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イキウメニサレテイマス  作者: MUMU
第五章 アユ
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第五章・3





泥から引き抜いたようなビルがある。


その区画からして陰気臭い。開発の流れに取り残されたように寂れていて、どのビルも腐りかけのように黒ずみ、コンクリートの隙間から灰色の草が生えている。


ビルに入る。内部の空気は重い。蛍光灯がちらついていて、空調の音はがたついている。窓はタバコのヤニに覆われており、何かの張り紙が不完全に剥がされている。


「大丈夫なのか。不良どもがたまり場にしてないか」

「いちおう鍵は複数つけてやす。若い衆が毎日見回りもしてやす」


どこか時代がかった口調の部下が先を歩く。


一階の通路を奥まで進む、壁が真っ黒に染まったトイレの脇にエレベーターがある。


中に入り、一階と四階のボタンを同時に押す。するとエレベーターが地下へと下降していく。階数表示のランプにもボタンにも地階はない。


たっぷり3階分ほど降りて、扉が開けばそこは直線の通路と、やはり複数の鍵がついた扉。目的の部屋はその先にある。


「エレベーターの保守業者は大丈夫か」

「どの業者がやってるのか分かりやせんでした。いちおう、うちの息がかかった会社の人間に点検させてやすが」


妙な話だ。あの大柄な男はそのへんのことを知っていたのだろうか。


扉を開けると意外な人物がいた。あの時の麻雀で同席していた老人だ。和服姿で腕を組み、目の前の大穴を見つめている。


「おう鮎島か、お前がここを買ったそうだな」


なぜ老人がここに?

困惑は数秒だった。そうか。俺にここを売った黒スーツの男。あいつが良からぬたくらみをしてると、老人に吹き込んだのは俺だったな。


「ああ買った。大ダルを投げ込んでいこうかと思ってる。穴の深さは数千人ぶんはあるそうだ」

「そうか、すまんな、先に使わせてもらったぞ」


仕事の早いことだ。あの体のでかい奴はすでに始末されたか。


この老人は戦後すぐからこの街を牛耳っている顔役だ。俺と同じく砂川を通じて警察との付き合いもあった。というより俺の組織は本来はこの老人の組織から派生したものらしい。


部屋は広い。

天井は高く、蛍光灯は頼りなく、老人の奥に巨大な穴。コンクリートに黒い水たまりがあるような眺めだ。


既視感デジャブがある。俺はこの地下室を知っている。


そうだ、あのとき夢で見たものに似ている。


この場にはたくさんの亡者がいて、俺はそれを。


頭を振る。


「別に構わんさ、だが次からは使用料を貰うぞ」

「ああ分かった。お前の穴だからな」


くらい。


明かりはついてるはずなのに、なぜこんなに暗いのだろう。


空気がよどんでいるというやつか、それとも壁が汚れているから暗く見えるのか。


俺も穴のそばまで行く。やはり深い。穴の底は全く見えない。


穴は深さだけでなく横幅もかなりのものだ。もともと遊水路にする穴と聞いているが、この地下室からそこにアクセスを……。


「妙だな、いちおう公的な工事だろ。こんな雑居ビルの地下から掘り始めるわけがない」

「わしもそれを調べた。だがそもそも、遊水路計画について実際の工事はまったく行われていなかったようだ」


老人が俺の目を見る。剣呑な光が浮かんでいる。


「鮎島よ。これだけの穴を掘れば大量の土が出る。土をどうやって片付けたと思う?」


老人は含み笑うような気配があった。疑問の共有に見せて、俺を試しているのだと分かった。


「天然の穴だと言いたいのか?」

「違うな。横壁を照らしてみると発破が使われた形跡がある。おそらくは少しずつ、土砂を秘密裏に運び出しながら掘られたのだ」

「なぜそんなことを?」

「この街にはそういう物件がしばしばある」


老人は言う。その口調は思案を伴っていなかった。ただ俺に説明するだけの口調だ。

そういえばこの会話は妙だ。なぜ俺にこんな話をする必要がある。


もしかして、老人は穴の秘密に関わりたくないのではないか、そんな気がした。

情報だけ俺に与えて、あとは俺が考えろと言いたいのか。


「他にもあるのか」

「特に地下に多い。作られた記録のない地下室。不自然な場所にあるシェルター。記録上に名前はあるが、どんな仕事をしていたのか分からぬ土木業者などだ」


思い出す。うちが持っている再開発地区のビル。更地にした時に見つかった謎の空洞。沼弟を突き落とした穴。


「なぜそんなものがある?」

「わしがいろいろと調べた範囲で、言えることが一つある。造られ始めたのは古くとも30年前だ、それ以上古いものではない」


30年前というとまだ平成の頃か。さほど古い話ではないのか?


