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イキウメニサレテイマス  作者: MUMU
第七章 ツミビト
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第七章・5



地下道には誰もいなかった。


営業している店もなく、お客さんも、通行人もいない。社会は本当に成立しているのだろうか。


金咲はレザーのジャケットを羽織っており、袖口からは二枚の金属板。スイッチを入れると張り付いた金属板の隙間が開いていき、すさまじい力でシャッターを押し上げる。


ばきん、と音がして、そこからは手で上げられた。シャッターの錠前にあたる機構を壊したのか。


店内の風景。一瞬、なんだか懐かしい感覚にとらわれる。見慣れたカウンター席。奥には複数の個室。やや奥側に長い構造の店舗。何も特別なことなど起きなかったアルバイト先だけれど、働いていた日のことがひどく素晴らしい思い出に感じられる。物悲しさが一瞬遅れてやってくる。


厨房のさらに奥が休憩室。明かりはつかない。私は金咲の後方からマグライトで照らす。


休憩室は燻煙のようなカビのような匂いの漂う四畳の部屋。金咲は有無を言わせず畳のすき間にバールを突っ込む。

どたんどたんと畳を返せばベニヤの板材。それも剥がせば、現れるのは円形のマンホール。


かなり古い。全体にサビが浮いていた。この金臭い匂いは店内で何度か鼻先をよぎった気がする。


開けることは可能だった。何かが封印されている部屋のお札をはぎ取り、しめ縄を取り除いていく感覚。現れるのは漆黒の穴。闇の奥から風がぶわりと吹き上がって髪を散らす。


「だいぶ深えな」


金咲は真上からマグライトで照らす。だが何も見えない。穴が深すぎるのだ。


「入るぞ、後からついてこい」

「うん……マンホールはどうしよう」

「誰かが入ってくるってこともねえだろ、開けたままにしとけ」


私達はタラップを降りていく。

周囲がコンクリートの空間はすぐに終わり、岩に直接穴を掘ったようにごつごつとしてくる。金咲は一段降りる前にまずタラップを蹴っていた。腐って落ちるものがないか確認しているのか。


空は遠くなる。空と言っても居酒屋の天井。明かりもないが、それでも数十メートル上に出口がある。それは分かる。

あるいはそれは現世の光なのか。私たちが降りていく場所は、この世ならぬ場所なのだ。


やがて底に至る。金咲がライトをつけると、まず目に飛び込んできたのは無数の石像だ。


「これ……あのお坊さんの言ってたやつだね」

「ち、歩きにくいな。足をくじかねえように気をつけろよ」

「うん……」


卵のような楕円形の空間。左右は坂になっている。

降りてきたタラップから見て奥側にいくつか穴が空いており、さらに下へと降りる道が。


私たちは奥へと踏み込む。また似たような空間に出て、いくつかの分かれ道から一つを選ぶ。


それをえんえんと繰り返す。アリの巣穴を降りていくような感覚だ。


「胎内巡りってやつに似てるな。下り坂しかねえけど」


どの部屋にも石仏が満ちている。それらはどれも歪んだ顔、歪んだ目鼻、欠けていたり割れていたり。


そこに感じるのは時間だ。長大な時間をこれを彫るだけに費やした人間がいる。その人生を思うと背筋に緊張が走る。呼吸が苦しくなる。


歩き慣れてくると、石仏の中に道が見えてくる。左右に少しうねっている道。歩く歩幅や、右足と左足をどこに置くかを強制されるような道。


穴は深く、気温は変化せず。


風のうねり、地の揺らぎの音が背景に聞こえる。


石仏が自然と左右によけて、私が足を置くのを凝視しているような感覚。


降りて。


道を選んで。


導かれるように歩を進めて。


そして、暗闇に出た。


「……?」


何だろう。暗黙のような闇だけがある。

夜の中で巨大な象にぶちあたるような感覚。実体ではなく、闇そのものの質量だ。


目の前が崖になっていると気づいた。あまりにも大きな空間が開けているのだ。


がらがら、と音が。つま先で弾いた小石が転がり落ちる音だ。


「う……」


危ない。気付かずに足を踏み出していたなら滑落していた。


「き、気をつけよう、金咲さん……」


返事はない。


というより、その時私は気づいた。金咲がいない。


「……!」


それどころか、ライトが無い。私は暗黒の中にいる。

スマホも、持っていない。光源を生み出せるものは何も。


瞬間。悪夢に放り込まれたような五感の浮上。

ライトは持っていた。何時間もの連続使用でライトが切れたのだ。私はそれをどこかに捨てた。替えの電池を使いもせずに、無意識に捨てた。


スマホもだ。電池が切れて、ライト機能が使えなくなって、そのへんに捨ててしまった。何の疑問も持たず。


失っていた連続性が戻ってくる。私はおそらく数時間、あるいは10時間近く歩き続けている。疲れたらしゃがみ込み、また立ち上がり、同じところを回るような、あるいは無限に下に下っていくような時間を過ごしていた。亡霊のように。自意識が暗闇の中に溶けていた。


