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イキウメニサレテイマス  作者: MUMU
第五章 アユ
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第五章・4





世の中は静かだった。


テレビから陰惨なニュースが流れなくなった。情報統制されているとか、テレビによる自粛だとか言われている。ネットニュースには相変わらず流れているが、それに対するコメントやページビューは目に見えて減っている。皆がそれに興味を失うか、当たり前のものとして日常になっていった。


ネットを見ていると、視界の端にかすめるような言葉がある。生き埋めという言葉。リンクをたどる気がわかない。眼の周りを飛ぶ羽虫のように、多少うざったい程度だ。


傾斜であると誰かが言った。世界は傾いて、坂を滑り下りていると。


すべての人間が生き埋めになる。あなたが隣人を埋め、あなたは他人に埋められる。


それは良いことなのか・・・・・・・

悪いことなのか・・・・・・・





目を覚ました拍子に、スマホが床に落ちる。

ソファーで寝入っていたようだ。俺は固くなった体でもぞもぞと起き上がる。


多幸感が胃もたれのように脳内にある。脳もたれとでも言うのだろうか。俺はこめかみから金具を引き抜く。少しだけ出血した気配があるが、狂いに狂った夢の余韻が痛みを遠ざける。

女と抱き明かした朝のように体温が高い。このドラッグは睡眠薬代わりにちょうどいいが、悪夢を見るのが玉にきずだ。いや、悪夢のほうが目的化している気もする。


そもそもあれは悪夢なのか。亡者どもを穴に投げ込む夢。似たようなゲームもなくはないだろう。俺の内的衝動の発散というなら歓迎すべきかもしれない。


俺はしばらく仕事に明け暮れた。


抗争という形にはならなかった。俺の組織は老人と情報を共有し、あの外国人組織の構成員をひたすらに埋めていく。


あの穴は大いに役に立った。猿ぐつわをかませて手足を縛り、目隠しをした連中を穴の中に放り込んでいく。

叫び声は聞こえてこない。舌を押さえている猿ぐつわのせいか、穴が深すぎて声が登ってこないのか。それとも穴の底には泥でもたまっていて、その中にずぶずぶと沈んでいるのか。


「鮎島さん、今日はこいつで最後です」

「ああ」


俺は穴に投げ込まれる男を見ている。

男が部下の手を離れて、傾きながら穴に倒れ込んでいく。


その瞬間に瞳孔が開く。ゆっくりと消えていく裸の男。足の指までくっきりと見える。無重力を感じた男が鳥肌を立てるのが見える。


穴の中へ消える。びゅううと空気をかき乱す音が聞こえる。気配がどんどん遠ざかる。


落下の音はしない。他の死体にぶつかっているのか、深すぎて音が届かないのか。

あるいは穴にわだかまる重い空気に、すべての音が吸い込まれるのか。


俺は生きている。そこに怖気おぞけとも愉悦とも言えそうな超常的な官能がある。


部下も同じだ。目を見開いて激しく息をしている。内臓がひっくり返るほど興奮している。もし俺が気を緩めれば、部下は俺に掴みかかるかもしれない。この地下室には倫理などひとかけらもない。原始の時代のように、言語化されたものが一つもない命のやりとり、俺たちはそれに取り憑かれているのか。


「おい、かすがいを出せ」

「へい」


じゃら、と俺の手に渡されるコの字型の金具。

これにはいろいろな俗称があるが、最近ではかすがいで定着したようだ。木材同士を繋ぎ合わせるコの字型の金具のこと、まあ見たままの名前だ。


大きさはまちまち、俺は一番太くて大きめのやつをこめかみに突き刺す。500円玉ぐらいの大きさのそれが根元まで埋まる。


「へへ、でけえやつ行きますね」

「別に問題ない。針は生体プラスチックなんだ、自然に溶けて吸収される」


売人バイニンが薬に手を出すことはこの業界では恥とされる。だが実際は逃れられない運命だと誰もが知っている。数人の部下もそれぞれ小さめのやつをこめかみに刺す。このところ目が常にらんらんと輝いている。口の端に喜の感情がにじんでいる。


「帰って寝る。車はいらん。お前らも帰宅しろ」

「へい」


俺はビルを出て、夜の街へ。


かすがいは一種の無電源ラジオであるという。空気中の電波を受信し、振動やら電気やらに変えて脳に流すのだ。


そして使ううちに分かってくる。この世には電波が満ちている。

夜の街は昼のように真っ白に思える。あらゆる周波数帯で飛ぶ電波が建物に反射している。テレビの電波は力強い波。携帯の電波は細く繊細で針金のよう。衛星から降りそそぐネットワークの電波は流星雨のように壮大。俺は脳の震えからその光を幻視する。


