Chapter1 求む、情報提供
――この世界でいう「平和」は、いつも事件の前触れだ。
ならず者たちが街を闊歩し始める黄昏時。路地裏にあるシケた酒場で、冷えたエールを喉へ流し込む。その隣で葡萄酒の香りを楽しんでいた黒ずくめの相手が、ひしゃげたテーブルへ広げた依頼書を手に取った。
「どうやら、近辺の裏通りで行方不明事件が発生したようですね。この依頼主はある裏組織の幹部で『仲間の一人が数日経っても戻って来ないため、その消息に関する情報提供を求む』というお話のようですが、」
「んだよ」
「これを選んだ基準は?」
「何日働かなくて済むか」
「なるほど」
「俺はそもそも字が読めない」
「はあ。では、今までどうやってお仕事を?」
「“ゼロ”の数なら分かるだろ」
返ってきた乾いた笑いには、紫煙を吹き付けてやる。人がいなくなるなんてのは、この辺じゃ良くある話だ。飢えた野良犬の腹を満たしてやっている聖人君子でもなければ、大体は忘れた頃になって出てくる。すると、依頼の続きを眺めていた相手が不意に視線を伏せた。グラスを満たす赤色がくるくると回っている。
「少し引っかかったのは、彼らの縄張り内で事件が起きている点です。最近も大柄な若い男同士が何度か小競り合いしていたそうで」
「そいつは“社交辞令”の間違いじゃねぇのか」
派閥に入らない分、裏通りの作法はひと通り習得済みだ。体格には恵まれていたから、どっかに入ればそこそこ出世できたんだろうが。生憎、この性分だから鼻つまみ者になるのが目に見えている。
「お言葉ですが、もし貴方の言うような些事ならば、自己解決するのが普通ではないでしょうか。それに至らず依頼してくるということは、組織でも手に負えない事態になっている可能性があります」
「大袈裟な。どうせツケを踏み倒してトンズラした輩への制裁か、裏切ったヤツへの報復が目的だろ。メンツがあって身内に言いづらいから外注したって線が現実的だ。その辺に張り込んで、それっぽい輩の情報を引っ張ってくりゃいい」
「ならば、条件として縄張り内での単独行動は禁止ということで」
「男の一人歩きに心配なんかいらねぇよ。つか、四六時中テメェが横にいたら気が狂う。そもそもついて来いだなんて頼んでねぇのに、」
「では、受けてきます」
「話聞いてねぇのかよ! おい!」
それは条件じゃなくて保身だろ。叫ぶ前に相手がすくっと席を立つ。さっきは勢いで引っ剥がしてきたが、ロクでもない貧乏くじを引いたらしい。掴み損なった黒衣の裾を、今は睨むことしかできなかった。
* * *
「平和だな」
「そうですね」
「今日もゴロツキが元気に喚いてやがる」
「ただ、客引きのお嬢様方から声をかけられる回数が少ない気がします」
「……それはテメェのせいじゃねぇか?」
「ほう? 理由は」
街灯がぽつり、ぽつりと照らす闇の中。頭一つ分だけ背の低い黒衣が、すえた臭いのする路地で足を止めた。背負っている“それ”から目を逸らすのが、少し遅かったらしい。
「前から思ってたが、荷袋にしちゃさすがに流行ってねぇぞ。その棺桶」
「便利ですよ? これだけ大きければ無くさないですし、盗まれもしません」
「置いてあっても触りたくねぇのは確かだな」
「ちなみに、今は何が入っていると思います?」
にたり、と口元だけが頭巾の下で歪な弧を描く。何度か口を開いて、返事をやめた。正解しても自分が困るだけだ。
「それで、例の依頼にあった話では、この近辺で行方不明者が出たと」
「俺もよく歩いてるが、この道は裏の裏だから治安は最悪だ。挨拶といえば拳かスリ、もしくは――」
がたん、と背後で響いた物音に振り返る。が、その前に首筋へ鈍色が添えられていた。
「痛い目見たくなきゃ、有り金置いてきな?」
ほら見ろ、と言わんばかりの展開に漏れる舌打ち。この辺りを縄張りにしているゴロツキだ。
「ふむ、身を挺しての実演説明とは。恐れ入ります」
「誰が身を挺してだコラ。ちゃっかり人を盾にしてんじゃねぇ」
「してませんよ」
「その頭巾を引っ剥がして、後ろに目玉がついてねぇなら信じてやる」
「仮についていたとしても、これを被っていたら結局見えないのでは?」
正論だが理不尽だ。というより、強盗なら金持ってるか弱そうな方を狙うのが定石だろ。
「下手に逃げようだなんて考えんなよ、赤毛野郎」
「だから周りをよく見やがれ。横にいる黒ずくめの方が寄付したくてたまんねぇって顔してるぞ? 着てるもんだって俺より上等だ。しかも枯れ枝みたいな手足してる。襲わなきゃ損だろ」
「いーや、お前みたいなゴロツキの方がまだ安心だな。殺しても恨まれねぇ。あんな棺桶背負ってるヤツの方が“ヤバい”に決まってんだろ?」
