第二章・3
私は地下街を出てタクシーを拾い、目的地を告げてから背後を見る。
「高速を経由してもらうってできますか」
「はあ、いいですよ、だいぶ遠回りになりますけど」
「何度か右車線に入って、追い抜きながら走ってください」
移動中、じっと背後を見ながら尾行してる車がないか確認。
「ストーカーか何かですか」
「ええ、タチの悪いやつがいるんです」
「私の方もバックミラー見てますが、ついてきてる車はないですよ」
まさか車で追跡してくることはなかろうと思うが、妙な凄みのある記者だった。念のための警戒だ。
「気をつけないとですねえ、最近怖いニュースが多いから。こないだもクラブのママか何かが生き埋めにされたでしょう」
それは「嫌なニュース」でも扱った。A県にある歓楽街の一角、ビルの隙間にぽつんと生まれた空き地に40代の女性が埋められていたのだ。
それもまた「死体が発見された」のであり、生き埋めであるとする情報はまったくないが。
何ごともなく帰宅。5階の自宅へ戻るとスマホを起動させる。タクシー内でやりたかったが、画面を見てると車酔いしてしまうので断念していた。
まずネット内に私の個人情報がないかチェックしておく。SNSはアカウントを分けているし、特定されるようなことは書かないように気を使っている。
そして金咲という記者から来ていたメール、その差出人アドレスを拒否設定に。
同時に受信箱を文面サーチにかける。事件のタレコミ情報から、広告のスパムメールまで千件ほど来ている。
管理人への誹謗中傷、危害を加えることを示唆するもの、私の個人情報を探るようなメールを探す。誹謗中傷はいくつかあったが、それ以外は大したものはなかった。
「嫌なニュース」はアングラ系に片足を突っ込んでるサイトだし、自惚れるつもりはないが、管理人が女子大生だと知られればどんな反応があるか分からない。今後は自分の安全も考えるべきだろうか。
私は金咲から受け取った名刺を取り出す。確かに週刊新柳の社名がある。
この名刺は本物に見える。なぜ雑誌記者がセラさんの記事を潰しにかかるのだろう? 商売上の競合とかそういうこと? まさか。
私は上着を脱ぎながら思考する。
あの金咲が何かをしでかすとは思えないが、とりあえずAIに抗議文を作成させて、週刊新柳に送らないと。いや、その前に本当に金咲という記者が在籍してるのか確認を。
肩に、何かが。
黄色い紙片、これは、糊付きの付箋?
ニガサナイ
「!!」
服を脱ぎ捨てて後退する。
壁に背中をつける。歯ぎしりをして動揺を抑える。
息が荒い。うなじのあたりに鳥肌が立っている。
いつのまに、こんなものを。
あのテーブルの上に乗り出して来た時か。肩を触られた記憶はない。気づかないほどの一瞬で付箋を貼ったのか。
「……ふ、ふざけてる」
ふつふつと怒りが湧いてきた。
なぜ私が引かなきゃいけない。私はセラさんを記事にしただけ。オカルト系のサイトならどこだって扱っている。
ーー変な記者が嗅ぎ回ってて。
そこで、はっと気付く。
人との会話はなるべく覚えるようにしてる。昨日のことだ。
そうだ、黒日くん。変な記者が嗅ぎ回ってると言ってた。
金咲は黒日くんに接触した? なぜ?
「! そうか、前のバイト先!」
店長が生き埋めにされたって噂があった。それをあの記者が嗅ぎつけた? バイトしていた黒日くんに話を聞こうとした?
