第六章・4
やがて事態は動く。
庭野のプレイしていたサバイブが結末を迎えた。地上へ脱出したと思われた櫟セラが死亡したのだ。その画面は私の自室のPCに転送されている。
庭野は憤慨した様子で店を出ていく。地上へ向かうようだ。だがこちらが手を回す前に、街をうろついていた反社組織により庭野は拉致された。
私は何も指示していない。そもそも指示系統など持っていないが、ともかく尾行班が派遣された。庭野は某県の山中に連れて行かれ、生きたまま埋められたようだ。私は数日後に回ってきたレポートにてそれを知る。
生き埋めが現実となった。
これは呪いの影響だろうか。それとも偶然なのか。
庭野が生き埋めとなった日の前後から、噂がネットワークを走り回っていた。どこそこで生き埋めの事件が起きたという噂が。
「実際に事件が増えているとは言いがたいようです」
黒日女史はカメラの向こうで言う。
「社会には暴行と傷害事件は掃いて捨てるほどあるのです。その中には生き埋めというキャプションがつけられるものがなくもない。無責任な反響型ニュースサイトが一斉にそのフレーズを使い始めただけです」
「庭野の事件は報道されていないはずです、それどころかまだ発覚も……」
「東京で起きた一家四人の生き埋め事件のほうでしょう。あれはセンセーショナルでした。その犯人も櫟セラの被験者です」
ああ、やはり。
私の方は本命ではないのか。
庭野は生き埋めとなって、実験は成功と言えるはずなのに。
「では、こちらの実験は終了でしょうか」
「もうしばらく続けてください。店長代理としてあなたを赴任させます」
「私をですか、店長としての実務は自信がありませんが」
「いいえ……」
黒日女史はかすかに首をかしげる。何かしら不可解な問いを見つけた様子だった。黒日女史には珍しいことだ。
「背水底さん、呪いの影響はありますか」
「いいえ、何も感じません」
「そうですね。私も何人かの被験者を見ていますが、あなたには何の影響もない。既存の宗教や、独自の死生観に強く傾倒している人間には櫟セラの影響が薄いことが分かっている。ですが、あなたにはそんな要素もない。奇妙なことです。あなたはなぜ影響を受けないのでしょう。櫟セラの開発者だからでしょうか。しかし開発者ならば櫟セラの直接の死の原因と言えるはず。櫟セラから認識されていないのでしょうか」
妙な感覚だった。
黒日女史は無駄なことを言わない、いつも必要な言葉だけを与えてくれる。だが、この日は妙に口数が多い。私に何を言わんとしているのだろう。
「私も呪われるべきなのでしょうか」
「いいえ、そもそも呪いの影響が薄い人を選んだのですからね。あなたが呪われてないならそれに越したことはありません」
「そうですか」
「確率の問題でしょうか。かなり致死率の高い病気であっても必ず一定数が生き残る。呪いにもそのような個体がいるのでしょうか。ではそれは肉体的なものか、それとも精神的なものか。あなたには櫟セラだけでなく、私の収集した呪いの手紙も効かなかった」
私は沈黙しか返せない。奇妙なものである、自分が呪われていないことを申し訳なく思ったのだ。
「まあ良いでしょう。そちらの実験の深度を深めます。薬物による影響も加味した調査を」
「薬物ですか」
「ええ、あなたの店で売りさばいてください」
※
店長代理として居酒屋に入る。
仕事についてはほとんどアルバイトの子たちに任せきりだった。私は料理などできないし、接客など想像もつかない。帳簿についてはAIに適当にやらせた。どうせ誰もチェックなどしない。アルバイトも数日のうちに私に期待をかけなくなり、めいめい勝手に動いている。
不思議なものだ。私のような人間でも仕事ができている。
うまくこなせているとはとても言えないが、AIが私を社会という場に立たせている。それは感謝すべきことだろうか。それとも私に不似合いな場所に引きずり出されたことを恨むべきだろうか。
