ドコダ伯爵子息とコチラデス夫人は仲睦まじい
アプフェル王国の名物夫婦といえば、必ず挙がるのが『ディコーダ伯爵の息子夫婦』の名だ。
国境線を守るべく武力に長けた血筋の伯爵家に生まれたライレン・ディコーダ伯爵子息と、
宰相の末娘であり頭の回転の速いメモリア・コーティラス伯爵令嬢。
ふたりが結婚した経緯は単純明快『お見合い』だ。
双家の当主同士が話し合い、殆ど話がまとまった状態での顔合わせで、二人は互いにポカンと口を開けたまま顔を見合わせた。
片や、身長が190センチを超える超肉体派の屈強な男。
片や、身長が150センチに足りない細身で可憐な娘。
熊とリスの種族を超えたお見合いとして名高いこの伝説のお見合いを機に、
二人は(半ば強制的に)交際を始め、(当主による圧を受けながら)着実に信頼関係を築き上げ、(宰相によって組み上げられた綿密な予定通りの日程で)新居への引っ越しやら挙式やらを済ませ、晴れて夫婦となった。
そんな二人の何が名物なのかといえば…
「メモリア、どこだ!?」
「こちらですよ、ライレン様」
身長差が大きいが故に、夫が妻を見失うのが日常茶飯事で、常に「どこだ!?」とキョロキョロと探し回っているのだ。
時には普通に隣に立っているにも関わらず「どこだ!?」と探されていることもあり、夫人はいつも、もう少し視線を下げてくださいませと呆れ顔だ。
そんな二人のやり取りは有名すぎるほどに有名で、彼らの婚姻前の苗字になぞらえて『ドコダ伯爵子息とコチラデス夫人』などという渾名がこっそり付けられるほど。
頻繁に見失っているとはいえ夫婦仲が悪いわけではなく、むしろよく夫婦で連れ立って街や社交場に姿を現すため、どこだ!?こちらです。と探し探されている姿が目撃されているのである。
今日も夫婦は連れ立って、伯爵領の領都で開かれているお祭りの様子を見に来ていた。
まだまだ現役、元気いっぱい朗らかな現領主も人気ではあるが、小さな仔リスを連れてのっそり巣穴から出てきた熊のような次期領主夫妻は街の人に大人気である。
歩くたびに、出店の商品が詰められた持ち帰りの袋が増えていく。
若さま!と国境警備隊が有志で出している出店に呼ばれたライレンが左を振り返り、
若奥さま!と手芸愛好家のご婦人に呼び止められたメモリアが右の出店を振り返ったため、
ライレンが視線を戻したときにはメモリアは人混みに紛れてすっかり見えなくなってしまっていた。
「どこだ!?」と腹式発声で放たれた問いかけに「こちらですよ」という呆れの混ざった声が応じる。
勝手知ったる領民たちは皆素早く場所をあけて、ライレンとメモリアの間にまっすぐ道が出来るよう配慮する。
やっと仔リスの姿を視界に収めた熊は、ずしずしと歩いてその前にぬんと立った。
「どうしていつも消えるんだ?」
「ライレン様が下を向かないからでしょう」
「いや、きみがちょろちょろと……」
「ちょろちょろと?」
「うん………すまん」
鋭い視線を向けられて、叱られた熊はシュンと肩を落とした。
肉体派のディコーダ伯爵家出身のライレンが、口達者で謀略家と名高いコーティラス宰相の娘に口で敵うはずもない。
ただ、小さくて華奢なメモリアが腹を立てたところで、可愛い仔リスがぷんぷんと頬を膨らませているくらいの迫力しかない。
「近くに居ても遠くに居ても見失うんですから……ライレン様がわたくしを見失わなかったのは結婚式での大聖堂の中くらいでしょうか」
「ああ…あの時は特等に綺麗だったからな、目が釘付けになった」
「っ!」
仔リスが照れ隠しに熊の腕をペシンと叩いたが、虫でも付いていたか?とダメージが与えられた様子は全くない。
そんな二人のやり取りを生温かく見守る領民たちは、せっせと次期領主夫妻への貢物を、彼らに付き添っている伯爵家お抱えの騎士や使用人たちの腕へ積み上げていく。
いつもながらのことだが、これじゃあ仕事に支障が出そうだなと騎士らが苦笑して顔を見合わせたとき、程近い路地からボン!ババババ…ボン!と立て続けに何かが破裂するような音が聞こえた。
周囲はにわかに騒がしくなり、破裂音に驚いた人たちが不測の動きをする。
メモリアも急な破裂音に思わず立ち止まり、余所見のまま駆けてきた領民にドシンとぶつかられてしまった。
転ぶ!と身構えたメモリアの肩を、大きな腕がぎゅっと抱く。
周囲では大人も子どもも不規則に動き回っているというのに、ライレンはメモリアを見失うことなくしっかりと抱き留めていた。
大きな身体を防波堤にして、小さなメモリアが人波で転んだり押しつぶされたりしないようしっかりと庇う。
「無事か!?」
「ええ……」と、どうにか返事をしたメモリアは、熱くなる頬をひっそり押さえた。
