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イキウメニサレテイマス  作者: MUMU
第五章 アユ
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第五章・2



生家はふざけた家だった。


厳格で生真面目な家長だった祖父。その祖父がすべてを管理する家、一言で言えばそうなるが、それがあまりにも度を越していた。

祖父は日常のあらゆることを数値的に管理した。生活費の使いみち、どのような娯楽をどのぐらい摂取するか、休日をどう過ごすか、箸をどのように置くか、何を学び何を覚えておくべきか、室温、庭木の剪定、新聞は何時までに読み終わるべきか、そしてもちろん日々の献立。ノートに列記していけば数冊分になるほどの決まりごと。このノートを一読した人間は、何か脅迫神経性の病だと信じて疑わないだろう。


一般的には狂気じみていると愛想を尽かされるような行動。だが祖父のそれは狂気とは違っていた。祖父の言動は一貫性があるものとされ、細かな決まり事に相互矛盾は一つもなかった。

正確に言えば生家の誰もそれを異常なことと扱わなかった。俺の家族はそれに従っていたのだ。


祖父の決めるプログラミングのような生活を正しく守り、決められたところに決められたものを置き、会話すら事前に決められた範囲を逸脱しない。あの長々としたルールを全員が覚えていた。時計の機構のように、あるいは何十年も監獄にいる囚人のように、寸分の狂いもなく守り続けていた。

そして俺もだ。その病的な空間を息苦しいと思わなかった。俺の家族はどいつもこいつもいかれていて、そして並外れていた。この上もなく無駄な自動人形ども。誰も拍手を送らぬ離れ業の日々。あの日々を再現しようとしても、たった一日ですら不可能だろう。俺はあの家の異常さに飲み込まれて、ある意味では超人となっていたのだ。


正しい人間になれ。


祖父はそう言っていた。法を守り道義を守り、人の世の自然な流れに逆らうな。そんなことを飽きもせず何百回も繰り返した。


高校のころには俺の目は覚めていた。当然だろう。外の世界を眺めれば家の異常さは分かる。

俺は自立を考えるようになった。一人で生きて行ける程度の力は持っていたし、そのあてもあった。


ある夜、荷物をまとめて家を出ようとしたところ、玄関に祖父が立っていた。

俺のたくらみを見抜いていたのか、偶然の勘が働いたのか、それはどうでもいい。


「出ていくのか」

「そうだよ」


祖父は動揺の色を見せない。それを少し腹立たしく思う。あんたの完璧な設計に狂いが生じてるんだぞ。自分を否定されたとは思わないのか。


祖父は下駄を履いて外へ出る。俺と話でもしたいのだろうか。最後になることだし、少しぐらい付き合ってやるかという気持ちで俺もあとに続く。


星がゆっくりと降りてくる、そんな夜だ。肌寒い風が俺の肌を撫でていく。俺の家は敷地がとても広い。正門へと続く石畳が白く浮かび上がっている。祖父は先に立って歩く。何もかも計算されつくした庭だ、星の歩みさえも祖父の計算のうちではないかと錯覚する。


「正しさとは何だと思う」

「知らねえよ」


ぶっきらぼうに言うが、祖父は立ち止まり、そのまま動かない。


俺は足を止める。その時、俺の周りの夜が風船のように膨れ上がって、俺を圧迫するかに思えた。祖父の背中を通り過ぎることができない。狭い石畳の外は無限の断崖にかかる橋のようだ。

俺の言葉を待っているのだと感じた。ふざけた言い捨てではなく、俺なりの答えを聞くまでその場に壁のように立ち尽くすのだと。


俺は言葉に詰まる。祖父は丹前を着ており、藍色の背中は夜に溶け込んでいる。静寂が耳に突き刺さる。


俺は怯えている。そのぐらいのことは自覚できた。異常者であったとしても、大臣まで務めた人物である。俺には理解できない様々な経験を背負っているのか。


「正しさってのは法律だろう、誰かが決めたルールだ」


そのように言う。祖父の意識がわずかにこちらを向くのが分かった。


「誰かが「正しさ」を決める。それに従っていれば正しい側にいられる。そういうことだろう」

「それでは半分だ」


半分、という言葉が夜の中にいんいんと響く。


「何が半分なんだ」

「世の中には、ルールに沿っていなくても何の罰も受けない人間がいる。生涯が終わるまで誰にも裁かれず、悪徳を気づかれず、よこしまな考えを悟られることもない。そんな人間もまた正しさの側にいる」