まずい、と思う。私は二ヶ月前に居酒屋を辞めたが、金咲が嗅ぎつける可能性はある。
「嫌なニュース」の管理人と、店長が生き埋めにされたという噂のある店の店員。
冷静に考えれば、だから何だという程度の話だ。点と点が繋がる? ただの偶然以上の何物でもない。
だが、金咲はどう考える。
……落ち着け。
私は台所へ。麦茶をビアタンブラーになみなみと注いで、一気に飲み干す。
冷静にならないと。あんな記者一人のことで恐れすぎている。
私はスマホで電話をかける。以前のバイト先へ。
「もしもし、仲良川ですが」
『ああ、仲良川さん、ごぶさただねえ』
電話越しというのにじっとりとした話し方だ。カエルのようだった店長を思い出す。
「あの、私の履歴書とか、まだそちらにありますか」
『どうしたの、もちろんあるよ。店長を任された時に全部見たからねえ』
「返却してほしいんです。そちらの方で処分してもらってもいいですが」
『あのねえ、仲良川さん』
ため息などついてないのに、大きなため息を挟んだような錯覚がある。私の胸をそれとなく盗み見るあの視線を思い出して、まだ鳥肌の残っていた足をすり合わせる。
『そういう書類はねえ、退職後も3年は保存する義務があるんだよ。労働基準法の、ええと、109条でねえ』
そうなのか。あとで確認しておこう。
「実はタチの悪いストーカーに狙われてるんです。もしかして、ストーカーがそちらの事務所に忍び込んで履歴書を盗むとか、そんな可能性まであるかなと」
『そうなの? 仲良川さんかわいいからねえ、そういうこともあるかもねえ』
嘘とはいえストーカー被害に怯えている女性に対して、なんとものんびりした返答だ。私は苛立ちを足踏みに変える。
『まあ原本は本社の人事課にあるからねえ。店にあるやつは処分してもいいよ』
「あ、そうですか、ありがとうございます。できれば今すぐやってくれますか」
金咲記者と会ったのが早かったため、まだ午前中である。店はランチ営業で忙しくなる頃だが、必死さを声に乗せて頼み込む。
『じゃあちょっと探すから待っててねえ。ええっと、この棚に』
あの居酒屋のオフィススペースは休憩室の隣にあって、二畳あるかないかの狭さである。すぐ見つかるだろう。
『仲良川さん』
「はい」
店長はあくまでのんびりした口調のまま、今日の天気について話すかのように、気軽に言った。
『人事ファイルが空っぽだねえ。きっと、誰か捨てちゃったんじゃないかなあ。いいかげんな子ばかりだからねえ』
※
時おり、父のことを思い出す。
私の父は毎日ポストの前で新聞配達を待ち構え、手から直接新聞を受け取る。
そして1時間ほどかけてそれをスクラップしていた。今どき珍しい趣味だったが、重要そうな記事を切り抜き、大判のファイルに貼り付けていくのだ。その作業に1時間ほどかける日もあった。
政治のファイル、芸能のファイル、事件のファイルなどが父の部屋に積み上がっていく。父はテレビも見ず、本もあまり読まない。ときどき寝る前にファイルを開いては、満足そうに記事を指で撫でていた。
私はそんな父を尊敬していた。好ましい趣味だと思っていた。父の作り出すファイルは知の結晶。私は父の部屋からファイルを持ち出し、じっくりと読むことがあった。
父はファイルの持ち出しについて何も言わなかった。黙認してくれていると思っていた。私は新聞というものに興味を持ち、いつか自分の手で記事を書いてみたいと思った。小学生の頃だ。
その思い出は、今は私の肺に打ち込まれた杭のよう。
私の呼吸を阻害し、時おり耐えがたい痛みをもたらす。
世の中は、なぜ情報に溢れているのだろう。
人が生きていくのに、たくさんの情報は必要ないのに……。
※
私は引っ越しをした。
大した距離ではない。同じマンションの5階から、最上階の11階へ引っ越したのだ。荷物はとりあえず必要最低限のものだけ移動させて、数日かけて回収する予定。壊れた家具とか、使わなくなった健康器具とか。それはリサイクル業者に引き取ってもらおう。
ストーカー被害があると不動産会社に相談すると、そこからオーナーに話が行き、最上階の部屋を紹介してもらえた。
前の部屋が27平米、最上階のこの部屋は33平米、部屋も一つ増えた。
家賃は一万ほど上がったが仕方ない。必要経費と思おう。さいわい「嫌なニュース」のアクセスは順調に伸びていて、広告収入も先月比で何万か伸びそうだ。
セラさんの記事は1日2回更新している。他のまとめサイトでもうちの記事を再利用するのを見かけた。盗作ではあるが、時系列でより早いものが参考記事として表示されるので、うちのアクセスも増えている。
私は引っ越したばかりの部屋で、ガムテープを足でもてあそびながらスマホを扱う。
短冊を撮影し、起動。
「セラさん。体調はどう」