「かっ……金咲さん!」


喉が枯れている。肺をまぶしたかのようだ。私はバックパックから手探りで水を取り出し、口に含む。


喉に氷を押し当てるような冷たさ。失っていた時間が戻ってくる。

私はどこで金咲とはぐれた。歩き続けることに何の疑問もなかった。この場所では時間の感覚も、自分以外の他者も見えなくなるのか。


闇。


星ほどにも巨大な闇。私は目の前の闇に押しつぶされそうになる。

戻れない。手探りで歩ける場所ではない。トランス状態にあったときは自然な感覚で歩けていた。もうそれはできない。


「金咲さん! どこ!」


叫ぶ私の声が後ろから・・・・届く。前側には何も反射しないため、わずかな後方からの反響が強調されるのか。


私は実感として分かる。このトコヨノクラは広すぎる。

どれほど大声を上げても金咲には届かないだろう。仮に聞こえたとしても合流するのは不可能に近い。あまりにも広大で深遠な迷宮。手の届く範囲に誰もいない、それを何度も何度も確かめる。


動悸が速くなる。経験したこともない速度で早鐘を打つ。精神はこの闇に耐えられないと予感される。私は遠からず正気を失うだろう。あるいは人間としての形すら。手足が震えている。



がん・・



音がした。びくりと手足を縮める。

そして、着信音が。


「え……」


やや離れた場所、10メートルほど先に、スマホが落ちている。

私のものではない。こんなメロディに設定したことはない。金咲のものとも違う。


私は這って移動する。足元はごつごつした岩である。石像に指が触れて、指ではその形状が読み取れない。液晶画面のかすかな明かりを頼りに進む。


それを手に取る。

未登録の番号です。との文章が出ている。こんな大地下でスマホに着信が? それともこれは私の幻覚か、あるいは心霊現象というもの?


