トリック・オア・トリート
前回のつづき
結局、僕らがもとの姿に戻ることはなく――。
しかたがないので『陽大の家で預かっている親戚の子ども』として2年A組の教室へ連れて行くことになった。子ども3人のうち、僕だけはなぜか子ども化した意識も記憶もあるので、僕に限って言えば『連れて行く』というより『ついていく』に近い状態だけれど。
先生には事情を話してある。
陽大の家で預かっている子どもだけれど、父親は仕事で留守、面倒を見るはずだった母親も急な仕事が入ってしまって陽大が連れてくるしかなかった、と。
子どもたち(特に瑛人と杏実)は、陽大に遊んでもらえると思ってワクワクしている。突き放すのもかわいそうで、放っておけなかった。ふたりきりで留守番させるのも心配だし。
「そうか。なら、しかたないな」
先生は、陽大の席の隣に、予備の机をふたつ並べて、ちびっ子たちのための席を作ってくれた。瑛人君も杏実も、なにも知らない様子で、画用紙いっぱいにお絵描きして遊んでいる。クラスのみんなは、教室に小学生がいるこの状況が珍しいようで、気にしない素振りを見せながらも時々振り返っては眺めている。
「はい、ざわざわしないー。休み時間になったら一緒に遊んでやればいいから。授業中はちゃんと授業受けろよー?」
陽大たちが授業を受ける横で、子どもらしくお絵描きをするふりをしながら、時が経つのを待つ。授業終わりのチャイムが鳴ると、待っていましたとばかりに、クラスメイトたちが寄ってきた。
「ねえねえ、どこに住んでるの?」
「いま、いくつ?」
「名前はなんて言うの?」
瞬く間に質問攻めにされ、そのたびに陽大が、アイドル握手会の剥がしスタッフのごとく止めに入る。
「はいはいー。質問ある人は並んでー。質問はひとり1回だけねー」
慣れた様子の陽大。もしかして、イベント会場でバイトしてた?
……まあいいか。
年齢は7才くらいでいいとして、名前はどうしよう。まさか、もとの名前のまま言うわけにはいかないし。
「やまねえいと!!7さい!!」
僕がなにか言う前に、瑛人君が先手を切って言ってしまう。
「えいと…?」
ああ。だから、それじゃダメなんだって。
もし、7才のえいと君が、同級生の『山根瑛人』君だってバレたら……。
「そっか~。やまねえいと君か~。俺の友達にも、同じ名前の子いるよ。なんつーか明るい奴でさ、ちょっと、えいと君に似ているな」
「えいと君も、大きくなったら、瑛人みたいな感じになったりしてな!ははっ」
「やめてやれよー。えいと君はあんなにバカじゃねぇよー」
なんかめっちゃバカにされてるけど、とにかく、バレてはいないらしい。同姓同名の明るい少年、くらいに思われてるみたいだ。
うん。まあ、瑛人君――もとい『えいと君』はこれでもいいか。
さて、杏実はというと、恥ずかしそうに僕の影に隠れて小さい声でなにかしゃべっている。
「……めいしゃ」
「え?」
クラスメイトが訊き返して、僕はハッとした。
あ。そうか。杏実、成長してからの記憶を失ってるんだ。だったら、いまは本来なら外国にいた時期の記憶しかないはず。
向こうの国にいたころの杏実は『有栖川杏実』とは名乗っていなかった。有栖川の姓を名乗り始めたのは、日本で暮らしていくにあたり、養子縁組の手続きをしてしまったほうが手っ取り早いと踏んだから。それに、外国の人に『アミ』は言いにくい。確か、『アミ』ではない、別の名前を名乗っていたはずだ。
「メイサ。そう、メイサだよな?」
「うん…?」
小さな声で、話を合わせろ、とささやく。
「うん。メイサだよ。年は8さい」
「そっかーー。メイサちゃんかー。かわいいねえ」
「ちょっと男子!」
