第二章・1
かあ、かあとカラスが鳴いている。
あの声は仲間へ情報を知らせるコミュニケーションであり、縄張りを主張する威嚇でもあるらしい。あの声が響くとき、この街はカラスの版図になる。私はベッドの中で静かに目覚める。
起きたらまずマンションの玄関へ行き、投函されている新聞を回収、それが私の一日の始まり。
大手紙が二つ、経済新聞が一つ、私はパジャマ姿のままでそれを床に広げ、スマホのカメラで撮影する。
スマホには値の張るレンズをはめており、最小で2ミリ角の文字まで鮮明に捉える。読み取れなければ前後からの推測で補う。
アプリ内に文字情報が蓄積されて、それが整理整頓され、私の興味に関連するニュースが抽出される。内容は要約されるから、全部読んでも15分で終わる。
ネットニュース全盛の時代に、なぜ新聞なのか。両親が新聞に絶対の信頼を置く人物だったことが大きいが、他人とは違う情報の入手法をすることには意味があるという狙いもある。私の活動には個性が必要だ。
次に別のアプリを立ち上げる。各ニュースサイトやSNSから情報を集めるアプリだ。
操作は最低限。集まっていた情報を簡単に確認するだけ、キャプションをつけて適当な素材を出力して、それで完成。
『最恐! ドアを硫酸で溶かそうとする男。隣人トラブルも行くとこまで行った件』
『煽り運転か……と思っていたら予想外の事態に、ドライブレコーダーの捉えた驚愕の行為とは』
『花火に注意、手持ち花火が起こした悲惨な事故(火傷の画像あり注意)』
3件ほどメインに使えそうな記事が生成され、他に4つほどさほどでもない記事が作成される。
サブの記事は2時間おきに予約投稿され、メインは分刻みでランダムに投稿されるよう設定してある。いま作ったばかりという感じが出て注目を得やすい。これで全部終わり。
ネット上に存在するニュースをまとめるブログをまとめサイトと言うが、大昔は管理人が1日中記事を作り続けるような仕事だったらしい。
今は30分もあれば一日の更新が済んでしまう。編集に使うアプリもほとんど無料で集めたものだ。誰にでもできる。
そしてこんなサイトでも、日間10万PVぐらいは稼げてる、私はもうほとんど見てもいないけど。
「嫌なニュース」という直球のサイト名が良かったのか、扱ってるニュースの割に暖色系でカラフルなデザインにまとめたのが受けたのか、まあそんなことはどうでもいい。
この私、仲良川深佳にとっては、ほんの小遣い稼ぎなのだから。
※
2ヶ月前、バイト先の店長が失踪した。
どうやら借金を抱えていたらしく、ヤクザに連れ去られたという噂もあった。新しく正社員の人が店長として入ったが、カエルのようにねちっこい視線が嫌だったし、コスト削減がうるさかったので辞めてしまった。今は書店のバイトをしてる。
「本を読む人って減っちゃったからねえ」
店長はそれしか言うことが無いのかと思うほど、その言葉を繰り返した。
「最近は小学校までタブレット使うでしょう。教科書まで発行部数減ったらしいねえ。雑誌もねえ、電子版ばかりになっちゃって、それにコンビニもねえ」
書店の数はどんどん減っているらしいが、それはいわゆる「町の本屋さん」の話だろう。
ここは駅ビルの中にある大手の書店だし、書店の衰退はあまり関係がない気がする。
「君もねえ、書店に就職しようなんて思っちゃ駄目だよ、先がないからねえ」
「はあ」
私は漫画にシュリンクをかけながら相槌を打つ。こんな店長でも居酒屋のカエルよりはだいぶマシだ。胸を見てこないから。
「仲良川さん大学3年だっけ、志望してる業種あるの」
「そうですね、出版社系にしようと思ってます」
できれば事件事故を自分で取材する存在になりたい。でもそんなに強い動機はない。
何となく、ニュースを扱う職業は規模の変化こそあれ、ずっと安泰な気がしているからだ。人はニュースがなければ退屈で死んでしまう。
「出版かあ、やめといた方がいいよお。今あれでしょ、AIとかでどんどん人が減ってるからねえ。知ってるかい、マスコミとか司法とかねえ、頭脳労働が一番AIに置き換わりやすいんだよお」
そういうニュースも聞いている。そのうち新聞記事は人間ではなくAIが書くようになると。
無数のサーバーマシンに囲まれた部屋で、最終管理者のような人間が一人だけ玉座に座り、送られてくる記事を眺めながら一つ一つにゴーサインを出す。
できれば、その椅子に座るのは私でありたい。
「仲良川さん、それもういいから、12番の棚補充しといて」
店長のスマホには店内地図が表示されている。いくらか本が売れて隙間ができると赤く表示されるのだ。そうなると店員が行って在庫を補充せねばならない。
「はい」
12番は画集とか図版の棚だ。書店員は体力勝負な面もあるが、大型本を扱うのはやはりしんどい気持ちがある。
「な……仲良川さん」
声をかけられた。振り向くと小柄な男性。だぶついた黒のパーカーを羽織って、ズボンも裾が余っている。髪はボサボサで頭にモップでも乗せてるかのようだ。
「あ……黒日くん」
彼はなんとグラビアの写真集を立ち読みしていた。緊縛というのか、女性が縄で縛られて吊られている写真が背中越しに見える。本来シュリンクをかけるべきものだが、ここのバイトには適当な人も多い。
そんな本を読んでる割には、重苦しい表情をしていた。陰鬱な印象は前からだけど。
「ば、バイトしてるの? ここで」
「そうだよ」
少し警戒する。まさかこの男、私のバイト先をつきとめて訪ねてきたのだろうか?
