第五章・1
俺は世間からずれている。
そんな感覚が時おり訪れる。
世界は変化して、社会は進歩したり後退したりを繰り返すらしい。だが俺の周りはいつも泥臭くて、血なまぐさい。昭和の映画から拾ってきたような暴力があり、使い古された様式美がまかり通る。
俺の属する組織が古いからだろう。戦前から続くという暴力組織だ、カビの生えたやり方が守られている。それは俺たちの組織だけじゃなく、警察も、司法もだ。
世界は古いままのほうがいい、そういう意思が世界のどこかにあって、俺たちを苔むした水槽の中に閉じ込めている、そんなふうにも感じる。
俺たちはどこかおかしいのか。
それとも、俺たちだけがずっと変わらずマトモなままで。おかしくなっているのは……。
※
スマホを触れば時間が溶ける。
倫理観も、危機感も、焦燥感すらも娯楽として消費する。ニュースサイトは今日も賑わってるようだ。
二十人以上が生き埋めにされた病院。
一家四人を埋めた男が、そのまま隣の家の家族も生き埋めにした。
そんなニュースすらも親指を動かすだけで流れ去る。
誰にも原因は分からず、解決のめども立っていない異常事態。
実際に埋められているのはその数倍とも言われる。
全世界的な規模だ。おびただしい数の人間が生き埋めになり、そして誰も、それを本当の意味で警戒していない。
生き埋めという事象を恐れることができない。
テレビでは知識人が、雑誌ではコラムニストが由々しき事態だと語る。しかしそのような終末感は、言ってみればこの国に常にある空気であり、俺も生まれた時から浴びていたような気がする。常に批判的で、愚痴っぽくて、それでいて問題の核心には踏み込まずに日常を送ろうとする感覚。
「鮎島さん」
部下が入ってくる。俺は表向きには不動産会社の社長をやっていて、会社としての体面も十分に保っている。税金関係も綺麗なものだ。部下からこわもての気配が抜けないのは、まあ仕方ないが。
「どうした」
「例のスーパーの立ち退き終わりました。いつでも取り壊せます」
川の側にある古びたスーパー、三億円で地上げするという案件だった。
実際は一億と少しだ。店長だった老夫婦を引退させて息子に権利を譲らせたが、息子の方は簡単な罠にはめて弱みを握った。だが他の業者との交渉の中で四人ほど埋めたから、リスクを考えると儲けは思ったほどではなかった。
「更地にしたら工事の目隠しを高めにしておけ、地下室に使う」
「へい」
はいと言いたがらないやつがいる。別に構わんが、表の顔と裏の顔はきちんと使いこなせ。
あのスーパーの床面積からして50人ほど埋められるだろうか。大ダルの処理に金を取れば一億ほど稼げるだろう。
おかしなことだ。埋めても埋めても次の大ダルが出てくる。人間が尽きる日というのは来るのだろうか。
俺は腕時計を確認する。時刻は昼過ぎの13時だ。
「出かける。車を回せ」
「へい」
※
繁華街にやたらと金箔で飾り立てた中華料理屋があり、その上層階にVIP用の個室がある。伝統はゼロから創作したもので、レシピは別の店から奪ったものだ。そんな店が一番居心地がいいという奴もいる。
俺は空腹だった気がする。かすかに漂う醤とか八角の香りが胃を苛立たせる。だが何も食う気はしない。最後にいつ飯を食ったかよく思い出せない。
面子は良くない。黒いスーツを着た大柄な男、和服を着た老人、金時計をこれ見よがしに巻いた紫のシャツのアジア人。どいつもこいつも因縁が溜まってる相手だ。