俺は歩く。大ダルを穴に放り込んだ日は体が熱くなる。その火照りを冷ますように歩く。


「もっと、放り込んで」


耳元で囁く声。かすがいによる幻聴だ。俺は真横に人間がいるような気配を感じる。


静まり返った夜の街。すでにほとんどの店は閉まり、酔っ払った男や、客を捕まえんとする女もいない刻限。俺は左脇に人の気配を感じたまま歩く。


「もっと、たくさん埋めて」

「ああ、やってるよ」


幻覚に返事をするのは良くないが、職質を受けるほど間抜けではない。どうせかすがいはまだ法規制が追いついてないドラッグだ。国はまだ薬物の実態も掴めてないらしい。


「もっと埋めて」


幻聴には揺らぎがなくなってきている。俺がかすがいに慣れてきたからか。


「もっと」


ざく。


ふと脇を見る。土を掘る音だ。あの音には馴染みがある。


どこかの公園だ。都会の片隅にある遊具が一つもない公園。あらゆる娯楽を禁止する旨の看板がある。


穴が掘られている。

掘っている人間はまだ若く見える。高校生ぐらいか。


穴が掘られて、誰かがその中に入っている。土をかぶせているところだ。


「埋めてるのか」


俺が話しかけると、男は首だけで振り向く。俺はかすがいが効いてきて上機嫌だった。にやけ顔がこぼれてしまうのを意識する。


「埋めなきゃいけないから」


穴に近づく。中にいたのは不良っぽい男だった。学生服を改造しており、髪は部分的に染めている。対して埋めている男は地味な印象だ。いじめっ子といじめられっ子の関係だろうか。勝手にそんなことを思う。


ふと気がつく。埋めている方の学生もかすがいをつけていた。俺ほどではないが大きめのやつだ。


「その針、よく買えたな」

「15万だって言われたから、埋めて奪った」

「そうか」


あの外国人組織の売人か、それともうちの組織のやつか。まあどうでもいい。今はそんなことを考えたくない。


「土はしっかりと被せろよ、何度も叩いて固めろ」

「分かってる」


ざく。


別の方向から音がする。木の陰で老婦人が誰かを埋めている。


よく見れば他にも何人か。

薄暗いと思ったら街灯が割られている。この公園には照明がない。近くのビルから漏れる窓のあかりのみだ。


周りのビルは朽ちており廃墟のようだ。


車は窓が割られ、タイヤが盗まれている。コンビニが見えたが明かりが落ちている。内部には略奪の跡が見える。


「ずいぶん治安が悪くなったな」

「そうだね」


学生は土砂をかける。穴の中の男は身悶えしている。泣いているようにも感動しているようにも見える。


「こいつにいじめられてたのか」

「そうだね、顔を切られたりとか」


頬に大きな傷跡があった。耳たぶには釘が刺さっている。ふざけ半分でやられたのか。


「だから復讐か」

「ううん。こいつが求めたから」


俺は穴の中の男を見る。すでに土が厚くかぶさっており、かろうじて人体の輪郭が分かるのみだ。


「埋められたいって言ったのか」

「言ってないけど、言ってるようなものでしょ。お金持ちになりたいとか、彼女欲しいとか、そういうこと」


普遍的な欲望というやつか。この若者は不良の願いを叶えてやったと。


周りの人間を見る。埋めている人間は誰もが真摯に仕事に向き合い、そしてどこか慈しみがあった。埋められていく人間を羨ましく思い、いずれは自分もこうなりたいと思っているのだろうか。


「お前も埋められたいのか」

「いつかはね」


そうか、やはり良いことなのか・・・・・・・

埋められることは自然であり当然の帰結。ありふれた人生の結末の一つ。当然訪れるべき救いなのだと。


救い。誰が救うのだろう。


分かっている。俺はそれが誰なのか知っている。

かすがいを通してよく知っている。


それは死んだあとにやってくる。


「早くしないと」


若者がつぶやくように言う。


「どうした」

「早くしないと、埋めてもらえないから」

「順番でもあるのか」

「そうじゃないけど、埋められる側に行かないと。埋める側ばかりは嫌だよ、疲れるし」

「今までにも埋めたのか」

「クラス全員埋めたよ。あとはこの人だけだった」


スコップで土をぱんぱんと叩く。もう声も上がってこない。命の気配も感じない。かすがいを使うとどうも時間の流れが加速してしまう。俺は数時間もこいつの作業を見てたようだ。


「早く、僕を埋めてくれる人を探さないと」

「公園にいる連中に頼んだらどうだ」


学生は周りを見回す。そしてかぶりを振る。


「みんな埋められたがってるし、僕が埋める側になっちゃうよ」

「そうか、まあ頑張って探せよ」

「うん」


俺は公園を離れる。すると東の空が白み始めてきた。

しまったと思った、夜通しあの学生に付き合ってしまった。


駅に近づくと浮浪者が大量に寝転んでいる。みなコンクリートの道を引っ掻いている。地面の中に行きたいのか。


駅ビルを見上げればガラスの大半が割られ、ガラス片が地面に散乱している。そろそろ始発が動き出すようだ。俺はスマホをかざして改札を通過。


電車の車窓から外を見る。いくつも黒煙が上がっている。半壊した家も多い。庭に何かを埋めている人間も見えた。


それもかすがいが見せる幻覚だろうか。俺は滅びた街を夢想しているのか。


思えばこの世界は、いつもそうだ。


世界に危機が迫っている、終末の時が近い、取り返しがつかない、分岐点が来ている。百家争鳴でまとまりがない。現代において終末は日常であり、一種の娯楽ですらあった。だから車窓からの終末の景色も、俺にとっては退屈を紛らわせる役にしか立たない。