僕が言うのもなんだけど、杏実は美人だ。だから、当然と言えば当然だけど『メイサちゃん』もおとぎ話から出てきたお姫さまみたいに、かわいかった。もちろん杏実本人には言わないけれど。
さて、問題は僕である――。
「君は?君はなんて言うの?」
まさか、ここで正直に『有栖川七星です』と言うわけにはいくまい。『有栖川』なんてそうそういる苗字じゃないし、なにより、僕の場合はクラスメイトだ。ただの同級生や1学年下の後輩というよりも『元の有栖川七星』と顔を合わせている回数が多いし、そのまま名乗れば、あれ、もしかして、と疑われてしまう可能性は高くなる。
「あー…タナカ…田中…、ほ、北斗…」
「田中北斗君?」
『田中』は、苗字ランキング全国4位の、よくある苗字のひとつだ。
『七星』の由来は、天体好きの父親がつけた『北斗七星』から来ているから、なら、『北斗』でどうだ。
これなら『田中北斗』が『有栖川七星』だと気づく人間もいないだろう。
「北斗君は何才?」
「な…、7さい…」
ほんとは17歳だけど。
「じゃあ、えいと君と一緒だなー」
うん。そうだね。もうなにも言う気力はないよ……。
「親戚って言ったけど、誰と誰が兄弟なの?」
「あー…それな、みんな俺の親戚ではあるんだけど、それぞれ別の家庭の子どもなんだよね。叔父さんの奥さんの妹の子どもとか、いとこの旦那さんの姪っ子とか。だから、苗字もバラバラだし、住んでるとこもバラバラなのよ」
よし。陽大、ナイスフォロー。
「それって親戚なの…?」
「ほぼ他人じゃん…」
「まあ、遠い親戚みたいな、そんな感じ?」
どっちだっていいけど、うまく誤魔化せたのなら、それでいい。
『7才のやまねえいと君』と『メイサちゃん』『田中北斗』は、すぐに教室の雰囲気に馴染んだ。授業中は借りたスケッチブックにお絵描きをして、休み時間はみんなとおしゃべりをして。そういえば、小学生のころは、親戚の集まりに出席するといつもこんなふうに時間を潰していたな、と思い出す。まさに童心に帰るというやつだ。
――ひょっとして、コンバート、おまえが言っていたのはこういうことなのか?
子どものころの、あるいは幼いころの『純粋な心』を思い出せ、と。
穢れを知らないまっさらな心だからこそ、見えてくるものもあるはずだ。
僕たちは大人になってしまった。
身体が大きくなったのはもちろん、知恵がつき、ズルさや反抗心なども少しずつ芽生えて、親や教師の庇護から離れ、自立しようともがいている。
――キーンコーンカーンコーン。
4時間目の終わりを告げるチャイムが鳴った。
待ちに待った昼休みだ。
みな、持参した弁当を広げ、中には弁当を持ったまま教室を出て行く子もいたり、財布を片手に出て行く子もいる。彼らは中庭や学食へ食べに行く子たちだろう。購買部で人気の焼きそばパンを買いに行く奴もいるか。
僕はというと、毎朝、自分と杏実の分の弁当を作って持ってきている。陽大は購買派だ。瑛人君は、確か、お母さんが作ってくれていると言っていたっけ。
「飯、食いにいこうぜ」
陽大に誘われて学食へ向かう。ほら、杏実と瑛人君も行くんだよ。
「ごはんー?」
「そう。ベントー、持ってきてるから。えいと君のぶんも、おべんとう、あずかってるよ」
「わーい!ごはんだー!」
ふたりとも、いかにも子どもらしい反応で笑ってしまう。いや、記憶がないのだから、当然といえば当然だけど。
学食に着くと、別のクラスの彩春ちゃんと1年生の詩乃ちゃんが来ていた。子ども化した僕たちを興味深そうに眺めている。
「へぇ…。話には聞いてたけど、ほんとに子どもになっちゃったのね」
「有栖川先輩、かわいいです♡ はぁああ……このまま弟として連れて帰りたい……」
う、詩乃ちゃん?
