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悟の甲子園   作者: 田中氏
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綺麗なスニーカー

 桜が舞い散る、小鳥のさえずりが響く。

 4月7日は都立大倉橋高校の入学式。新入生が緊張した面持ちで学び舎に向かう。新しい制服が着なれていない感を漂わせている。井口 悟もその中の一人だがとても新入生らしい緊張感がない。学ランの前を全開にし、豪快に腰パンをしている様は新入生というより2~3年のやさぐれた愚学生だ。女学生の何人かは悟の端正な顔立ちに視線を傾ける者もいるが、大抵の学生は異様な雰囲気の悟に一歩引いている。

「悟。ちょっと待ってよ」

 肩口くらいの黒髪の黒い大きな瞳が特徴的な少女が悟に駆け寄ってきた。

「―――愛理?」

 鳥羽 愛理だ。愛理はてっきりどこかの女子高に行くもんだと思ってた。悟は正直言って勉強に関してはあまり得意ではない。推薦先を蹴って二次募集に踏み切るにあたって悟の学力で行けるのはこの大倉橋高校が最高のラインだった。無論、愛理に関して言えばもっと偏差値の高い私立でも十分合格できると思っていた。

「もう、入学式くらい一緒に行こうよ」

 愛理が鞄で悟の足をこづいた。悟はごめんと一言だけつぶやいた。

「そうだよ、悟。冷たいな」

 愛理よりロングヘアーの黒髪の少年が後ろからやってきた。

「ゆ、勇人!? 何でお前ここに?」

「お前がせっかく決まった強豪私立の推薦を蹴ったって聞いたから、慌てて後期入試の願書を出したんだよ。お前の頭ならここくらいしか行けないしな」

 綿貫 勇人わたぬきゆうとは笑いながら前髪が目に入らないように付けているヘアバンを上げながら言った。勇人も同様に推薦先を蹴ってまでここにやってきた。

「ぬかせよ。それにお前まで合わせれることなかったのに」

「まあまあ、いいじゃないか。俺は野球さえできりゃどこでもいいしさ。お前も入るだろ野球部」

 急に悟の表情が重くなった。愛理だけはその表情に気付いた。

「まあ、大倉橋高校って聞いたことないけど、野球部くらいはあるだろうし、俺ら二人がいれば甲子園だって目指していけるぜ」

「悪いけど、俺野球部はいらないから……」

「え?」

 悟は愛理と勇人をそのままにし、学校へ歩いて行った。愛理も勇人も悟を追いかけず黙って見送ってしまった。

「やっぱり、あれが原因かな。愛理ちゃん」

 勇人は愛理に尋ねた。二人は同時にあの出来事を思い出した。順風満帆だった悟を奈落に突き落とした。3週間前のあの事件を。それを知らずか春の疾風が二人を包んだ。




 悟は8月の全国大会優勝をした境から一気に注目を浴びるようになった。各地域の強豪校が一斉に悟にスカウト活動するようになったのだ。いや、一層スカウト活動が激しくなったと言っていい。

 悟のチーム『東シニア』は関東では指折りの強豪チームでなおかつ悟たちの世代は東シニア最強の世代としてレギュラー全員に強豪校の推薦があった。勇人自身も東シニアの4番で悟と同じ高校の推薦をもらっていた。悟と勇人の推薦入学を受け入れた私立東京鉄園学院は全国一位のエースと四番が手に入るということで特に問題もなくとんとん拍子で推薦入学の手続きを済まし。10月には入学決定とそれまでの期間中は東京鉄園の練習にも参加していた。

 何もかもうまくいってた。3月15日の悟を襲ったあの事件を除いては……


 悟は1年D組に配属された。勇人が同じクラスで、愛理はA組とクラスが分かれてしまった。悟は廊下側の真ん中あたりの席で一人ぼーっと教室の壁にある過去の先輩が書き記したであろう落書きを眺めていた。