「例えばこのビルのエレベーターだ。機械の形式として27年よりも前には存在していなかったものだ」

「そうなのか」

「だが、このビルの古さを見ろ。まるで戦前からある建物のようだ」


そして、とペンライトで穴の下を照らす。


「この穴だ。遊水路計画はおそらくはこの穴を掘るための架空の計画だ。つまり公的な事業を隠れ蓑にしてまで掘ったのだ。それでいて何に使う穴なのかも分からん。なぜだ」

「あのでけえ男が、計画は自分が頓挫させたと言っていたが」

「偶然要望通りになった、ということかも知れん。あの道路陥没の一件もあり、どのみちすべての地下開発は止まることになっていたようだ」


地下を開発させない、何らかの力が働いた?


いや、そもそも、地下開発とはすべて何かのカモフラージュだった? 


あの道路陥没は偶然なのか?


掘るだけ掘って、どこかの段階で事業を意図的に頓挫させた?


この穴、これだけの穴を秘密裏に掘れる存在なら、道路を陥没させることも……。


「それで鮎島よ、このビルはなぜこんなに古びていると思う?」


老人は穴から数歩離れる。やはり思案の色はない。ビルが古いこと、それが老人にとっては問題の勘所とでも言うのか。


「……わざと古く見せている? 何十年も……戦前からあるものに見せかけて?」

「そういう印象を受けるのう」


老人はその答えに満足したようだ。


大昔からあったものと見せかけている?


誰に?


それは、このビルを使い、この大穴を使おうとしている人物に。



ーー俺に?



「……来歴なんかどうでもいいだろう。俺はここに大ダルを捨てる。それに差し障りがないならどうでもいい」

「そうだな」


ふいに。

頭の中に冷たい風が吹くような気がした。

俺と老人、そして部下の三人を天の一角から見るような感覚。


自分自身がひどく自然な流れに乗っていて、それを不気味に思う感覚。

俺はこの穴に大ダルを捨てていく。つまりは生き埋めにしていく。


この穴はそのためにあった。


この穴を生き埋めに使うことは、いった・・・い誰が・・・決めたのだ・・・・・


「……なぜ生き埋めなんだろうな。もっといいやり方があるだろうに」

「はっ、そんなものは無い。昔からこれだけよ」


老人は言う。


「そんなことはないだろう。山に埋めるとか、海に捨てるとか」

「どれほど山奥でも誰かが管理しておるものだ。野犬に掘り起こされる可能性も高い。それに骨となっても見つかれば騒ぎとなる。身元が明らかになれば捜査の手が及ぶ。海はもっと危険だ。人間は溺れると体内で腐敗ガスが沸く。風船のように膨らんでくるのだ。あれは多少の重しをつけても浮いてくる上に、たいそう目立つ」

「山に埋めても発見されるってのは分かる。だが、それなら生き埋めだって同じことだろう」

「そうとも、同じだ。だが一つ違うのは、殺しておらぬということよ。手にかけておらぬ」


老人はあごひげをさする。まるで何か含蓄のあることを言っているような態度だ。


「どうせ穴の中で死ぬだろう。何が違うんだ」

「死のケガレというものだ。人を殺すとそれが手にこびりつく。それは運気を腐らせ、良くないものを呼ぶ」


オカルトの話をしてるのだろうか。俺は怪訝な顔になる。


「生き埋めには他の意味もある。十分な深さが必要と言うことだ」

「深さ?」

「埋められた者が脱出できぬ深さが必要だ。それに深さがあれば臭気が漏れぬ。それだけの穴を掘る中で覚悟とか慎重さが身についてくる。一方で死体を埋めるのはどうだ。死体はモノだ。しゃべらず、暴れもせぬ。扱う人間にも必ず油断が生じる。それが不手際を生む」