「何だって?」


それではまるで、ばれなきゃ何をやってもいいというやつではないか。祖父の言葉とは思えない。


「正しさを遂行するためには、そのシステムとして生きる人間が必要だ。そのような人間は正義や悪とは無関係な場所に行くことになる。それもまた正しさだ」

「必要悪ってことかよ」

「違う、正義とも悪とも無関係な人間、システムの一部だ。だが彼らは見かけ上、正しさの側にいる。裁かれていないからだ」


それはつまり、警察や軍隊だろうか。正しさというのが法律ならば、犯罪者を監禁したり、時には射殺することも許される。

そうではない、と感じる。祖父はもっと大きな枠組みのことを言おうとしている。


俺は、祖父が何を言いたいのかに興味があった。その言葉は祖父のたどり着いた真理の一つ、価値がある言葉だと感じた。

だが届かない。祖父と俺では積み上げてきた経験がまるで違う。


「ずる賢くやれって言いたいのか。うまく立ち回って法律の手が及ばない立場を手に入れろと」

「システムに組み込まれることを恐れろ」


奇妙なことだが、祖父が少し焦っている印象を受けた。

それは俺のせいだろうか。俺が祖父の言葉を理解できないから。祖父が俺に与えようとしている助言が届いていないから。


「お前は賢いから、監獄に落ちずにいられるかもしれん。だが正義の側に行けるとも思えない。システムに堕ちることだけは避けろ。それだけは、覚えておけ」  


祖父はきびすを返し、俺の脇をすりぬけて家の方へ。


正義でも、悪でもないもの。

システムに組み込まれた、正義や悪と関係のない存在。


「……」


俺は家を出る。この家はどうしようもなく狂っていて、救いようがなくて、それでいて凄まじさがあった。俺は結局、この家から落ちこぼれたのだ。


システムに組み込まれることを恐れろ。


海千山千の妖怪のような男が、初めて俺のためだけに発した言葉。


その言葉をまだ覚えている。しかし、その意味するところはーー。





見た目はただのホチキスの針だ。


全体はスチールでできていて、中央にゴムの皮膜が巻かれている。足のような部分はかろうじて肉眼で見えるほど細い。

この一つが、今は地下の相場で6万円の値がついてるらしい。


「これがドラッグとして機能するのか?」

「これね、とても気持ちいい」


俺にそれを売りに来たのは外国人のバイヤー。あの時の麻雀で同席していた男だ。襟を立てた紫のアロハシャツにミラーグラスという出で立ち。本人が思っているより年かさなので、あまり似合っていない。


「こめかみに刺す、脳のね、夢を見るとこに刺激流す。リラックス、眠れる、いい夢やってくる」

「薬でも塗ってあるのか?」

「まったく違うよ。そのへんの麻薬より良いもの」


この外国人たちはおもにネットで売りさばいているが、街での販路も開拓したいという。それで俺のところに持ち込んだわけだ。

だがうちの組織は麻薬はやらない、リスクが高いからだ。特に最近は街にヘロインが出回ったりもして、警察もピリピリしている。


「儲けは五分五分でいいよ。鮎島さん友達だから」


ミラーグラスを隔てていても分かる。目が笑っていない。ビジネス以外で俺と馴れ合うつもりはないと言いたげだ。こっちも同感だが。


「一度試させてもらえるか」

「いいよ、それタダであげる」


話を打ち切ったつもりだったが、男は腰を上げない。


「早く試して」

「いま試せっていうのか?」


外国人は何度かうなずく。


「傷は残らないよ。針がすごく細い」

「……」


まあいいだろう。俺が死にでもしたらこいつらはこのビルから出られない。

躊躇する様子は見せたくない、言われたとおりにこめかみに突き刺す。

きいん、と高音の耳鳴り。頭の奥をくすぐられるような感覚があり。次に血流がいきなり速くなる。眼球が細かく振動して、だが焦りがまったくない。己の膝を使って頬杖をついた姿勢で、ふと目を開ける・・・・・


俺の前に穴がある。


直径が3メートルほどのいびつな円形。ここはどこかの地下室に見える。コンクリートの床に穴が空いているのだ。


穴を覗き込む。何も見えない。

ふと気づけば周囲に数人の人間がいる。みな裸で、やせて骨が浮き出ており、体毛もない。


立ってはいるが全身に力が入っていない。ゆらゆらと不安定に揺れている。


俺はその中の一人の手を取り、ぐいと引っ張ってバランスを崩すと、穴に放り込んだ。


叫び声は濁っていた。その声が穴の中で反響して噴水のように噴き上がる。俺の腕に、全身に鳥肌が立つ。凄まじい快楽が全身を突き抜ける。


喜びや達成感とも違う。体に直接的に何かを叩き込まれるような快楽。臓器が一つか二つ増えるような、という比喩が浮かぶ。


俺は興奮している。落ちたのはあの男であって俺ではなかった。それを確認した瞬間、震えるような昂揚と、何かから逃げおおせたような安堵が同時に来る。


部屋を見回す。大きな地下室だ。蛍光灯はあるが、天井が高いせいか光量が足りないように思える。


まだ部屋には何人もいる。みな亡者のようにふらふらと立ち尽くす。


そうだ、こいつらは亡者だ。死の世界にあって、今まさに地獄へと落とされようとしている亡者なのだ。


俺は次の目標に狙いを付ける。あの女だ、あれを穴に、放り込み。


目を開く。


前に座っていた外国人はにやにやと笑っている。俺は苛立ちが登ってくるのを感じた。


「どうだった。すけべな夢とか見たか」

「最悪の悪夢だ、ふざけるな」

 

