第二章・2
セラさんへと繋がるQRコード、見つけたのはバイト先の書店。平積みにされた新刊の上に鳥の羽のように置かれていた。
珍しいものという印象はなかった。「嫌なニュース」の掲示板にも、毎日似たような短冊が大量にアップロードされている。
それらは撮影しても空白のページに行くか、恐怖画像が表示されるだけの偽物だ。大昔には精神的ブラクラとか言ったらしい。
ブラクラとはブラウザクラッシャーの略。プロバイダによる巡回と掃除により、ブラウザをクラッシュさせるようなページはもう滅多にお目にかかれないらしいが。
偽物の多い短冊だが、私の見つけた短冊はセラさんに繋がった。つまり本物だったのだろう。彼女は私の呼びかけに答えて、この数日、話をしている。
「セラさん、脱出の準備はできた?」
『ええ、なんとか』
セラさんの声の印象は若い女性。芯が太くて意志の強そうな声だ。スポーツをやってそうな印象もあるが、そう思うのは櫟セラのプロフィールを知っているからだろうか。
画面の向こうに人間がいるとは思ってない。今どき読み上げソフトを使えばどんな声でも出せる。ごく自然な抑揚も、感情をにじませたブレスや緩急も思いのままだ。
セラさんが捕らえられているのはどこかのオフィスらしい。スチール製の机と椅子が並び、PCは完全に壊れて起動せず、キャビネットにある文書は朽ち果てて読めない。
そして窓の外は土で埋まっているという。
非現実的な状況である。オフィスビルを丸ごと埋めるなどできるはずもないし、地下階なら窓があるはずがない。
部屋には給湯コーナーがあり、水道は生きていた。セラさんはそこで数日、命を繋いでいたらしい。
「じゃあ脱出に入ろうか、私の言う通りにやってみて」
『ええ』
オフィスの入り口の扉は内側からカギをかけるタイプだが、頑丈なかけ金が設けられ、南京錠がかかっていた。
用意させていたのは南京錠を破壊するための道具だ。やり方はネット上から簡単に拾えたが、何パターンかある方法のうち、セラさんが調達できる道具で実現可能なものは3パターン。錠前の素材や頑丈さなどは実際に壊してみないと分からない。
「その前に、結局カギは見つからなかった?」
『ええ、何度もよく探したんだけど……』
ブラウザ上でプレイする、いわゆる脱出ゲームというジャンルがある。
これが脱出ゲームならヒントが書かれていたり、パズルの仕掛けがあってもよさそうなものだが、そういう趣旨のゲームではないのだろうか。
セラさんは私の指示に従い、いろいろな道具を使って南京錠の破壊を試みる。
3つ目の方法でそれは成功した。南京錠がものの見事に割れたそうだ。
「廊下に出るときは気をつけて、セラさんを閉じ込めた誰かがいるかも」
『うん……』
セラさんが扉を押し開く、やや錆びたような、ぎしりときしむドアの音が響いた。
『貼り紙がある』
「貼り紙?」
『赤いマジックで書いてある……部屋を出るな、3階へ行け、7階には死体しかない、階段を降りるな、すごく、たくさん……何、これ……』
どうやら新展開のようだ、私はなだめるように言う。
「セラさん落ち着いて、まず廊下の形状を教えて」
『形状……そう、ね』
深呼吸の音が聞こえる。私は椅子に座ったまま、右膝を胸のあたりまで引き上げる。
『ドアを出ると廊下があった……左右に伸びてる。長さは20メートルぐらい。右にはエレベーターがある。左には扉が……扉に、階段のマーク、って言うのかしら。緑地に白で階段の絵が描かれたプレートが貼ってある。オフィスの反対側は壁しかなくて、窓が……やっぱり、土しかない用に見える……』
階段の絵、ピクトグラムというやつだろう。案内のために使われる記号化された絵だ。
「貼り紙ってのは?」
『たくさん貼ってあるの……ひどく切羽詰まったような字、なぐり書きのような……お経みたいなものもある。あ、でも丁寧なものもある……手紙みたい、な』
「わかった、貼り紙をいくらか回収してオフィスに戻って、何か脱出のヒントになるかもしれないから、検討しましょう」
『うん……あ、それと、廊下から行けるトイレもある、よかった……』
トイレが喜ばしいのだろうか。
そこで気づく、セラさんはここ数日、生理現象の処理を給湯コーナーのシンクで済ますしかなかったのか。