事務スペースの私の机には、いつも20前後の袋が入っている。小分けにされたヘロインの袋である。誰がいつ補充してるのか知らない。店内にあるQRコードも誰が貼っているのか把握してなかった。おそらくはときどき来店している僧侶風の男かと思われるが、彼は私と接触しようとしない。
そのような状況は、実験において私が主体ではないことを意味する、私は実験者であると同時に観察対象でもあるわけだ。
ミームとは、広がっていく中で発信者と受信者の垣根が曖昧になる。誰が仕掛け人で、誰が被害者なのかも混沌としている。この実験は意図的にそのような状況を生み出そうとしている。
「……」
店の電気をすべて消し、施錠して、シャッターを下ろす瞬間にふと冷ややかな感覚が降りる。
曖昧だとか混沌だとか、それは言葉を濁してるだけではないのか。
認めたらどうなのだ。私もまた水槽の魚。いや、プレパラートの上でうごめく微生物に過ぎないと。
おそらく私とまったく関係のないところで実験は進展し、櫟セラのミームは広がりつつある。私のやらされてることは余った仕事の片付け、可能性の低い枝道を潰していく作業だ。
確かに薬物を摂取した人間は暗示にかかりやすくなるらしい。だからミームへの感受性も強くなる。
しかしヘロインに頼るというのはあまりにも力技。黒日女史が本命にするようなものとは思えない。仮に薬物を使うにしても、もっと斬新で洗練されたもの。おそらくは違法性すら問えないものになるのではないか。
黒日女史の言葉を思い出す。
ーーあなたには櫟セラだけでなく、私の収集した呪いの手紙も効かなかった。
言葉面だけを見れば、お前はなぜ死んでいないのだ、と言ってるのと大差ない。実際そう言っていたのだろう。
だが私は、黒日女史が私を慰めているような気がした。私に呪いを与えたいのに、うまく行かなくて申し訳ないと。
私は黒日女史の実験からこぼれてしまった。思い通りにならなかったのだ。
しかし、私に何ができるわけでもない。
与えられた役割を逸脱し、実験の中核に踏み込んでいくような度胸もないし、能力もない。今はただ日々の仕事をこなすしかない。
人員も少し入れ替わる。仲良川が辞めた。変わりに入った子は実験の被験者なのか。そうではないのか。そもそもこの居酒屋はまだ実験対象なのか。黒日女史からの連絡はしばらく絶えている。
私は井戸の底のカエル。黒日女史は井戸から見上げる丸い月のようなもの。
せめて月を見ていたい。月はカエルなど見ないけれど。
※
ある日のこと、私は事務スペースで書類仕事をしていた。もっとも大半はAIにやらせているが。
電話がかかってきた。私は億劫ながらも電話を取る。予約の受け付けや仕入れ業者とのやり取りは私の役目だ。常に電話の近くにいるのだから仕方ない。
『もしもし、仲良川ですが』
「ああ、仲良川さん、ごぶさただねえ」
急にどうしたのだろう。店を辞めたということは実験から外れたはずだ。少なくとも私の監督範囲からは。
仲良川が言うには、タチの悪いストーカーに追われているから、店にある履歴書を処分してほしいということだ。
「まあ原本は本社の人事課にあるからねえ。店にあるやつは処分してもいいよ」
『あ、そうですか、ありがとうございます。できれば今すぐやってくれますか』
まさかストーカーがこの店の履歴書など盗まないだろうと思いつつ、私は書類棚を調べる。
ない。
何もない。パケ(小袋)に分けられたヘロインも。
私はその意味を考える。
浮かんだのは、これが実験の終了勧告という可能性。
実験対象であるはずの人員の書類がない。ヘロインもない。つまりこの店での実験はすべて終わった、お前は店を引き上げろと言われているのだろうか。仲良川は実験する側の人間だったと。
「仲良川さん」
『はい』