正論だが理不尽だ。大切なことなので二回言っておいた。さすがに隣が棺桶背負ったヤツだっていう想定で、物事を計算した試しはない。まあ、百歩譲って背後から襲っても刃が通らないのは理解できるが――いや、やっぱ前提がおかしいだろ。
どうすんだよ、この展開。横目で睨んでいると、やけに芝居がかった仕草で黒衣がすす、と後ろに下がる。
「これはこれは。お二人の寸劇を邪魔してはいけませんので、黒子の私はこの辺りで失礼します」
「は? 単独行動するなって言ったのはどこのどいつだ?」
「男の一人歩きには心配無用なんですよね?」
言いながら影がどんどん遠ざかり、闇に呑まれていく。おい、コイツ、マジで許さねぇ。
「おら、うちのファミリーに目ぇつけられたくなきゃ従え!」
「そんなの多過ぎていちいち覚えてられっかよ」
こっちはテメェらの幹部の依頼を片付けに来たっていうのに。随分な扱いだ。二束三文にもならない脅しをあしらいながら、状況を観察する。残念ながら、治安の悪さとコイツらの屈強さは比例していた。体格は腕っぷしを見る限り互角といったところか。右手には片刃の得物が一つ、左はおそらくガラ空き。
そうしている間に無言の催促が突きつけられる。提げていた革袋を指で示せば、男がそこを引っ張った。が、結び目が固くて解けない。
「モタモタしてんなよ。別の強盗が来るぞ」
「外れないんだよ!」
「じゃあ切っちまえばいいじゃねぇか。都合のイイもん持ってんだろ」
「やるか! 雑な誘導だな!」
「……乗ってくれりゃあ、気前良くくれてやるつもりだったんだが」
「いぎッ!?」
右手の注意が逸れた瞬間。片刃の向きが変わったのを見計らい、素早く手首を捻る。醜く呻いた相手の腕を首尾よく捉えた。視線の交錯。隆起した肩口を支点に、担ぎ上げた体躯を勢いよく地面へ叩きつける。
「人を見る目がなかったな」
こんな”挨拶”は日常茶飯事だ。きゅ、と鳴いて倒れ込んだゴロツキを足蹴に葉巻へ火をつける。一服しながら乱れた赤髪を掻き上げていると、遠くですす、と黒い裾が動くのが見えた。
「ご無事でしたか。あと数分したら憲兵様を呼んで来ようと思ったのですが」
「この裏通りだぞ。駆けつけてくる頃には裸に剥かれてる未来しか見えねぇ」
「ああ、なんとも神のご加護が遠いことで」
「近いことなんていつあった?」
肩をすくめた相手は軽口を取り合わなかった。少し歩きながら、行き場のない煙を夜空に溶かしていると。
――べちゃ。
ああ、最悪だ。側溝の手前に広がった黒ずみに、思わず顔をしかめる。うっかり得体の知れない物を踏んだ靴裏を地面に擦りつけていると、黒衣がその場へ屈み込む。
「血痕だったらしっかり”足”がつきますね?」
「やめろ、縁起でもねぇ」
「おそらく吸い殻が泥水へ溶け出したものでしょう。しかし、こうも同じ場所に溜まるとは珍しい」
「多分、俺がいつもここで吸ってるせいだな」
最低限の社交辞令ができる前提なら、人が寄りつかないこの裏通りは一周回って平和だ。我ながらいい場所を見つけたもんだという自画自賛を、黒衣の溜息が遮る。
「あまり小うるさいことを申し上げたくはないのですが、日に十本以上は吸い過ぎです」
「なんでテメェに母親ヅラされないとならないんだよ」
「……もう貴方一人の身体ではないのですよ?」
「既成事実っぽく言うのやめろ? ついでにテメェの肉壁になった覚えはねぇ」
「それにしても、なぜわざわざこんな場所で時間を潰していたのですか」
「最近、やたらと俺の行動に粘着してくるヤツがいてな。ソイツを撒くためだ」
「ふむ、それは大変お気の毒に。貴方を困らせるなんて、どこのどなたでしょうね」
「テメェだよ!!」
コイツのせいで裏通りへ通う頻度と吸い殻の量が増えたのは事実だ。狭い地域で同業者の行動範囲が被るのは珍しくない。だが、酒場で勝手に人の横に座って、テーブルの依頼書を覗き込んでくる輩は初めてだ。別に組んだつもりもないのに、なぜか気付くと横にいるこの黒ずくめには辟易する。あの時もどこからツッコめばいいのか分からなくて、その場で思考放棄した俺が悪いのは認めるが。
「ちなみに、数日前もこちらに寄りましたか」
「テメェが酒場にいたのを見かけたから、わざわざ遠回りしただけだ。そういや、その日もさっきと同じような挨拶されたな」
「その時はどうしたのでしょう」
「絡んできたヤツなら今みたいにボコして、その辺に投げておいた。生きてたか死んでたかまでは知らん」
「そのお相手は色黒で、頭に剃り込みのある、我々と同じ年齢ぐらいの方では?」
「あー、あんま意識してなかったがそんなヤツだった気もする」
「……」
「……」
「……吸い終わったら帰りましょうか」
「……そうだな」
――翌日。組織の人員に絡まれたのを理由に、俺は依頼の続行を断った。そして、気に入っていた葉巻の銘柄を泣く泣く変えた。
To be continued…