「……」


言ってることの筋は通っている……ような気がする。

生き埋めとは俺たちのような日陰者がたどり着いた最良の方法であり、その利点や合理性はオカルトじみた言葉で説明されるものの、きちんとした理屈があるということか。


オカルトとか迷信には実は科学的に正しいものがある、そんな話は確かにあるが。


「ずっと昔から、そうだったのか?」

「そうとも。この街のビルを根こそぎ引き抜いてみろ。数え切れぬ骨が出てくる。それが社会というものの素顔だ。一皮むけば死が詰まっておるのよ」


ずっと昔から、そうだった。


ずっと・・・昔から・・・


「まあ良い、そろそろ出るか」


老人は喋りきって満足したように言う。


俺たちは地下室を出て外へ。薄曇りだったが、それでも外の光をまぶしく思う。


「ときに鮎島、あの外国人がいただろう。先日の麻雀でちまちました打ち筋だった男だ」


打ち筋は覚えてないが、そいつなら今朝方会ったばかりだ。


「ああ、いたな」

「あれは埋めてしまおう。何やら危うい薬を売っているらしい。薬は慎重さを要する。扱うならばお前がやれ」


俺は小首を傾げる。


「俺が? ご老人がやればいいだろう」

「あいつの組織は海外のそれと繋がっていて根深い、わしは手を出さん」


つまり俺に埋めろと言っているのか。俺に海外の息がかかった組織と戦えと。


「鮎島よ。あの大男の組織はわしが埋めた」

「ああ」

「お前も働け。この街で美味しい思いがしたいなら手を動かせ」

「……」


さて、どうする。


この街にあった主要な4つの組織。そのうち一つをこの老人が潰した。俺はあの外国人の組織を潰す。そして街を二人で分け合おうと言うのか。


そうはなるまい。


組織が二つきりだと必ず争う。おそらく潰し合うことになって、規模の小さいうちが負けるだろう。もしかすると、すでに老人はそれを見越している。構成員に引き抜きぐらいはかけているかも知れない。


それは考えすぎかも知れない。老人は俺を買ってくれている気配はある。この街を俺に任せて自分は楽隠居に入る可能性もある。先ほどの長話もそういう雰囲気ではあった。街の面倒事は俺に任せると。


だめだな、日和ひよっている。


あの男なら。

かつて友人のようにも感じたあの警察官なら、迷わずこの老人を埋めただろう。おそらく、先ほど地下室で遭遇した段階で行動していた。後先考えずに動けるやつが一番強い、そういうものだ。


「わかった、働こう」


俺はそこまでの度胸はない。今は老人に従うしか無いようだ。


こめかみをがんがんと叩く。あまり意識してなかったが、頭痛があるかも知れない。


「どうした鮎島、心労か」

「この稼業で心労が絶える日なんぞあるわけがない」



ーースリルと


ーースリルと一生付き合っていく覚悟がないなら


ーー今すぐ舞台を降りるべきだな



あの男はそう言っていた。

そして内省する。俺はどうやらあいつの事が好きだったらしい。同類だからというわけじゃない。あいつは迷いがなかった。舞台を降りるなど最初から考えていなかった。己の生き方から外れなかった。尊敬していたかも知れない。


俺も降りるべきではないのだろう。降りる、という選択肢があるとするならだが





俺は地下室にいる。


すえた匂い、よどんだ空気、うめき声、殺意、虫の這う気配、正体不明の悪寒、そんなものが渦巻いている。


亡者は無数にいる。誰もが裸で、痩せていて、外傷を負っていたり体の一部が無い者もいる。


ルールは単純だ。この地下室にある大穴、そこに落とされればすべて終わり。


俺は大股で歩いて亡者の一人を捕まえる。今にも折れそうなほど細い腕。あばらの浮いた体。年齢も人種も、性別すら不明。目が見開かれている。歯がないやつもいる。


「もっととたくしさんおをとしてて」


声が聞こえる。穴の奥からの声だろうか。脳の奥にまで響く声だ。


何十何百と亡者を投げ込んでも終わりはない。いつの間にか亡者が沸いている。終わりなど永遠に来ない気もする。


女の声だ、それを意識する。


穴の奥にいて、亡者が降ってくるのを待っている。


幸福なことだと感じる。この亡者たちは、声の主によって祝福を受けるのだ。


俺は亡者たちを捕まえる。抵抗を示すやつは殴り飛ばす。亡者たちの骨はクッキーのようにもろく、あらゆる部分が簡単にはがれる・・・・


俺は亡者たちを捕まえ、砕き、折り曲げ、絞り、穴の底へと放る。そのたびに俺の手に命の手ごたえが残る。


これが生命のバトン。俺は苦笑する。うまく笑えた自信はない。


放り投げる瞬間に、亡者たちの命が俺に飛び込んでくる。亡者たちの残りカスのような命を、尊厳を受け取る。そして俺はまだ動き続ける。


頭痛がする。


苦痛ではない。だがどうも頭が重いし、痒い気がする。


ふと頭に手をやる。何かが頭部についている。

取っ手のような、U字型の金属の棒だ。俺の頭にゲートボールのゴールのようなものが、何本か。


頭蓋骨が震える。脳がしびれる。何も考えたくなくなる。


亡者の手首を折り、横から膝を踏みつけ、首をねじって穴に放り込む。



ああ。


生きている。



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