力「不速之致スふそくのいたすところ」は、加速すればするほど、発動者の主観時間を引き延ばす。彼にとって、止まっているジークを見つけることは容易いはずだった。


だが、この狭い家屋の中では、その「速さ」が逆に彼の視界を歪めていた。

超高速で移動するパラガスの目には、ジークが意図的に配置した戸板や縄が、複雑な幾何学模様の壁となって迫りくる。直線しか走れない彼にとって、曲がり角の先に張られた一本の縄は、首を刈り取る鋼の糸にも等しい脅威となる。


ジークは、わざと音を立てた。

床板を強く踏み、その振動を家全体に伝える。


「ここだぞ、勇者様。あんたの言う『神の力』、狭いところじゃ随分と窮屈そうだな」


「――死ねぇ!!」


黄金の光が、ジークの声を追って廊下を突き抜ける。

パラガスは直進した。だが、そこにはジークが斜めに立てかけた戸板があった。

超高速で衝突したパラガスの体は、戸板の角度に従って強引に軌道を逸らされる。


「なっ……!?」


制御不能の速度。

パラガスは隣の部屋の壁を突き破り、さらにその先の柱に肩を強打した。

凄まじい衝撃音が響き、天井から埃が滝のように降り注ぐ。


ジークはすでにそこにはいない。

彼はパラガスの衝突音に紛れて、さらに奥の、この家の構造上の「急所」へと移動していた。


民家の外。

セラフィナは、歪んで今にも崩れそうな屋根を見上げていた。

彼女の鋭い知覚は、家の中で展開されている「魔力の流れ」を完璧に捉えていた。


(……ジーク、あなた。なんて恐ろしいことを)


セラフィナは、ジークの意図を察して背筋に冷たいものが走るのを感じた。

ジークはパラガスと戦っているのではない。

パラガスの持つ「速度」そのものを、彼を閉じ込めるための檻として利用しているのだ。


ジークが配置した縄や家具は、物理的にパラガスを止めるためのものではない。

超高速で移動するパラガスに対し、「ここを通れば激突する」という恐怖を植え付け、彼の動線を一点へと誘導するための、心理的な壁。


(あの位置。……あそこは、この家を支える一番太い大黒柱の前。でも、その手前には……)


セラフィナは、ジークが誘導している「一点」の正体に気づき、小さく息を呑んだ。

そこは、この家の中で最も深く、暗い「行き止まり」だ。

だが、ジークはそこにある仕掛けを施していた。


「……やりすぎよ、ジーク。でも、あんな馬鹿にはお似合いかもしれないわね」


彼女はそう呟くと、万が一に備え、村人たちにさらに後退するよう手で合図を送った。


家屋の最奥。

パラガスは、すでに正気ではなかった。

何度も壁に激突し、自慢の鎧はボロボロに砕け、全身が打撲と切り傷で血塗られている。

だが、その苦痛さえも、彼にとってはジークへの殺意を燃やすための薪でしかなかった。


「……はぁ、はぁ……。見つけた……見つけたぞ……!」


廊下の突き当たり。

ジークが、逃げ場のない壁を背にして立っていた。

そこには戸板も、縄もない。ただ、無防備に、諦めたかのように立つ「レベル1」の男がいるだけだ。


「もう逃げ道はないぞ。……貴様を、その生意気な顔ごと粉砕してやる!」


パラガスは全魔力を脚部に集中させた。

これまでで最大の加速。

思考のストレスが限界を突破し、彼の周囲の時間は、ほぼ停止したに等しい状態へと至る。


「不速之――致ス所!!」


黄金の砲弾と化したパラガスが、一直線にジークへと射出された。

回避は不可能。

この狭い廊下で、この至近距離から放たれた超高速の体当たりをかわせる人間など、この世には存在しない。


パラガスの視界の中で、ジークの顔がゆっくりと迫ってくる。

勝利を確信したパラガスの口角が吊り上がる。


だが。


激突の刹那、ジークは「戦う」ことも、「防ぐ」ことも、あるいは「逃げる」ことさえもしなかった。


彼はただ、何もしなかった。


正確には、パラガスが到達するコンマ数秒前、ジークはただ一歩、横にずれただけだった。

それは技術と呼ぶにはあまりに素朴で、けれど戦場の死線を何万回と潜り抜けた者だけが持てる、極限の「最適解」だった。


「……え?」


パラガスの視界から、ジークが消えた。

いや、彼がジークを追い越したのだ。

あまりの速度ゆえに、横に一歩ずれただけの対象を、彼の目は捉えきれなかった。


パラガスの眼前に現れたのは、ジークではなく、彼が背負っていた「壁」――。

いや、それはただの壁ではなかった。


ジークは事前に、壁を覆っていた古い布を取り払っていた。

そこに現れたのは、頑丈な大黒柱に垂直に固定された、重厚な鉄製の暖炉の裏蓋だった。

かつての住人が、火災除けのために柱に打ち付けていた、厚さ数センチの鋳鉄の塊。


「――っがぁぁああああ!!!」


ガギィィィィィィィィィィィィン!!!!!


凄まじい金属音が、村中に響き渡った。

パラガスの超加速した質量が、逃げ場のない鋳鉄の板に、正面から激突した。

作用・反作用の法則は、勇者といえども例外ではない。

彼が自ら生み出した凄まじい運動エネルギーは、一滴も逃げることなく、すべて彼自身の肉体へと跳ね返った。


衝撃波が民家を内側から爆ぜさせた。

支柱が折れ、屋根が崩落し、大量の瓦礫がパラガスの上に降り注ぐ。


もうもうと立ち込める砂塵の中。

ジークは、崩れた壁の隙間から、静かに外へと歩み出た。

彼の服には、一滴の返り血もついていない。


「……言っただろ。速すぎる奴から死んでいくんだよ」


背後で、瓦礫の山が小さく動いた。

だが、そこから這い出そうとする力は、もはや感じられない。

パラガスの自慢の速度は、彼自身を破壊するための、冷酷な檻となって終わった。


ジークは、駆け寄ってくるセラフィナの姿を見つけ、少しだけ疲れたように笑った。


「……セラフィナ。悪い、この家、もう修繕じゃ済まないな」


「いいわよ。……あなたが無事なら、それだけで」


セラフィナはジークの腕を取り、安堵の溜息をついた。

英雄の残した理不尽は、レベル1の男の、あまりにも静かな「処理」によって、村の土へと還された.....かにおもえた

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