邂逅
惣定と悟は東京鉄園学院の最寄駅を降りて東京鉄園野球部Bグラウンドに続く坂道を二人で歩いていた。無言のままだ。惣定が全中大会決勝戦の相手だったとは今まで知らなかった。勇人は恐らく知っていただろう。何度も新入生研修に惣定がいると自分に話しかけてきたことがあったからだ。それをことごとく興味がないと返してきた悟だったから、惣定がその事実を知っていたら相当プライドを傷つけてしまったことになる。忘れてはいけない試合を悟は忘れていたのだ。悟は物事を固執する性格ではない。故に自分が勝った試合のことは覚えていても相手がどんな奴だったのか、どんなチームだったのかなんて、わざわざ負けた相手のことを考えるなんて殊勝なことを悟はしてこなかった。心の中で申し訳なさと後ろめたさが浮き上がってくる。
「もうすぐ鉄園のグラウンドに着くぜ」
「あ、ああ。そうだな」
「大倉橋高校はどうなんだ? 井口」
「ん、ああ、東京鉄園と違って一回戦ボーイの弱小チームだ」
「なるほどな。安心しろこっちだって二軍が相手だ」
「二軍でもうちに来れば全員総替えでレギュラーになっちまうだろ? 戦力差ありありだよ」
「怖気ついているのか?」
「まさか、いくら東京鉄園の二軍でも俺の球は打てない。後は勇人がお前から打つ。それで俺らの勝ちだ」
悟は自信満々に言ったが、逆にそれ以外勝ち目がないのだ。惣定がどのような投手かは今は覚えていないが、おそらく大倉橋ナインでは手も足も出ないだろう。惣定を打てるのは恐らく勇人ただ一人。
「あの時の再現をしようってのか?」
再現か。確かに全中の決勝戦。互いに既定の9回までノーヒットピッチングが続いていた。しかし、勇人が最後に決勝ホームランを放ったのだ。悟はその後ノーヒットノーランを達成したあの試合。京都中央シニアは惣定のワンマンチームだった。惣定が投げて惣定が打つ惣定ありきのチームだった。おそらく惣定のあの誇り高さと殺気はこのチームで養われたんだろう。誰も頼りになる存在がいないがために孤軍奮闘してきた男にしか出せない。
「完成したぜ。ドロップを……」
「ドロップ?」
惣定が鉄園のグラウンドに入る通用門に差し掛かったところで告げてきた。
「ああ、あの時の再現などさせない。俺は絶対お前らを抑えて勝ってやる」
そう言い残した後惣定と分かれた。惣定がドロップの存在を悟に申告したのはおそらく彼なりの配慮なのだろう。この試合では惣定と悟の優劣を競う試合には到底なりえない。戦力差がありすぎるからだ。こっちは全員が中学生並、自分が所属していたシニアチーム以下の戦力しかないチームにかたや二軍とはいえ東東京NO1の戦力。竹槍で戦車に突っ込むとはこのことだろう。そのため彼なりのハンデとして新変化球の存在を悟に知らせたのだ。ほんの少しでも不公平がないように。
「おい。悟」
「井口。何やってんだお前は!?」
考えことをしていた悟に大倉橋のナインが近寄ってきた。どうやら先に到着していたみたいだ。
「どういうことじゃないっすよ。俺放って置いてバスで行っちゃうんすから」
後ろから春名が悟に拳骨が飛ばした。。悟は痛さに団子虫のように蹲った。
「遅刻したあなたが一番悪い。さっさと広田君とアップしに行きなさい!!」
「う、うっす」
この馬鹿力……悟は腑に落ちない表情で広田とともにアップしに行った。
全中大会の決勝戦光線銃のように厳しい日差しが照りつける日だった。グラウンドの土から水分がサウナのように噴き上がってくる。疲労度は限界に近かったが、惣定は平然とした表情で投げ続けた。自分のチームの戦力ではこの東シニアには勝てない。東シニアは井口、綿貫しか注目されてないチームだが一人ひとりの個人能力の高さに惣定は苦しめられた。ここまでノーヒットで来れたのも運がいいだけの話だ。自分の精神力がどこまで持つかそれがこの試合の結末を変える。
「すまん。惣定」
また打ち取られたみたいだ。情けない顔しながらベンチに帰ってくるチームメイト。
「別に期待してない」
惣定はそう冷たく言い離した。惣定は彼らには何も求めていない。惣定は京都中央シニアのメンバーには一度も結果を求めてことはない。自分が投げて自分が打つ。この試合のシナリオは必ず惣定の中で守らなければいけないものだ。
井口悟。素晴らしい投手だ。他人を認めざる得ない人間に出会うなんて何年振りだろうか。唸り上げるようなストレート。一球一球に魂がこもっているのがわかる。信念を感じる投球だ。自分のためだけに戦っている男の顔ではない。いるのだ。この男には勝たせたい相手が。
自分の投球のこと以外に神経が行ってしまったからか、惣定は10回表に突如投球が崩れた。先頭打者の井口に右中間ツーベースヒットを打たれてしまった。4番の綿貫の前にランナーを出してしまった。
惣定は孤独を感じた。ツーアウト二塁。一打あればまちがいなく決勝点になってしまうだろう大ピンチにマウンドに駆け寄ってくれるナインは一人もいない。内野は内野で外野は外野で気の知れた仲間同士での打ち合わせに惣定は入っていない。完全に蚊帳の外だ。
『仲間などいらない。自分が抑えて自分でこの試合をもぎ取る。それが自分のすべてだ』
惣定は大きく振りかぶった。それを見た井口も三塁へとスタートを切る。走りたければ走れ。本塁まで来させなければいい話だ。綿貫には今の自分の持ち球では完全に抑えられない。あの球しかない。内角低めに切れ込むドロップ。ドロップの完成度はそれほど高くない。二球に一球はすっぽ抜けの棒球になってしまう。しかし、それでも他の変化球が通じる相手ではない。今はこの球に頼るしかない。惣定の指から放たれた硬球はそのまま綿貫のバットに吸い込まれ、バックスタンドに叩き込まれた。決して失投ではない。完璧に内角低めに切れ込み降下する最高のドロップだった。それを完璧に打たれた。いや、完璧ではない。完璧ではないから打たれたのだ。球が降下する位置、高低、スピード差、何かが欠如したために打たれたのだ。
綿貫に打たれたツーランが決勝点となり、自分は負けた。初めて自ら認めなければならない敗北だ。惣定は自分のすべてを覆されたような気がした。
俺は覆されたままで終わらない。必ず倒す。必ず……