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第46話 家屋戦

薄暗い民家の中へ飛び込んだ瞬間、ジークの感覚は研ぎ澄まされた。

ここはかつて隣村との境界近くに建てられた古い空き家だ。長年放置されていたため、床板は湿気で撓み、頑丈な太い大黒柱だけが家を支えている。戦場において、遮蔽物のない平地は「死」と同義だが、こうした障害物の多い屋内は、弱者が強者を喰らうための「揺り籠」へと姿を変える。


「逃がすかぁぁぁ!!」


背後で爆音。パラガスが正面の扉を蹴り破るどころか、壁ごと粉砕して突っ込んできた。

凄まじい黄金の魔力が、埃っぽい室内を暴力的に照らし出す。だが、ジークはすでにその光の先、居間の奥にある重厚な食卓の影へと身を隠していた。


「無駄だ、無駄なんだよ! この狭い家ごと、貴様を肉片に変えてやる!」


パラガスが再び超加速の予備動作に入る。彼の能力「不速之致スふそくのいたすところ」は、怒りと比例してその出力を増していく。

キィィィィン、という鼓膜を刺すような高周波の音が室内に満ちた。


「死ねぇぇ!!」


黄金の閃光。

パラガスが一直線にジークが潜む影へと肉薄する。

だが、その瞬間、ジークは反射的に動くのではなく、あえて「待った」。


パラガスが食卓に接触する寸前、ジークは床を蹴り、隣の寝室へと繋がる襖を突き破ってL字型に移動した。


ドォォォォォン!!


凄まじい衝撃音が響き、家全体が悲鳴を上げた。

パラガスは直進の勢いを殺しきれず、ジークがいた食卓を粉砕し、そのまま反対側の壁に頭から激突していた。彼の能力は凄まじい速度を誇るが、その実態は「超高速の直線運動」に過ぎない。摩擦も慣性も無視するその力が、狭い屋内では最大の仇となっていた。


「……ハッ、ハァ……! 貴様、チョロチョロと……!」


瓦礫を跳ね除け、パラガスが這い出してくる。額からは血が流れ、自慢の黄金の鎧は歪み、煤けていた。


「どうした、勇者様。自慢の速度はどうしたんだ? 随分と派手な壁の壊し方じゃないか。村の修繕費が跳ね上がるから、少しは手加減してくれよ」


ジークの声が、暗がりの中から響く。どこにいるのか、パラガスには掴めない。

家具の配置、柱の位置、それらが作り出す「死角」をジークは完璧に利用していた。


「速さ=強さだなんて、誰が言ったんだ?」


ジークの言葉が、パラガスの神経を逆撫でする。


「戦場じゃあな、速すぎる奴から死んでいくんだよ。曲がり角の先に何があるかも考えず、ただ突っ込むだけの奴は、敵にとって格好の的だ。あんたのそれは『攻撃』じゃない。ただの『暴走』だよ」


「黙れ……黙れぇぇ! 俺は勇者だ! 選ばれし王国の盾だ! 貴様のようなゴミに、教えを乞う必要はない!」


パラガスは再び魔力を練り上げる。だが、その瞳には明らかな焦燥と混乱が混じっていた。

彼にとって「レベル1の農夫」は、一撃で消し飛ばせる存在でなければならなかった。その前提が崩れ、自分の最強のカードである「速度」が、物理的な障害物というあまりにも単純な理由で封じられている事実に、プライドが悲鳴を上げていた。


その頃、村の広場。

セラフィナは最後の老人の避難を修道院の地下へ完了させ、激しい震動を繰り返す民家を見つめていた。


「……始まったわね」


彼女の黄金の瞳には、家屋の中で何が起きているかが手に取るように分かっていた。

ジークは戦っているのではない。獲物を追い込み、その自尊心を少しずつ削り取っているのだ。


「ジークの悪い癖。……いえ、あれこそが、あの地獄でレベル1の彼が生き延びてきた『強さ』の正体」


セラフィナは、かつての戦場でジークが見せた戦い方を思い出していた。

彼は決して、正面から敵を圧倒することはなかった。敵の思い込みを利用し、感情を煽り、判断を狂わせ、自ら破滅の罠に踏み込むように仕向ける。

それは美しくはないが、恐ろしいほどに確実な「勝利への動線」だった。


「あの男、完全にジークのペースに飲まれてる。……可哀想に。あのままじゃ、自分の力で自滅するわね」


セラフィナは小さく溜息をつき、周囲に飛散する魔力の余波を遮断するために、静かに手をかざした。


家屋内では、パラガスの呼吸がさらに荒くなっていた。


「出てこい! 正々堂々と戦え!」


「正々堂々? あんた、俺の妻を公権力で奪おうとした時に、そんな言葉を忘れてたんじゃないか?」


ジークの声は、今度は右斜め後ろの、古い箪笥の陰から聞こえた。

パラガスは反射的にそちらを向き、吠える。


「不速之――」


「やめとけ。そこには太い大黒柱がある。あんたの速度で突っ込めば、今度は頭蓋骨だけじゃ済まないぞ」


ピタリ、とパラガスの動きが止まる。

ジークの言葉が嘘か真か、今のパラガスには判断できない。暗闇の中、柱も家具も、すべてが自分を殺すための凶器に見えてくる。


「考える前に動く奴は、罠にかかる。あんたの師匠は教えてくれなかったのか? 力が大きければ大きいほど、それを制御する『頭』が必要なんだよ」


ジークはL字の動線を描きながら、音もなく位置を変え続ける。

床の軋む音一つさせないその動きは、もはや農夫のそれではなく、獲物の喉笛を狙う熟練の斥候そのものだった。


「レベルが上がれば、万能になれると思ってたんだろ。でも残念ながら、世界はそんなに単純じゃない」


「……あ、あぁ……」


パラガスの喉から、ヒュッという掠れた音が漏れた。

視界が揺れる。

黄金の光が、自分の恐怖を鏡のように照らし出している。

ジークは一歩も引いていない。むしろ、パラガスの方がこの狭い空間に、そしてジークの放つ「静かな圧力」に、精神を押し潰されそうになっていた。


「さあ、勇者様。次の一撃が最後だ。あんたの全速力を、俺にぶつけてみろ。……今度は、壁に当たらないようにな」


ジークの冷徹な煽りが、パラガスの最後の理性を粉砕した。


「殺す……殺してやるぅぅぅ!!」


パラガスはもはや能力の制御すら忘れ、ただの塊となって咆哮した。

彼の思考は完全に崩壊し、ただ「目の前の男を消し去る」という一点の狂気のみが、その肉体を動かしていた。


だが、ジークの目には、その突進は「止まって」見えていた。

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