第28話 なにもしない練習
朝から、しとしとと静かな雨が降っていた。
いつもなら外に出て何かしらの作業を始めるところだが、今日は土も濡れ、外での仕事は一切できない。
ジークは部屋の中で、所在なさげに立っていた。
「……セラフィナ、雨だぞ」
「そうね。今日は一日、降り続くみたいだわ」
椅子に座っていたセラフィナも、どこか落ち着かない様子で窓の外を眺めている。
戦場における雨は、進軍の遅れか、泥濘の中での行軍、あるいは視界不良を利用した奇襲を意味していた。
「雨だから休む」という選択肢は、彼らの七年間には存在しなかったのだ。
ジークはたまらず、隅に置いてあった雑巾を手に取った。
「……暇だし、床でも磨くか。柱の傷も気になるしな」
「いいわね。私は窓を磨くわ。雨粒で見えにくいのは、索敵の邪魔になるもの」
二人は取り憑かれたように掃除を始めた。
ジークは床を這い、木目が剥げるのではないかという勢いで磨き上げ、セラフィナは窓ガラスを、もはや反射で眩しさを感じるレベルまで磨き抜く。
そこへ、雨除けの樽を被ったシスターが様子を見にやってきた。
「ちょっと、あんたたち。何してるのよ」
「……掃除だ。見ての通り、床を徹底的に清掃している」
「そうよ、シスター。いつ敵が来ても、足元で滑らないようにね」
シスターは呆れたように大きなため息をつき、二人の手から雑巾をひったくった。
「馬鹿言わないの。今日は雨なんだから、休みなさいって言ってるでしょ」
「休むって……何をすればいいんだ」
「何もしないのよ。ただ座って、雨の音でも聞いてなさい」
「何もしない」という命令は、ジークにとってどんな極秘任務よりも難解だった。
シスターに無理やり椅子に座らされ、二人は並んで雨の降る庭を眺めることになった。
……一分。
……三分。
ジークの指先が、落ち着かずに膝の上でリズムを刻む。
セラフィナも、つい魔力の流れを感知しようとして、眉間に皺を寄せている。
「……なあ、セラフィナ。これ、いつまで続ければいいんだ?」
「……分からないわ。でも、これも一種の修行なのかもしれないわね」
二人は沈黙に耐えかねて、湯気の立つお茶を淹れることにした。
温かいカップを両手で包み、立ち上る香りを吸い込む。
雨の音。
屋根を叩く規則的なリズム。
湿った土の匂い。
次第に、ジークの肩から余計な力が抜けていった。
隣を見れば、セラフィナも同じように、少しだけ穏やかな表情で雨を見つめている。
「……今日、本当に何もしてないな」
「ええ。……でも、不思議ね。少しだけ、体が軽くなった気がするわ」
かつては、何もしないことは「死」に直結していた。
けれど今、二人が過ごしているのは、何もしなくても誰も死なない、穏やかな停滞。
「……これが、練習なんだな」
「そうね。なにもしない、練習」