芸の細かいことだ、とひそかに感心する。
彼女はまるで生きた人間のようだ。私が意識してないステータスもその言動に反映されている。背景を感じさせる謎めいた言動も見え隠れする。
何を食べているかは教えてくれない。
これもまた、想像を掻き立てる演出だろう。
「今日はここまでにしましょう、また明日」
『もう……おしまい?』
「ごめんなさい、地上からセラさんを迎えにいけないか検討してるの、それにも時間取られてるから」
『わかった……また……いつでも、呼んで、ね』
名残惜しそうな声を耳に感じた後、スマホを再起動させてセラさんのページから離脱。
私は椅子を片足で回転させつつスマホを操作する。
まずは記事タイトルを生成。
『都市伝説「セラさん」に迫るシリーズ。呪いの犠牲者が次々と見つかってる件』
AIを起動、クローリングボットで集めていた事件を表示させ、簡単なキャプションを手入力、AIに清書させる。
G県でのこと、38歳の土木作業員の男性が山中で遺体となって発見された。遺体はまだ腐敗が始まったばかりで、死後数日と思われる。警察は詳細を明かしていないが生きたまま埋められた可能性がある。
F県でのこと、私立高校に通う少年が生きたまま埋められた。同級生との金銭トラブルが原因のリンチであり、住民の通報により警察が急行、被害者の少年は入院したとされるが、現在も安否は分かっていない。
これらの人物はセラさんの呪いを受けた可能性がある……。
記事を一読、よくできてると感じる。
前者の方は普通に考えれば殺して埋めたに決まっているが、警察は単独の殺人事件などさほど詳細に発表しない。生きたまま埋められた「可能性もある」というだけだ。
後者はもっと悪どい。記事の原文を見たが少年は腰から下を埋められてリンチに遭ったのだ。入院は埋められたことによる窒息などではなく、リンチの際の外傷によるものだ。
こんな事件にその後の報道などあるわけもなく、「現在も安否は分かっていない」のは当たり前だ。
日本で年間に起きる殺人事件は900件あまりだが、暴行、傷害となると十数万件に跳ね上がる。
探せば「生き埋め」というキャプションをつけられる事件は必ず見つかる。あとは並列に並べてひとまとまりの記事にするだけだ。
投稿する。サイトのアクティブを見てみると、投稿直後からよく伸びている。やはりみんなセラさんに興味があるのだろうか。
今日は15万PVぐらい行きそうだ。私はスマホを眺めたまま部屋を動き回り、冷凍食品で簡単な夜食でも作ろうかと。
サイトにメールが。
情報のタレコミ用に設けているメールボックスだが、内容はAIに振り分けてもらっている。単なるスパムは弾いて、事件情報のタレコミはリスト化して記事生成の助けに。それ以外のものだけ管理ページに通知が来る。
開いてみると、取材の申し込みだ。
「ええっと……いつもサイトを拝見しております、週刊新柳の金咲です。この度は「嫌なニュース」管理者様に取材のお願いを……」
週刊新柳は読んだことはないが、バイト先で陳列したことはある。誌名を親指で長押しして範囲指定、検索。
「昔はお固い書評と文化人へのインタビューが売りの文芸誌だったが、十数年前から雑誌のコンビニ化を進めて、現在ではオカルト記事と芸能ゴシップ、猟奇趣味な事件記事などを扱うアングラ的な雑誌に変貌……」
雑誌からの取材、悩みどころだと思う。
私は出版社系の志望。「嫌なニュース」の管理人であることはプラスに働くだろうか? それなりにページビューのあるサイトだから実績と取ってくれそうな気もするが、変人と思われても不思議はない。ずっと事件記事だけを扱いたいわけでもないし。
しかし業界人とコネクションを持っておくのも悪くないだろうか。提示されている取材料も魅力的だ。
なにごとも経験。
最後のひと押しになったのはそんな言葉だった。私はAIに指示して、了承のメールを作成した。
※
取材を受ける場所はバイト先の近く、地下街にあるドーナツ店だ。モーニング営業のため早朝から開いてるお店で、指定された時間は朝の9時である。やけに早い。
私はベージュのキャスケット帽と大きめのサングラス、首に黄色のスカーフというスタイルにしてみた。本名を名乗るか名乗らないかは状況を見て決めよう。