こういう時だけは決して見失わないで居てくれるのだから、嫌いになれないわ…。
どんな人混みでも、メモリアが危ない時には必ず手を差し伸べてくれる。
ライレンは野生の勘のようなものだと言っていたけれど、その勘の良さを常時発動していて欲しいと思ってしまうのは欲張りなことなのだろう。
ライレンはメモリアを庇いつつ街道の端にズリズリと摺り足で移動すると、すぐさま駆けつけた騎士と町の衛兵たちに指示を出していく。
お祭りの現場はにわかに騒然としたものの、ライレンが気合の入った声で「聞け!」と言えば、反射的に立ち止まり耳を澄ませるのがディコーダ伯爵領の領民たちだ。
身体の大きなライレンは目印になりやすい。そして鍛えられた腹から出される声は良く通る。
『迷子になったらライレン様』は、お祭り前に親が子どもへ必ず言い聞かせる言葉である。次点で『迷子のときは領主様に肩車してもらいなさい』だ。
次期領主の堂々たる姿に領民たちは落ち着きを取り戻し、的確な指示を得られたことで混乱はすぐに収められた。
路地裏の破裂音は異国から持ち込まれた祭事用の道具によるもので、祭りを盛り上げようと火を付けたところ、想像以上の威力で音と光が放たれたのだという。
道具を破裂させた当人と周囲で見ていた者は指先と足に軽微な火傷を負ったものの、余所の出店に引火することもなく、大きな負傷者も死者も出なかったことは不幸中の幸いだろう。
再開して構わないという許可を得た祭りの責任者は、恐縮しながら何度も何度も頭を下げた。ライレンがいなければ現場の混乱は長引き、より多くの怪我人が出たことだろう。
「若さまも若奥さまも、お怪我はございませんでしょうか」
「問題ない。妻は私が抱えていたから無事………ん?どこだ!?」
抱えたまま道の端に避難させ、指示出しをする前に下ろしたはずだ。なのにいつの間にか隣から居なくなっている。
ライレンは両腕を上げて脇の下あたりをきょろきょろと見たが、それらしき影はない。
「どこだ!?」というライレンの声に、祭りの再開を喜んでいた領民たちは一瞬で静かになった。どうした?若奥さまがいないのか?と波のように伝わっていき、皆、キョロキョロと周囲を見回してメモリア夫人を探し始める。
「……こちらですよ」
という静かな声は、不思議なほどによく通った。
メモリアは侍女とともに、ライレンの斜め後ろにあるレストラン入り口の椅子に腰掛けていた。小柄な身体が、椅子にちょんと腰掛けたことでより小さく見える。
「ああ……あの通り無事だ」
親指で雑に示したライレンにメモリアはすっかり呆れ顔だ。
領民たちは見つかって良かったと微笑み、祭りの責任者もホッと胸を撫で下ろす。
ひと通りの指示出しを終えてメモリアの元へ戻ったライレンは、何故いつまでも座っているのだろうかと首を傾げた。
「もしかして怪我でもしたか?」
「いいえ、ライレン様が庇ってくださったおかげで怪我はありませんが、靴が片方行方不明になってしまったのです」
「靴が?」
よく見れば右足だけ靴がなく、靴下の先が汚れている。混乱の中ですっぽ抜けてしまったのだろう。
近くに居た街の衛兵に「どこかに薄紅色の可愛いサイズの靴が転がっていないか見てくれ」と声を掛け、ライレンは躊躇いなくメモリアの膝裏に腕を差し込むと、横抱きにして高く持ち上げた。
予告なく身体が宙に浮いたメモリアは「きゃ!?」と咄嗟にしがみつく。
「帰ろう」
気恥ずかしさを誤魔化すように「持ち上げるときには事前にひとこと言ってくださいませ」と不満を言おうとしたメモリアは、すぐ近くにある精悍な顔を見て言葉を引っ込めた。
ライレンの視線を追うように周囲へ目を向けると、視界がいつもより数十センチ程高い。
ライレン様はこのような景色を見ているのね…と、普段は必死に見上げるばかりの自分とは違う、大きく開けた視界に羨ましさが募る。
わたくしたちは、同じ場所にいながら、こんなにも違う景色を見ているのだわ…。
「こんなにたくさんの人の頭が見えているのでは、見失うのも仕方のないことかもしれませんね…」
「……今度きみには、目立つ帽子でも贈ろうか」
「そんなことより…手を繋いでくださればいいのですよ」
「それはなぁ…」
恥ずかしいし、うっかり引き摺り回しそうだから嫌だ…と難色を示したライレンの肩をメモリアがペシペシと叩く。
仔リスに叩かれながらゆっくり歩いて帰る熊の姿に、領民たちは胸をほっこりさせるばかりだ。
メモリアの落とした靴は比較的すぐに見つけられたが、見つけた衛兵は内密に騎士へ手渡し、騎士はこっそりメモリアの侍女に渡し、侍女はひっそりとその靴を受け取り。
仲睦まじい夫婦を邪魔せぬよう、しずしずと帰路を共にした。