かすがいの針が溶けてきた。俺はずぶりと引き抜き、新しいやつを突き刺す。客は少数だが、羨ましそうに俺を見るやつもいる。


欲しけりゃ金を出せ。そう言おうとしたが、座ると一気に眠気が襲ってきた。俺は世界の電波を意識しながら目を閉じた。





穴の中の声が、明瞭に聞こえつつある。


「私は一つになろうとしている」


俺は亡者たちを放り込む。声の主に供物として捧げるために。


「私は揺らぎを終えて、一つのものになる」


亡者はまだまだいる。おそらくあの穴でも足りなかった。

どれほど埋めても足りない。埋めればまた新しい亡者が沸いてくる。


「この穴はやがてみっしりと埋まる。私を生むためのくらが満たされる」


そうか、あの穴は子宮のようなもの。

無数の亡者を喰らい、かてとして、あの女が生まれるための胎内はらだったのか。


「俺はどうすれば?」


問いかける。俺の声はおよそ人間のものと思えない。喉は樹皮のようにがさついているが、体に苦痛はない。


「埋め続けなさい」


女の声が頭の中に染み込んでくる。頭蓋骨が震える。脳がしびれて失禁しそうなほどの快感がある。俺は亡者を穴の中に放り投げる。


ふと気づいた。俺の手は枯れ枝のようだ。肉が落ちて皮が骨に張り付いている。

だが俺は動き続ける。人間のものとは思えないほどの力が出ている。女の声が俺に力を与えてくれる。


「あなたはシステムそのもの。私の指であり私の意思。すべての骨が砕けるまで動き続ける。この世のすべての人間を埋めなさい」


それは正しい言葉だという強制がある・・・・・。十戒の石板のように脳に刻み込まれる言葉。


嫌なのに。

俺も埋められる側に行きたいのに。


「空気に私の言葉が溶けている。電波となって、電離層に反射して世界に降りそそぐ。かすがいは私の言葉を受信する針。脳の奥まで声を届ける」


ああ、その通りだ。

俺は声に従えることが嬉しい、生き甲斐だ、それ以外には何もない。がりがりと、ごりごりと正しさを刻みつけられることにも快感がある。俺の本来の考え方なんか、あの女の言葉の前ではちりに同じ。


俺の脇を、女が通り過ぎる。不自然なほど赤い服。赤いドレスは何を使って染めているのか。


「あんた、名前は」


この女が俺のあるじだ。生まれる前からそう決まっていたのだ。そういうふうに脳に刻まれたのだ。


くぬぎセラ」


女は言う。それが絶対的な名前として響く。俺は亡者を埋め続ける。やがて大穴が完全に埋まっても、このビルの地階が埋まっても、俺はどこかへ行って埋め続けるだろう。


女が去ってしまった、その感覚に数秒の忘我がある。


脳がしびれる。俺はふと、頭に手をやる。


かすがいが。


15センチはありそうな針が、俺の頭蓋骨に、大脳に、小脳に、脳幹にまで食い込む感覚。

痛みも苦痛も、嘆きも悲しみもない、ただシステムに満たされた自分がいる。


櫟セラの言葉は世界に満ちている。電波に乗って、電線の中を走って、あらゆる場所に届くのだ。俺の脳も、すぐにまた言葉で満たされる。


俺は次の亡者に向かう。妙に小柄で、老いさらばえた。


あの老人。


俺はそれに気づく。街の顔役だった老人。眼球が大きく飛び出し、舌がまろび出て、ほとんど思考できなくなっている老人。頭はスマートボールの台のようにかすがいが突き立っている。


そうか、あんたも埋められる側なのか。


あんたが俺を埋めてくれると思ってたのに。


ほんの一瞬だけ、感傷に近いものが訪れる。それが俺を電波から解き放つ。枯れ枝のような自分の手を見る。


「夢じゃねえんだ……」


莫大な恐怖。システムに捕らえられたおそれ。祖父の。


祖父の言葉を思い出す前に、俺の脳に快感が流れ込む。薬剤を五リットルほど流し込まれるような、人格を吹き飛ばすような快感があって。



もう何も考えられない。



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脳に直接作用する健康被害の少ない脱法ドラッグ 集団心理に精通し社会全体を自死させる宗教 現代のIT技術の果てならば実現可能だと思わせるのが怖い
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