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悟の甲子園   作者: 田中氏
6/13

女監督登場

「えー、今日から我らが大倉橋高校にまた新しく仲間が入ります」

 主将の糸田がグラウンド挨拶の前に部員を全員集合させて新入生を紹介させた。

「はい。井口悟です!! ポジションはピッチャー志望で、中学時代は全国大会で優勝した経験があります」

 井口の紹介で部員一同にどよめきが走った。おそらく詳しい野球人なら井口の名前くらいは大抵知っているだろう。

「すげー井口ってあの全中NO1左腕のあの井口悟だろ?」

「今年は全中制覇メンバーが二人もいるなんて、もしかしたら俺らでも甲子園行けるかもしれねえな」

 悟も部員の歓迎ムードに一安心した。知れた顔もいるし、とりあえずは何とかやっていけるだろうと予感した。そのままランニングに入るらしく悟は勇人の隣に行く。

「なあなあ、ここの監督さんってどんな人?」

「実は俺も見たことないんだよ。先輩に聞いてみたら去年顧問してた先生が定年退職になったみたくて今は一応部長の先生が時々練習を見てくれてるんだけど」

「じゃあ、今、監督はいないってことなん?」

「そうなるな。でも、キャプテンの話じゃ今日にでも監督が決定するって話だぜ」

「こら、そこ一年。ランニング中喋ってんじゃない!!」

 糸田の叱責が飛んだ。二人は小さく『は~い』と申し訳なく謝った。

「あと、お前らペース……速すぎだぞ!!」

 二人が振り返ると後ろには先輩たちの疲労困憊した姿があった。



 女が一人、校庭に向かっていた。その光景が異質なのか周りの生徒がその女に視線を向ける。いや、異質なのはその女の姿だけであった。女は紅い長袖のアンダーシャツと白ベースボールパンツ。白のハイソックスを纏い、大倉橋高校野球部指定のキャップを身に纏っている。女は長い茶髪の髪をゴムでくくり、メイクも最小限に留めている。しかし、整った容姿、ユニフォームから浮かび上がる女性らしい曲線は男子生徒や教師を魅了し、女子には奇異の視線が向けられた。そんな視線を全く気にしていないのか、女は堂々とグラウンド内に入ってきた。最初に気付いたのは糸田だった。糸田はその女の方に走っていく。

「なあ、勇人。あのユニフォーム姿の女」

「ああ、新任の|雪峰先生じゃん。どうしたんだろ? ユニフォーム姿で」

 雪峰春名ゆきみねはるなは今年度から二年英語を担任する新任教師で、緩い茶髪のパーマと目、鼻がくっきりとしていて、歌手の大塚愛にそっくりだと男子生徒には特に人気の先生だ。そんな男子生徒のマドンナが、おそらく一番似合わないであろう野球部のユニフォームで登場してきたのは部員はおろか男子生徒の大多数は衝撃を受けているだろう。

 そんな悟と勇人の会合の最中、糸田が部員全員を招集した。

「えー、本日から野球部監督に就任してくださる、雪峰春名先生です」

「えええええええー!!」

 部員全員から驚きの声が上がった。

「すげえ!! 女監督かよ!!」

「実写版パワプロのあおいちゃんじゃん!!」

「やったぁ。春名先生が野球部監督なんてめっさ嬉しい!!」

 どうやら戸惑いはなさそうだと勇人は複雑な気分だった。

「みんな、こんにちは。今日から野球部監督に就任しました。数学の雪峰です。みんな女が監督だからって不安はあると思うけど、一生懸命頑張るのでよろしくお願いします。私はこのチームを甲子園に行けるチームにするつもりです。そのために厳しいこと辛いことたくさんあると思うけど一緒に乗り切っていきましょう!!」 

 はーいっと情けない返事の野球部員に勇人とマネージャーの愛理は呆れてしまう中、一人だけ違う部員がいた。

「甲子園行くためにはまずあんたが監督辞めた方がいいと思うんだけどな……」

 思わぬ発言に雪峰おろか部員全員がその発言者の方に視線を向けた。勇人は頭を押さえた。やっぱりあの男だ。

「いくら野球部に力入れてないからって女が野球部監督ってありえないでしょ」

 悟だ。悟の悪い癖が出てしまった。悟は良くも悪くもお山の大将的人間だ。少しでも納得いかない、腑に落ちないことは喧嘩腰で望んでくる。確かに女が野球部の監督というのは悟が素直に納得するはずはないと感じていた。勇人は雪峰を見た。泣きそうな顔をしているのかと思いきや、まるでこの反応は計算済みという表情だ。まあ、確かに想定の範囲内といえる事象だが、どう対応するか。