なんかいつもと様子が違うけど、大丈夫かな。
「あー!!おかし!!おかしがあるーーーっ!!」
突然、えいと君が駆け出した。
購買部の棚には、ノートやペンなどの学用品のほか、昼食用の弁当やパン、小腹が空いたとき用のお菓子なども売っていて、えいと君は、そのさまざまなメーカーのお菓子が並んだ棚の前に立ち止まっていた。
僕たちが追い付いたところで、くるりと振り向き、ねだるように言う。
「ねえ!おかし!おかし買って!!」
「え……いや……それは……」
正直、いまはお菓子よりも弁当やパンなど、ちゃんとした食事になるものを買うべきだと思う。瑛人君も杏実も弁当を持ってきているから、そもそも買う必要はないのだけれど。
「やだ!!おかし!!おかしたべたい!!!」
「……メイサも。メイサも、おかし、たべたい」
うん……まあ、子どもって、お菓子食べたがるよね……。ごはんが入らなくなるから、やめなさい、って言ってもこのとおりだ。
しまいには、ふたりで口を合わせて『例のセリフ』まで言い出した。
「おかしくれなきゃイタズラしちゃうぞー!!」
トリック・オア・トリート、ってか。
「七星、知らなかった?こいつ腹減ると亀田興毅みたいに怒りっぽくなるんだ……ほら、スニッ○ーズ」
陽大は、言いながら、アメリカ製のチョコレートバーを手に取り、えいと君たちに1個ずつ渡す。
「1個だけだからね?あと、お兄ちゃんがお金を払うまでは、絶対に開けないこと。開けるのは、向こうのテーブルのとこで、な」
「はーい!!!」
陽大の言い方がよかったのか、子どもたちは素直に言うことを聞いてくれた。
いまは、お菓子を食べてご満悦の様子である。
「キミを取りもどせ!おなかがすいたらスニッ○ーズ!!!」
ご機嫌なえいと君は、どこかで聞いたようなセリフを吐く。
すると、突然、もくもくとした煙がふたりを包んで、次の瞬間、見覚えのある『高校生の姿』の瑛人君と杏実が現れた。
「あれ…?なんで俺、ここにいんだ…?」
「瑛人、覚えてないのか?例のマンホール踏んで、そんで子どもになって、午前中ずっと、俺らが授業受けてる中、お絵描きして過ごして、ついさっきだって、お菓子食べたいって大騒ぎしてたんだぞ!?」
「うーん……覚えてない……」
7才のえいと君は、なぜ、自分が『7才の姿』になったのかもわかっていなかった。直前まで『17歳の山根瑛人』として登校していたことも、すっかり忘れていたのだ。そして、もとの姿に戻ったいま、子ども化していたときの記憶もよく覚えていないという。
「杏実は……?杏実、マンホール、自分で踏んだよな?それは覚えてるんだろ?」
「んー?」
こっちもなんだかはっきりしない返事。いったいどういうことだ。
「えっとね、踏んだよ。でも、そのあとのことはよく覚えてないの。なんかふわふわして夢のなかにいるみたいな。ああ、そんなこともあったような……なかったような……詳しくは覚えてなくて、ぼんやりとしてるの」
エイトだってそうだよね、と言われて瑛人君が頷く。
「ていうか、君、誰?陽大の弟?」
あ、そうだ、そういえば説明がまだだった。
「コンバチャンネルで言ってた『はぴはろマンホール』が、なんでかわからないけど、うちの学校の前の歩道にあったんだよ。で、瑛人君と僕は間違って踏んで、そしたら、杏実が踏んでみたいとか言い出して……」
子ども化しているあいだ、もとの本人の意識があるかどうかは、完全な個人差のようだけれど。
「七星も食ってみる?チョコレート」
「あ。うん」
陽大からチョコレートバーを受け取って、ひとくち、かじってみる。すると、瞬く間に白い煙が立ち込めて、僕の身体を包み込んだ。
煙が消えて、辺りを見回す。
「……どう?」
「うん。戻ってる」
目線を下げ、手のひらを見つめる。幼い子どもの手じゃない。成長した、高校生男子の手だった。
「記憶は?」
「はっきり覚えてる。マンホール踏んだことも、子ども化しているあいだに起きたことも、いまさっきチョコレート食べたことだって」
「じゃあ、やっぱり個人差なんだな」
この現象がなんだったのかはわからない。
でも、コンバート――例のV Tuberが言うには『ハロウィンを祝うためのサプライズ』らしかった。今日が10月31日だから。
不思議な一日ではあったけれど、どこか、悪くない、と思っている自分がいた。
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