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バッドラック・ビハインド・ミー  作者: kagedo
正体不明の災厄
4/5

Chapter4 シュレディンガーの猫

「ここにもいませんねぇ」


 折り重なった廃材の隙間を黒衣が覗き込んでいる。その後ろで葉巻を蒸かしていると、小さな溜息が聞こえてきた。


「この路地もダメか」

「生き物相手ですから、長期戦は覚悟していましたが」


 昼下がりの酒場で『裏通りに逃げ込んだ飼い猫を手元に帰してくれ』という資産家からの依頼を見つけ、捕獲を試みたものの。未だに尻尾の影すら見つからない。


「もっと奥の方に行ってしまったのかもしれません」

「だったらもう野良犬の腹ん中だな」

「望み薄ですが、日暮れまでは頑張りましょう」

「まあ、今日は付き合ってやってもいい」

「依頼を受けたのは貴方ですよね?」

「たまには日の光も浴びねぇとおかしくなるからな」


 正直、厄介続きで疲れていたのもある。その原因となっているコイツの足を使って、こっちがのんびりしたってバチは当たらない。大きな欠伸を噛み殺していると、不意に足元でちりん、と小さな音が聞こえた。蹴ってしまったのは鈴のついた赤い紐だ。


「首輪でしょうか。それなら近くにいる可能性が高そうです」

「向かいの路地はどうだ。まだ見てないだろ」

「行ってみましょう」


 手がかりを頼りに別の路地裏を探す。じめっとしていて薄暗い。壁の落書きも風化していることから、誰も寄り付かない場所なのだろう。投げ込まれたゴミを漁るカラスを追い払っていると、黒衣がふと足を止めた。


「どうした」


 相手はその場から動かない。返ってこない反応に首を傾げながら、影になっている場所を覗き込む。


「かわいそうに。人知れずこんな場所で」


 ――ああ、見なきゃ良かった。


 視線の先では、ぐったりとした灰色の毛玉が道端に蹲っていた。薄暗くてはっきり見えないが、微かに血の匂いもしている。とはいえ、これまで外の世界なんて見たこともなかった仔猫が、弱肉強食の路地裏で生き永らえているとも思えなかった。報酬額が減るのは仕方のないことだ。


「申し訳ないのですが、しばらく外していただけますか」


 屈んだ相手はぴくりともしない毛玉の前でそう告げた。正直、まじまじと見ていて気持ちのいいものではない。素直に従って路地を出る。憐れだと思って墓でも作ってやっているのなら、別に邪魔する理由もない。飼い主には自分が拾った首輪を渡せばそれで終わりだ。そう考えていたのだが。


「お待たせしました」

「……テメェ、それは、」


 しばらくして路地から戻ってきた黒衣の腕で、冷たくなっていたはずの毛玉が動いた。みゃおう、とか細く鳴いた仔猫の背を、白い掌が撫でている。


「我々はこの小さな命が”消えた”と”思っていた”だけです。そういうことにしましょう」


 これまで見てきたはずの事実が、目の前で捻じ曲がった。この黒ずくめは一体何をしたのだろうか。ごろごろと喉を鳴らす猫の、その眼に宿る光にぞわりと悪寒が走る。後ずさった自分に、黒衣がやっと口を開いた。


「――貴方はこの猫を触っていない。単に暗がりで、この”猫らしき”存在を見ただけ。ゆえに生きていたのか、死んでいたのかを確かめる術はなかったはずです」

「だからって、ついてもいい嘘と悪い嘘があんだろ」

「では、これで誰かが損をしましたか?」


 損得勘定でいけば、飼い主は喜ぶだろう。猫も理不尽から解放される。ついでにこっちの懐も温まる。しかし。


「俺が言いたいのはそういうことじゃない」

「……貴方の同意を得なかったことについては、申し訳ないと思っています」

「分かってるなら、どうしてやった」


 普段はあれだけ饒舌な黒衣が静かになった。その腕から飛び降りて、自分の足元へじゃれついてきた毛玉を拾う。小さな身体には一度失われたはずの熱が戻っていた。


「……助けられるのに見捨てるのは、罪でしょう」

「テメェがやったのは、あったはずのことを、なかったことにしただけだ」

「教会と同じようなことを言うのですね」

「その猫がテメェに頼んできたのなら話は別だが、そうでもないのに他の命を弄り回すのは違うだろ」

「私が救いたかったから。その理由だけでは駄目なのですか」

「だから、それはテメェのエゴでしかねぇんだよ。もしもそいつが自由を求めて逃げ出したんだとしたら、檻に戻すのは不幸でしかない」

「それだって貴方の推測に過ぎないでしょう。猫が人の言葉を話せない以上、事実にはなりません」


 確かにこの毛玉の意思を推し量る術はなかった。生きていたかったのかもしれないし、死んで解放されたかったのかもしれない。しかし。


「テメェのやることに文句をつけるつもりはねぇが――俺は仏になってまで誰かに歩かされたくねぇ。そんなのは御免だ」

「なるほど。では、少なくとも貴方については明確な意思表示があったとしましょう」

「『死人に口なし』とか言い出しそうだけどな」

「どうでしょうね。一人が寂しいと思ったら、やってしまうかもしれません」


 にゃおう、と間の抜けた返事が聞こえる。もちろん意味は分からない。だが、自分の腕で落ち着いていた毛玉を、黒衣がすっと引き取った。


「この子は私が預かります」

「は? 依頼主に返さないのか」

「返すつもりでしたが、貴方がその気を削ぎました」

「責任転嫁すんな」

「私も、昔は檻の中にいたようなものでしたから。きっとここは、似た者同士が辿り着く場所なのでしょう」


 にゃおん。気ままに答えた猫の心情なんてわからない。わからないから、可能性の数だけ答えがある。


「どっかに行きたがってるなら、ソイツの足で歩かせてやれ」

「逃げてしまうかも」

「戻って来ないならそれまでだ」

「……そう、ですね」


 黒衣が毛玉を地面に下した。これでどこへ行くのも自由だ。躊躇いがちな様子で、猫はきょろきょろとあたりを見回して――


「ったく、結局こうなるのかよ」


 紫煙の代わりに思わずこぼれた溜息。ぴょんと自分の脚までよじ登ってきた毛玉を、そう邪険にはできない。仕方なく懐に入れてやっていると、横にいる黒衣が小さく笑った。


「ふふ。私とこの子は、やっぱり似た者同士みたいです」


 ――もし、次に同じ光景と出くわしたら。俺はコイツを止められるのだろうか。




To be continued…

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