「――どうして女の監督はありえないの具体的に説明して」

 雪峰もどこか挑発めいて悟に質問した。いや、どこかクレバーさも兼ね備えた大人な問い返しだ。

「具体的に言われても、頭悪いから出来ないっすけど。まあ、俺的には自分より下手な奴に野球教えてもらいたくないっすね」

「あら、私のプレーをどこかで観たことあるの?」

「え、先生って野球してたんですか?」

 部員の一人が話を割った。雪峰が笑顔で答える。

「ええ、こう見えても東京の女子リーグでサードレギュラーで出場してました」

「へん。所詮、女子のリーグでほんのちょっと上手かったレベルの話だろ。高校野球はそんなレベルじゃないぜ。高校野球の監督はミーハーファンがやっていいとこじゃないんだよ」

「井口。監督に口が過ぎるぞ」

 糸田が悟に叱責を与えたと同時に雪峰は悟の前まで歩み寄った。雪峰の身長はそれほど高くない。

175㎝の悟より10㎝ほど低いくらいだから165㎝あるかないかくらいである。肉付きもやっぱり女性らしいくらいで留まっており、力強さを主張する部分は感じ取れない。悟の言った通り所詮は甘い女子野球で育った程度の人なのか。

「なら勝負しよ。井口君」

「――え」

「確か、井口悟君よね。入部希望シートを読んだわ。希望ポジションはピッチャーみたいだけど、私と1打席勝負して私が勝ったら私を監督として認める。負けたら潔く監督職は降りるわ。どうかしら?」

 春名がぐいと顔を近づけてきたため思わず悟は顔を反らし頬を赤く染めながら要求を飲んだ。どうも調子が狂う女だ。

「決まりね。内容はどうする? 決めていいよ」

「一打席勝負。一球でもあんたがバットにボールが当たれば勝ちにしてやるよ」

「あら、そんなに簡単に勝たせてもらっていいの?」

 確かにこれは春名に有利すぎる勝負だ。勇人との勝負とは比べ物にならないくらい甘い条件だ。悟が心底春名を舐めている証拠だ。

「勝ってから言うんだなそのセリフは。俺がどんな投手か知っててそんなこと言えるのかよ」

「ええ、全中NO1左腕ってシートには書いてたもんね。たかだか中学生の日本一ぐらいで大したお山の大将ぶりね」

「何!?」

「その条件は飲めないわ。それじゃ負けた時にの言い訳がいくらでも立っちゃうでしょ。ヒット性の当たりなら私の勝ち、それ以外は井口君の勝ち。これで行きましょ」

「あんた、初見で俺の球打てると思ってんのかよ」

「この方が勝負としては面白くなったでしょ。早く準備品しなさい」

 そう言って春名は適当にバットを一本を選出し、軽く素振りを始めた。悟もグローブを取りに行く。

「もう、入部早々にしでかして」

 愛理が心配そうな表情で悟に話しかけた。悟はどこ吹く風だ。空気の読めなさ、マイペースさが戻ってきたのは悟らしいことなのだが、愛理にしろ勇人にしろやっぱり悟の後先考えない行動には肝を冷やされる。

「大丈夫だよ。女が俺に勝てるわけないしな」

 悟は今思いついた。この野球部の正捕手のことだ。誰がこの野球部の正捕手なのだろうか。

「すみません。キャッチャーの人誰ですか?」

「おう、俺だ。よろしくな」

 ひとりのぶいんらしき男が挙手した。たらこ唇に角刈りが特徴的な人だ。見た感じほかの部員に比べて体つきはがっしりしているほうだ。さすがはキャッチャーと言ったところか。

 勇人は少々キャッチャーの広田ひろたが心配であった。勇人は広田のキャッチングを見たことがあって、どう見ても長年キャッチャーをやってきたものとは思えない技術だった。先輩に聞くところによると広田は元々外野手志望で入部したのだが当時大倉橋高校では捕手がいなかったということで広田が一年レギュラーを狙ってキャッチャーにコンバートしたという話だった。

 悟のストレートは140㎞をゆうに超える。その上サウスポーはどうしても球質上対角線投法になってしまうので、捕手としての技術が確かなものでないとサウスポーの特徴を生かしきれない上に怪我まで誘発してしまう。

 捕手が必要だ。悟はおそらくこのチームではエースになることは確実だからこそ確かなキャッチング技術を持ち合わせた捕手がこれから必要になってくる。

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