やることは麻雀だ。俺たちは若い衆に周りを囲ませ、サラリーマンなら鼻血が出るようなレートで打つ。だが勝ち負けに興味はない。
「再開発計画がまた練り直しになった」
大柄な男が言う。
「おもに駅ビルについてだが、先日の騒ぎで改装が決まった。近いうちに入札がある。全部うちでやらせてもらう」
この街は駅を中心としている。再開発の計画自体は10年ほど前からあるが、去年あたりにその規模が大きく拡大された。建築に関する規制緩和があったことと、外国人の観光需要を満たすために美術館と劇場を作る計画が持ち上がったためだ。
この会合はつまりはその利権の取り合いだ。計画が何度も変更されるので、そのたびに十億単位で利権が移動している。
次に老人が発言する。高い手を張っていそうなので俺は適当に降りる。
「風俗街の一掃は阻止できた。いろいろ鼻薬をかがせたからな、駅の北側はわしらでやらせてもらう」
駅の北側は歓楽街。老人はおもにそこを仕切っている。この四人の中では最も古くから存在し、最も資金力があり、組織の規模もでかい。
枯れ枝のような指で盲牌をする。捨て牌を誰かが鳴いたら噛みついてきそうな気配がある。獰猛なことだ。
「あんたはどうなんだ」
外国人に話しかける。浅黒く焼けた男で首元にタトゥーが見えている。こいつは日本語ができるはずだが、いつも必要以上に喋らない。こちらの隙をうかがうような態度が人をいらつかせる。
「ビルの食べ物屋、うちね」
そう答える。
この外国人は飲食店に強い利権を持っている。新しい駅ビルには9階と10階に30店舗ほどの飲食街ができる予定だ。それを仕切らせろということか。
「鮎島、おまえはどうなんだ」
老人に水を向けられる。老人の歯周病のひどさに舌打ちしたくなる。
「好きにしたらいい。うちは新しくできる劇場を請け負うことに決まってる。それで手一杯だ」
もちろん別会社への丸投げだが、それでもやることは多い。劇場に入るテナントもうちの手配だ。地主の接待から工事の人足の手配。その中で金をこそぎ落とす。
俺たちの仕事は言ってみればダニだ。国からの大きな仕事があると潤う奴らがたくさんいる。そのあらゆる部分に食い込んで、接待して、賭場に案内して金をこそぎ落とす。
地主にも施工業者にも最後にはほとんど現金は残らない、その中でいかに不満を抱かせないか、それがまあ、手腕というやつか。
「鮎島」
外国人が言う。
「邪魔者、10人ほど、何とかなるか」
「一人200万だ。名士ならその都度金額が決まる」
「大丈夫、チンピラばかり」
「生か、締めてるやつか」
「ぜんぶ生」
「分かった、近場に地下室を作ってるから、2日ほど待て」
「おっと鮎島、それはロンだな」
老人が手牌を倒しながら言う。
「鮎島、うちんところの跳ねっ返りも二人ほど頼みたいんだが」
「二人で600万だ」
「なんだ高くなるのか」
「こういうのは資産によって決まるもんだろ」
麻雀は適当に続き、大した対立もなく話し合いはまとまっていく。
すべて終わって、俺と大柄な男だけが残る。
「終わってみれば鮎島さんの一人勝ちだな」
「そうだったか」
麻雀のことはよく覚えてない。ここで交わされた会話もよく覚えていないが。
「だが大丈夫なのか。安請け合いして」
「何がだ」
「人を埋めることだ」
「別に、必要なことだろ」
必要なこと?