私はあくまでのんびりした口調のまま、今日の天気について話すかのように、気軽に言った。
「人事ファイルが空っぽだねえ。きっと、誰か捨てちゃったんじゃないかなあ。いいかげんな子ばかりだからねえ」
しばらくの沈黙。
『そうですか……もし出てきたなら処分しといてください、では』
私の答え方に何を受け取っただろうか。仲良川が実験者側の人間なら、とんでもなく鈍感な人間と思ったか、素直に実験終了を受け入れたと思ったか。
私はしばらく茫然となる。何も考えられないような、何も見ていないような空白の時間。暗闇の中にたたずむ一匹のカエル。宇宙に解き放たれた一匹のカエル。
嫌だ。
その言葉は、腹を突き破って出てくる怪物のよう。
私をこんなところに放り出さないでくれ。まだ実験に参加していたい。まだ黒日卒との繋がりを。
アルバイトの住所ぐらい覚えている。私は仲良川のアパートに向かった。
深夜である。自動ドアの付近に立ち、他の住人が入る時に何食わぬ顔で通過する。大学生の多いマンションであり人の出入りは激しい、何なく入ることができた。
都合のいいことにマンションの前は工事中であり、重機の轟音が響いている。私は電動工具でスチールの窓枠を切断。窓を割って侵入する。
部屋を徹底的に探したが、何も見つからない。履歴書も薬も。
家具の配置が不自然だ。どうも引っ越しの途中という印象である。この部屋に居続ければやってくるだろうか。いや、破壊された鉄枠を見て通報されるだろう。私は諦めてマンションを後にした。
行き詰まりが感じられた。狭い道の両側から、鉄の壁が迫ってくる感覚。
私は現状を破壊したかった。仲良川を始末すれば、何かが変わる。事態が好転するはずだと思い込もうとした。そこに整合性なと必要なかった。
それからの数日は、時間が加速したような記憶。
仲良川が駅ビルの書店に勤めていることを突き止めた。深夜に彼女が帰宅するところを襲おうとしたが、出てこない。残業しているらしい。
私は裏路地にたむろしていた若者たちに声をかける。一人に10万ずつ渡し、周辺のビルの火災報知器を押してもらうように頼んだ。若者たちは私のことをイカれてるとかイケてるとか言ってたが、ともかく引き受けてくれたようだ。決められた時間ぴったりにベルの音が鳴り響く。
私は駅ビルに乗り込む。書店のあるフロアまで階段を登る。
私は何をしているのだろう。仲良川を生き埋めにすれば私にまた役割が戻ってくるとでも思っているのか。それとも私を実験対象にしていたことへの怨みか。
何もかも勘違いでありまったくの筋ちがいであることを認識した上で、それでも埋めようとしている自分がいる。か細い、ほとんど見えないような極細の線を頼りに、黒日卒との繋がりを求めようとしている。
呪いが私に降りかかることを願っている。
そうだ、私に櫟セラの呪いが降りかかれば。あらゆるものを見境なく埋めていく存在になれる。そしてやがては私も埋められるのだ。狂人の真似とて大路を走らば即ち狂人なり。呪いに便乗しようとすることだって、呪いの姿の一つと言えるはずだ。
だが果たせなかった。
あの妙な女が。私と仲良川の間に割って入り。
私を散々に痛めつけた上で、殴り飛ばして気を失わせた。
警察に確保され、何日も取り調べを受け。
拘置所で規則正しく過ごす日々が、私の中にあった非日常の熱を奪ってゆく。
私が持とうとしていた殺意も、執着も、狂熱もこぼれ落ちてしまった。
最初から何もなかったかのように。
では、私は。
変容しつつある世界で、その変容の影響を受けにくい私は、何のために存在するのか。
社会になじめず、呪いとも相容れない私は何者なのか。
分からない。
そして、恐ろしい。
櫟セラを、恐れることができない自分が恐ろしい。
無人の拘置所にて。私は歩を進める。
何も見えない暗闇の中で、手さぐりで階段を降りていくーー。
 