「悟、この後俺野球部覗こうと思ってるんだけど」

 勇人が悟に尋ねかけた。悟は半ば無視を決め込んで答えようとしない。

「まあ、気が向いたらでいいから来いよな」

 勇人はしつこくはせず、悟を置いて教室を出て行った。

「……はあ、愛理誘って帰ろ」

 悟はD組の教室を出て、愛理のいるA組に向かった。廊下に出ると何人かの学生が体操着や学校指定のジャージに着替えて部活に向かっている学生が見えた。今は仮入部期間でそれぞれ仮入部先で練習をして5月までに本入部を決める。

「ん、愛理……」

 A組に向かったが、愛理の姿がない。A組の女子がやけにざわついているのが気になる。

「なあ、あんた」

「は、はい」

 悟が一人の女子に声をかけた。取り巻きらしき女子がきゃーきゃー言っている。

「鳥羽愛理って女、どこにいったかわかる?」

 取り巻きが『誰、誰』と顔を見合わせている。確かに今日が初対面の愛理の名前と顔を覚えているわけない。

「あれ、井口君……」

 か細い声が聞こえてきた。それも聞きおぼえがある女の子の声。

「あ、冬香とうかちゃん」

「井口君、どうしたの?」

 坂本 冬香さかもととうか勇人と同じくらい長い黒髪の少女で、目が前髪にかかってみえないが、おとなしくてかわいらしい子だ。勇人とは幼馴染で、よく勇人と冬香と愛理と自分で遊びに行ったりする仲だが、まさか高校まで一緒とは思ってなかった。

「そうだ。冬香ちゃん。愛理はどこにいるかわかる?」

 改めて悟は冬香に尋ねた。

「愛理ちゃん、野球部に行ったよ」

「野球部!? 俺と冬香ちゃんほっといて?」

「私も野球部に誘われたんだけど……今日は用事があって。井口君は誘われなかったの?」

 勇人は少なくとも誘ってくれたのに、愛理はまるで悟の存在を忘れてしまっているみたいだ。悟は冬香に見えないように舌打ちをした。

「どうする? 野球部までついていこうか?」

 冬香が空気の悪さを改善しようと悟に優しく問いかけた。

「あ、いや。いいよ。今日は一人で帰るよ」

 悟も悟で冬香に気を使わしてしまったと思い。怒りの表情から柔和させた表情で答えた。しかし、これ以上たとえ冬香であろうとしつこくされるときつく当たってしまうかもしれない。そんなお門違いなことは冬香にさせてはいけない。

「うん、わかった。じゃあまたね。井口君」

「ああ、また勇人とか誘って昼飯にでも行こう」

 悟はまるで社交辞令のような約束だけとっつけて、冬香と別れた。A組の教室から出て、冬香の顔が見えなくなったらまた悟は柔和な顔から苛立ち気な顔に逆戻りした。この辺りの窓ガラスを思い切りぶん殴りたい心境だ。自分がもう野球をしないと言えば勇人もやらないと思っていた。愛理も自分の気持ちを察してくれると思っていた。自分勝手な想いだし、別に思い通りにならなくても向こうは100%悪くないのは理解できるが、不条理な事故にあった悟にとって自分の思い通りにならないということは何でもかんでも不条理に感じてしまう。今の悟では一人で放ってほしいと人を遠ざけながら人の恋しさを求めてしまう。そんな不可思議な気分に陥っていた。

 あの事故……あの事故さえなければ……

 悟は鞄を乱暴に左肩にぶら下げ、下駄箱から白のスニーカーを取り出した。今思えば中学時代はこのちゃちな学生用の鞄も当時は白のエナメルバッグで靴もスニーカーではなく白のアップシューズだった。自然と野球が悟の体内や精神から消えていく。人望もなく野球まで消えてしまったら本当の孤独になってしまうんじゃないか。そう思うと悟は下駄箱の前で自嘲的な笑みを零した。

いずれ、勇人や愛理の話とかも書きたいですね

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