出ないという選択肢はなかった。何かに強制されるように指をスライドさせる。


「も……もしもし」

『静かにしろ、こんな地下で騒ぐな』


男の声だ。少しやさぐれた印象で、でも冷静だ。私は少し肺が膨らむのを感じた。一度息を吸い込んでから言う。


「だ、誰なの」

『名前か? 沼弟ぬまてだ。あんたはここに落とされたのか』


沼弟。この人物が。

そう言えば声に聞き覚えがある。私のマンションで聞いた時は、もう少し丁寧な話し方だったけど。


そこで私はスマホ自体を確認する。この機種は背面が亀の甲羅のようになっている。頑丈さが売りのモデルだ。おそらく沼弟は声がするほうにスマホを投げたのか。


「な、なぜ通話できるの」


聞いたのはそんな間抜けな質問だった。私は少しだけ理性を戻しつつあるが、まだ心臓は治まってくれてない。


『ん? ここがでかい縦穴だからだ。真上は古いビルらしい。だからかろうじて電波が入る』


アンテナは1本だけ立っている。そのことに不安も覚えるが、通話できるだけありがたい。


「沼弟さん、私はあなたを探しに来たの。臥空がくうってお坊さんにあなたのこと聞いて……」

『ああ、聞き覚えのある声だと思ったら、あのストーカー騒ぎのときの女か、仲良川なからがわとか言ったか』


微妙に話がかみ合っていない。沼弟は私のことなどどうでもいいかのようだ。


「いくつか聞きたくて……まず、櫟セラの呪いを跳ね返したのは本当なの」

『そうだよ。聞きたきゃ10億払え』

「は……払えるわけないよ」


だが、そのことを聞き出さねばならない、私はそのために来たのだから。


私はようやくまともに呼吸できるようになってきた。岩に背中を置ける場所に腰掛けて、電話に集中する。


「外の世界は崩壊寸前なのよ。お金なんてもう意味を持たない」

『知ってるよ。言ってみただけだ』


私はあきれ顔になる。この男は、こんな大地下にいてすらふざけられるのか。


『一度外に出たからな。世の中はもうダメのようだ。ここに戻ったのはしばらく前だが、もう地上は9割以上は埋められたか?』

「そのぐらい……もっとかも。人はたまにしか見かけなくなった」

『そうか、まあ予想通りだな』


そこで明かりに気づく。

遥か下方。数十メートル先に点のような明かりが見える。


誰かがスマホを操作している。


あれが沼弟だろうか。確かに、スマホを手裏剣のように投げればぎりぎり届くぐらいの距離だ。


「あなた、死んだって報道されてたけど……」

『ここには死体はいくらでもある。似たような背格好のやつを見つけて警官の制服を着せただけだよ。歯型で判別されないように顔だけ潰したがね』

「なぜそんな偽装を?」

『副業で下手を打ってね、世間から隠れたくなったのさ、よくあることだろ』


闇に目を凝らす。どうやら10メートルほど下が大穴の底にあたるようだ。そこに沼弟がいるようだが、シルエットすら判然としない。


「お願い……私も櫟セラに呪われてるの。もう文字も読めないし、電子音も……」


そこで気づく。私は電話で会話できるのだろうか。この呪いが現れてから電話を使った記憶はない。


あるいはここがトコヨノクラだからか。きわめて完成度の高い宗教概念の結界。だから呪いが遠ざかっているのかも知れない。


『見返りなしに話す気はない。別にあんたが呪われてようと俺には関係ない』

「……少しなら、食料と水が。これは代金にならない?」

『食い物は必要ない。お前は黒餅こくへいを食べてないのか? そのへんに落ちてるぞ』


黒餅こくへい


『大きめな卵みたいな形をした黒い食い物だ。ほとんど味はないが、命はつなげる』

「ああ、それ、金咲も食べてたって聞いた……」

『食べてた? 他の場所にもあるのか』


私ははっとなる。そうだ、私は金咲の携帯番号を知っている。私はメモを見られないから、金咲から口頭で伝えてもらったのだ。このスマホで連絡が取れる。


そして沼弟との交渉において、金咲、つまり本来の櫟セラの存在をカードにできないだろうか。


そのためには、沼弟の行動原理というか、何を求めてるのかを知らなければ……。


「……沼弟さん。あなたは何をしてるの」

『スマホを漁ってる。ここにはたくさん落ちてくるんだ』

「なぜスマホを……?」

『ここには研究員らしき死体もあった。スマホのロックは死体の指で外せたからな、俺はいくらかの情報を得ている』


沼弟は一人言のように話している。成されるべき順序がときどき飛ばされるような語りだ。研究員とは何のことだろう。普通に考えれば、須銭寺すぜでらのような場所で櫟セラを開発していた人たちか。


『そして考えた。これを仕組んだやつは恐ろしく利口だ。指一本動かさずに世界を操る。多くの人間に人生をかけた作業をやらせる。実働をになった人間は命じられてる意識すらない。この場所はそんな力で作られたようだな。ここはトコヨノクラとか言うらしい』


よく見えないが、沼弟は私と通話しているスマホを肩に挟んで、手元では別のスマホを操作しているようだ。複数の作業を並行で行えるのだろうか。


『集められたのは信仰心にあつい修行僧。この穴蔵で数十年も仏様ほとけさまを彫り続けた。暗闇と迷路と仏像、この三つで人をトランス状態に導く、そんな仕掛けができたようだ』


私は口を挟まず待つ。沼弟の語りは果たして一人言なのか、それとも無意識に口を動かしているのか。


『そして結論としては、これだけのことを成し遂げたやつがしくじる・・・・はずがない・・・・・ということだ。俺は櫟セラの呪いを避けられたが、あれ・・をそんなに大勢がやれるとは思えない。全人類を絶滅寸前に追いやるほどの呪い、それは必然的に生まれ、すべて必要なことだった』


こちらを見た。


そんな気がした。沼弟は私を意識して喋っていたのだろうか。私は相槌を打つ義務を感じる。


「どういうこと」

『いくつかの遺体はQRコードを持っていた。スマホに画像データとして記録されていたものもな。櫟セラのサバイブにアクセスできるものもあった』


また話が飛ぶ。いや、沼弟は一貫した話をしているのだろうか。この男はかなり思考が速いのかも知れない。そして、私がついてこれるかどうかなど気にしていない傲慢さも。


『何人かの櫟セラを見たが、あれは無数の死を経験して、無数の個体が何となく意識を共有している。自分が無限に殺される存在だと分かっている』

「分からない、だから何だと言うの。あなたは何の話を……」

阿耨多羅あのくたら三藐さんみゃく三菩提さんぼだい


それは? その響きはどこかで聞いたことがあるような。法事のときだったろうか。


『それが目的だ。すべてのことに意味がある』

「何が言いたいの! からかうのはやめて!」

『我らはみな罪人つみびと


トコヨノクラ。


かつての奥賜おくたま村にあったチノクラの完成形。この地に入った者は、生者でも死者でもないものになる。


『黒幕はそれを分かっている。我らは救いようがなく、愚かしく、けして逃れられぬ罪のけがれにまみれた罪人つみびとだってことをな……』


闇の奥に見える、あの人物は本当に正気なのか。


言葉は互いにすれ違い、意味のある会話が成立しているとは思えない。


沼弟という警官は遺体で見つかった。


あの闇の奥にいるのは本当に本人なのか。



あるいは生者でも死者でもない、名状しがたいモノなのか……。


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