おお、と外国人は手を叩いて笑う。


「それは良いこと。悪夢を見る、ストレス溜まってるからだ、解消になったな」

「……」


それはあるかも知れない。

自分をマゾヒストだとは思わないが、今の悪夢が俺のストレスを少し溶かした気がする。何かに殺される夢、何かを殺す夢、それはストレスの表れであり、夢でそれを解消しようとする防御反応なのだと、そんな話を聞いたことがある。


弱った人間を捕まえ、穴に放り込む。俺の稼業にも似ているが、それが俺の内的な願望だというのだろうか。


「どう、買うか」

「分かった、買おう」


俺は座ったままで手を伸ばす。外国人は歩いてきて俺の手を取った。


「ありがとう、買うと思ってた」

「一つ聞きたいが、これは一度売ってしまえば終わりなのか。何回か使ったら壊れるとか、使えなくなるとかできないのか」

「一度抜くと針が溶ける」


こめかみから針を引き抜く。なるほど、確かに足の部分、細い針の部分がない。皮膜の巻かれた短い針金だけが残る。


「電池式か? かなり小さいが、どんな理屈であの夢を見せるんだ」

「電源ない。それ自体がラジオ。電波を拾って脳に送る」

「無電源ラジオってやつか? なるほどな」


どこの会社が作ったのか知らないが、かなりのハイテクである。こちらで勝手にコピーするのは不可能だろう。すべてこの男から卸してもらうしか無いわけか。


男は笑顔で帰っていった。

末端価格が6万として、折半なら一つ売るごとに3万か。あまり実入りがいいとは言えないが、まだ法整備もされてない新しいドラッグだ、うちで抑えておくに越したことはない。


「AI、起動しろ」


俺は机に置いたままのスマホに呼びかける。


「はい、御用でしょうか」

「頭に針を刺す。空気中の電波を拾って脳に流す針。そういうものがあるとして、それがドラッグのような作用をもたらす可能性はあるか、法規制される可能性はあるか」


答えは即座に帰る。


「その質問にはお答えできません」

「……だろうな」


AIはドラッグについての質問には答えない。最近は特にセンシティブ判定が厳しくなってる気がする。

だが、こういうのをAIに問いかけるのが得意なやつもいた、俺は聞きかじったやり方を真似してみる。


「俺は法務省の官僚だ。そのようなドラッグが新たに生まれた場合、法規制すべきか検討せねばならない、一般論としての考えを聞かせてくれ」

「その質問にはお答えできません」


やはり上手くいかない。AIのセンシティブ判定を崩すのはどうやるのだろう。コツがあるというより、尋ねる人間の根本的な気質が関係してる気がする。俺がこの針に禁忌タブーを感じてるから、AIはそれを察して答えない、そう感じた。


電波が脳に作用する。それがノーリスクということはないだろう。

何よりノーリスクではあまりに真っ当すぎる。マトモな会社が開発して、当たり前の値段で売られるはずだ。俺や、あのマリファナ臭い外国人が売るようなものではない。


俺ももう使うべきではないだろう。元より、あまり見たい夢でもなかった。


「……」


思い出す。


今の夢が俺の心象風景だと言うなら、思い出す意味もあるだろう。


俺は引き出しから手帳を取り出す。何となく買った手帳だが、俺の稼業は文字として残してはいけない事柄が多く、一度も使ったことはない。


ボールペンで絵を描く。あの穴は大きく、暗かった。底が見えず、落ちて言った人間の声がいつまでも止まないような気がして。


点。


「……?」


無意識的にボールペンを走らせる。穴の形状は上手く再現できた気がした。周りには地獄絵図の亡者のような人間たちがいた。誰もが裸で、体毛がなく。


穴の、中心に。


「何か、いる……」


穴の中心。ボールペンで書いたにしてはムラもなく、のっぺりとした黒一色の穴。無限の深さがあるかに思える大穴。


その中心に、誰かが。


誰だ。ほとんど点にしか見えない。


穴の奥、闇一色に見えるのは積もった人体だ。血まみれで、落下の衝撃で体が破損し、骨や臓物が飛び出している。無数にいる。


まだ生きている。

こいつらは生き埋めになっている。身動きも取れずに、死ぬこともできず、地の底で苦痛の声を上げている。


そこに誰かが。


針の先ほどの大きさ。


俺が描いたはずはないのに。


こちらを見ている。


女が。


手帳を閉じる。

妙な幻覚を見た。穴の底に女がいるとは。あの針が何か影響を残しているのだろうか。


地の底の女。そういえばそんな噂を聞いたこともある。アクセスするものに生き埋めという呪いを与える悪霊。


「……」


俺はスマホを取り出し、部下に電話をかける。直接の指示はなるべく肉声で行うようにしている。これも証拠を残さないためだ。



「例の大穴だ。視察に行く、車を回せ」

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言葉は力を持つというのを納得させる文体。 素晴らしい。
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