考えすぎだろうか。前の店はここから100メートルも離れていないビルの地下。黒日くんが仕事の前後で書店に寄るならこの店しかない。
「バイトなんだ、そ、そう……」
黒日は写真集を開いたままこちらを向く。その本を私に見せつけるような意図は感じない。本を手放すタイミングを失ったのだろうか。
「て、店長が死んだらしいって、知ってる?」
前の居酒屋の店長のことだろう。もう2ヶ月も前の話だ。
「失踪でしょ。まあ、死んだって噂あるらしいけど」
「そ、それに、セラさんが関わってるかもしれない」
セラさん。
その名前は最近ネットでも見かける。都会のどこかで見つかるQRコード。そこからアクセスできる謎のサイトだ。
セラさんは地下に生き埋めにされており、彼女を導いて助けなければ呪われる。しかしどのように彼女を導いても、最後には必ず死んでしまう。
サバイブと言われるAIチャットを利用したゲームがあるが、そこから生まれた都市伝説だろう。いろいろとアングラなゲームだから、そんな都市伝説が生まれやすいのだ。
「て、店長、言ってたんだよ。最近サバイブ始めたって、地下室に閉じ込められた女の子を助けるゲームだって」
「ふうん」
あまり関心なさそうに答える。
「や、やばいんだ、きっとセラさんの怒りに触れて、生き埋めにされたんだ」
セラさんに呪われるとどうなるのか。いろんな噂があるが、多いのは地面に引きずり込まれて生き埋めにされるというものだ。
しかし私も黒日くんも大学生だ。そんな噂に本気で怖がる歳でもない。彼は私と会話をしたいのだろうか。
「な、何かおかしいんだ。変な記者が嗅ぎ回ってて、坊さんを見たって人も」
黒日くんはまだ喋り続けている。どうも要領を得ない。
「地下が、どんどんおかしくなってて、わけのわからないものがあって、ぼ、僕の家にあったものが吊られてて、そんなはずはなくて」
「すいません、私仕事中なので」
ひらひらと手を振ってその場を離れる。20メートルほど歩いてから、露骨に冷たくしすぎたかなと反省する。なるべく人間関係は穏便にやりたいと思っているのだ。
ちらと振り返れば、黒日くんは背中を丸めてまた写真集の棚に向き直っていた。
緊縛の趣味があるのだろうか。それは少し意外だったけど、率直に言って気持ち悪い以外の感想は無い。
仕事を終えて帰宅する。
大学生向けの安いマンションだが、セキュリティはしっかりしている。私の部屋は5階。帰って簡単な夕食を済ませて、入浴して、明日の講義の予定を確認してスマホにスケジュールを作成してもらう。そこまではローテーション。
私はリクライニングのチェアに寝そべって足をぷらぷらさせる。湯上がりの熱がゆっくりと体から引き剥がされる。
今日の一日を軽く振り返る。これは寝る前のローテーション。誰とどんな会話をしたかを大切にしている。
店長とは就職活動の話をした。そろそろ業界について調べ始めても良い頃かも知れない。
黒日くんとも話した。SM趣味の本を読んでたことを嫌悪と紐づいて思い出す。
店長の失踪。
セラさんが関わってる。
そんな会話もした。私は上半身を起こして、充電プレートに乗っていたスマホを手に取る。
「セラさんの噂を表示」
大手検索サイトが提供しているAIと、私が記事編集用に使っているAIが情報を並べていく。街に貼られているQRコード、生き埋めにされているセラさん、失敗すれば呪われる。
女子大生生き埋め事件。
櫟セラ。
その言葉に目が止まる。私もこの事件を調査したことがあったからだ。
そういえば失踪した店長からの依頼だった。ジャーナリストを目指す者としての修行という感覚もあり、一日かけてかなりしっかりした取材をした。
とはいえ生き埋め事件の被害者が櫟セラであることは別に特ダネではない。当時のジャーナリストならみんな知っていたことだろう。被害者本人や、遺族の意向があって名前が伏せられていただけだ。
私だって1日で調べられたことだ。噂として広まっても不思議ではない。
「女子大生生き埋め事件のその後は?」
いくつか情報が出てくる。捜査は続いているらしいが、犯人は捕まっていない。
犯人はなぜ地下の家を用意したのか。なぜ櫟セラを閉じ込めたのか。いまだに謎のままだ。それが人々の好奇心を掻き立てるのだろうか。
噂には間違ってる部分もある。セラさんとの会話は文章入力で行われるという点だ。
今どき文章をフリック入力するのは主流ではない。音声で事足りるのだから、サバイブの開発者もそれを実装するはずだ。
私はカメラを起動させて、部屋の壁を撮影する。
正確には、そこに貼ってある短冊を。
画面が暗転。私は電話をかけるようにスマホを耳に当てた。
「セラさんこんばんは、元気にしてた」
『ええ、大丈夫よ』