『あまり良くないわ』
セラさんは疲弊している。私は彼女の周りに積まれた紙の山を想像する。
『何が正しいのか分からないの』
セラさんのいるのが埋まったオフィスビルとして、彼女のいるフロアは5階のようだ。
そして廊下には大量の貼り紙がされていた。赤い文字で書き殴ってあるらしい。
『2階に降りると足を失う』
『8階には殺人鬼がいる』
『サインペンで書かれたメモは信用するな』
セラさんは剥がしたメモを読み上げる。
『階段は絶対に使うな』
『怯えているやつが何かを知っているはずがない』
『1階にだけは降りてはいけない』
警告文なのかメッセージなのか、それらの文章はエレベーターで行けるすべての階を警告しており、すべて正しいと仮定するならセラさんはどこにも行けなくなる。
というより「早く5階から移動しろ」
というメッセージもあるらしい。八方塞がりどころか一つも居場所はなくなる。
「でもセラさん。地上に出るんだから、普通に考えれば出口は最上階よね。そこから階段を使って屋上へ行くとか……」
『でも……出口はないって』
ずっと5階にいるわけにもいかないが、果たしてどのメモを信用したものか。
『それだけじゃないの……今日、メモが増えてた』
「……誰かいるの? ビルの中に」
『分からない……でも廊下に出ると、物音がするの。正体不明な音。不安になる音が……だから、廊下に出るのも、とても怖いの……』
セラさんのいるオフィスビルは、由来のわからない音が常に響いている。音については「嫌なニュース」に寄せられたセラさんの噂にもあった。
セラさんはけして安らぐことがない。無視のできない音に常に神経をさいなまれている……。
「戸締まりはしっかりね」
『ええ、そうしてる』
セラさんはオフィスにあったハンガーをほぐし、南京錠のかかっていた掛け金を固定しているそうだ。外の音に耳を澄ましても、何がいつ通ったのかは分からないらしい。
そんな状態が数日続いている。
「じゃあセラさん。AIの力を借りようか」
『AI? 人工知能のことね』
セラさんのその返答になぜかおかしみを覚える。
「スマホもう一台あるから。これに聞かせる。貼ってあったメモの内容を話し続けて。文字の大きさとか、文字から受ける印象とか、何で書かれてるかとか全部話して。それをAIが判断して正しそうなものを選ぶ」
『そんなこと可能なの?』
さあ? 試したことはない。
だがAIは要求したことはだいたいの満足度で応えてくれる。十数年前のAI黎明期ですらそうだった。
「とりあえずやってみようよ」
『ええ、わかった。じゃあまずこのメモ。ひどいなぐり書きで、A4サイズの紙をいっぱいに使って書いてる。インクを指につけて書いたみたい……。内容はすぐ4階へ行け、6階より上には絶望しかない。次にこれは、たぶんボールペン。妙に丁寧な字、でも震えてる、恐怖に震えてるような字で……』
私は二台のスマホを重ねる。セラさんの話を聞くほうのスマホには音声の文字起こしと、内容の比較検討。矛盾している文章の排除などを命じる。
「私は別の作業してる。セラさんが眠くなるまで読み上げ続けて」
私は二台のスマホを机に置いて、食事とか入浴とか、自分のことをした。
あの金咲とかいう記者と会ってから数日。まだ何も起きてない。
週刊新柳には抗議文を送ったが反応はない。どういう会社なんだとあきれるけど、あまり何度も抗議したくもない。
考えるべきことが多いが、何から手を付けるべきか。
とりあえず引っ越しだけは完了させよう。明日、5階から運んでくるものを考えつつ、ビールを飲んで寝ることにした。
夜半。暗がりの中で目を覚ます。
身を起こす。机の上がわずかに発光している。セラさんの声も聞こえる。
今は何時だろう。彼女は何時間も読み上げ続けているのだろうか。
どこかから音が聞こえる。セラさんに繋がってるスマホからだろうか。
私はショーツとシャツだけ身につけた姿でトイレに行く。
やはり音がする。どこかで工事でもしているのか。それとも他の部屋の住人が騒いでいるのか。あるいは私の神経が過敏になっているのか。
「……?」
おかしい。確かに何か聞こえる。
がりがり、がりがり、と何かを削るような音だ。しかも、トイレに入った途端に音が大きくなった。
壁だ。背中側にあるトイレの壁から音がしている。私は立ち上がってそれに耳をつける。
金属を削るような音。木材を砕くような音。薄い金属の板を無理やり曲げるような音。
聞こえる。かなり下から。おそらくトイレの配管が壁の中にあるのだ。それが音を伝えて、壁を突き抜けて聞こえている。
何かを剥がすような音。長柄の何かで壁を殴るような音。大股で歩き回るような音。
ほぼ、真下から。
翌日。警察から電話があった。
5階にあった私の部屋が、荒らされていた。