待ち合わせの金咲さんは……確か、大きなバッグを通路に置いているのが目印、と書いてあったけど。
すぐに見つかった。奥まった座席、他のお客から離れた場所にバッグが見える。
「……?」
だが、何か異様なバッグである。茶の革張りだが、厚いとか大きいという以前に四角い。
書類がぎっしり入るローヤーズバッグとも違う。よりずんぐりしていて、猫が何匹か入ってそうな重量感だ。中身は何なのだろう。
そして座っている女性は。
女性……なのだろうか? 確かにパンツスーツは着ているが、どこかトゲトゲしい印象だ。
髪型はベリーショートというにも短すぎるほど、サイドが刈り上げられていていちごヘタのようだ。私は首の後ろの丈より短くしたことがないので、そこまでの短さに面食らってしまう。
寝不足なのか肌は土気色で目の下に濃いクマがあり、頬はこけて病的な印象。袖口から見える腕は骨ばっていて、指は節くれだって見える。糸杉のように細いのに、奇妙な無骨さと言うか、むき出しの鉄筋のような硬さを感じさせる。
そして細められた目には力が込められて、殺気のような凄みが漂う。
かなり痩せぎすなのに、それでいてドーナツをがりがりと、前歯でかじるように食べている。横のガラスをじっと見つめており、地下道を歩く人を睨みつけるかのようだ。
「あの、金咲さん、ですか?」
「そこ座って」
私の方を見もせず言う。私は多少戸惑いながらも座る。
金咲さんは湯気がもうもうと出ているコーヒーをぐいと飲み干して、胃の腑を焼きながら言う。
「「嫌なニュース」の管理人だね?」
「……ええ、まあ」
「セラさんを記事にするのやめな」
最後に残っていた期待のようなものが、あえなく霧散する。
しまった、アンチだ。
オカルト系の雑誌には稀にこういう読者が湧くと聞いたことがある。あの件を扱うのは本気でヤバい、やめないと編集部に不幸が起こる、俺がこれだけ言っているのになぜ続けるんだ。と感情をヒートアップさせていく人種が。
「取材ではないなら失礼します」
「待ちな」
がん、とテーブルの脚を蹴って動きを制動される。ドーナツの箱が揺れる。
「自分だけは大丈夫と思ってるんだろ。ただのオカルト話だって。もう何人も生き埋めにされて死んでる。あれはマジでヤバい」
「そんなニュースは」
なくはない。
埋められた状態で発見された遺体、ここ数ヶ月、ニュースになってるだけでも10件程度ある。
しかし、生き埋めにされたのかは分からないし、例年と同じ数なのか、それとも今年になって急激に増えてるのかも分からない。死体が発見される状況として、埋められたものが見つかるというパターンがそこまで珍しいとは思えないが。
「……週刊新柳の記者なら名刺を出してください、出せないなら帰ります」
「ちっ」
舌打ちをしつつも、金咲は尻のポケットから名刺入れを取り出す。
出されたのは確かに週刊新柳と書かれた名刺。
金咲星、そう読み仮名が振ってある。星と書いてヒカリと読むのか。
……本当の記者というなら、この態度は何なの?
「セラさんがなぜ危険なんですか」
「ヤバいから」
答えになってない。というより答える気がないとしか思えない。
「セラさんをまとめてるサイトなんていくらでもありますよ」
「だから苦労してんでしょうが」
その言葉にはっとなる。まさかこの人、私以外の人間にも接触してるの? セラさんをまとめてるサイトの人間に接触して?
ずい、と金咲がテーブルに身を乗り出す。落ち窪んだ目に獰猛な光を宿して、斜め下から睨めつけてくる。
「おとなしく言ってるうちに止めときなよ。あたしはプロだからね、調べればあんたの家ぐらいすぐに分かる」
「……」
「けっこうエグいサイト運営してるじゃない。その管理人がこんな可愛い子だってバレたらまずいんじゃないの。あの手のサイトってどんな連中が見てるかわかんないよ」
「帰ります」
この女とは付き合えない。
金咲の動機は分からないが、こんなやつの言うことに従う義理はない。私は席を立って足早に店を出る。
「言うこと聞かねえと手段選ばねえぞコラあ!」
とてつもない胴間声が、店の入り口から飛び出して地下街を駆け抜けていった。