何か麻痺してると感じる。俺はこめかみをごんごんと叩く。
「最近やたらと増えてるからな。警察ももう麻痺してる。俺もこれまで何百人と埋めてきた。今さら多少増えても変わらんさ」
「警察とパイプがあるってのは本当かい?」
そんな質問に答えるはずもないが、俺はなんだかひどく疲れていた。投げやりに答える。
「もう無い。パイプ役というか、俺たちに便宜を図ってくれる人間が二人いたが、どちらも埋めてしまった」
だから俺たちの組織も風前の灯かと思われた。だが不思議なことにそうはならない。
実は警察からはすぐに次の人間が寄越された。仰ぎ見るほどに階級が上の男だ。
その人物は砂田のことも沼弟のことも知っていた。俺たちと直接の付き合いは持たないが、警察はいま多忙を極めているので、何をやるにしても目立たないでほしい、そう頼まれた。
その人物が何をどこまで動かせるのか知らない。何かする気はないのかも知れない。だがその男には理解があったのだろう。誰かが街のゴミを掃除する必要があると。掃除する人間がゴミであったとしても。
「鮎島さんはやり手だからな。一番危ない橋を渡ってんのに、いつまでも生き残ってる。みんな感心してるよ」
「そうか」
「鮎島さん。もっとシステマティックにやってみる気はないか」
「何をだ?」
大柄な男は部下に命じてアタッシュケースを出させる。麻雀牌を腕で強引に押しのけて、広げられるのはいくつかの図面。どうでもいいが、黒スーツでこんな会合に来る意味が分からない。そういうのは素人を脅すときに着るものだろう。
「地下遊水路計画ってのがあったんだ。共用溝のさらに下、広さにして野球場10個ぶんって水路を作る。豪雨が起きたらそこに雨水を流す」
「頓挫したと聞いたがな」
それというのも道路の崩落があったからだ。
ある日、駅ビルの真ん前の道がミサイルでも落ちたみたいに陥没した。アスファルトの下にあった土が長い年月によって流れ出し、大空洞になっていたのだ。
その陥没事故は大いに話題になり、原因が過剰な地下開発にあるとされ、そのとき進行していた都市計画が一度完全にストップした。
公共事業ってものは一度止めると再開は容易じゃない。予算の無駄遣いだとか叩かれるようになり、結局その遊水路計画は頓挫してしまった。
俺がそんなことを話すと、黒スーツの大男はしたり顔で答える。
「うちが頓挫させたんだよ。定期的に洪水が起きてくれたほうが土建屋は儲かる」
「そういうもんか」
「だが穴は掘ってあるんだ。容積にして20万立方メートルって大きさの穴だ」
別の図面を見せる。端にでかでかと「非開示」のハンコが押されていた。穴を横から見た模式図であり、形状は口の狭い壺に見える。
「ここに投げ込む。簡単でいいだろ」
「投げ込む?」
「ああ、地上の穴から底までは80メートル。落下で生き残ったとしても絶対に這い上がれやしない。下部に炭酸ガスやらを充満させときゃ確実に死ぬが、そのへんは鮎島さんに任せる」
大柄な男は一本指を立て、にやりと笑う。
「一億でいい、買わんか」
「危険じゃないのか。中で大声でも出されたらどうする」
「届くわけないさ。そのへんのことは検討してくれてから買っても構わんが、明日には売れてるかも知れんぞ。この穴自体には他にも使い道がある。残土処理とかな」
俺は図面を見る。シンプルな構造だが巨大な穴だ。人間がこの穴に落ちて生き残れるだろうか。
生き残れる?
なぜ生きたまま落とす必要がある? 首を掻っ切ってから落とせばいい。
いや、そんな必要もないのか、この穴に落ちればまず即死で……。
がんがん、とこめかみを掌底で殴る。
「一億で買っても、そんなに仕事があるか分からん」
「仕事なんか腐るほどあるさ。うちも月に何人も頼んでるだろう。再開発がらみでさらに山ほど生まれてくる」
生まれてくる、という表現におかしなものを感じつつ、俺はその穴のことを考える。
「目立たないように運び込めるルートが必要だ」
「心得てる。穴の入り口はうちの持ちビルにあるんだ。テナントの入ってない廃ビルだ。あんたしか使う人間はいない」
「なるほどな」
提案は理解できる。
ちまちまと地下室を用意して大ダルを投げ込むのは面倒になっていた。数千人が入るような巨大な穴があれば、そのへんの憂いはなくなる。
だが、一見すると突拍子もない話だ。俺が手を出すような話だろうか。
「今は間に合ってる」
「つれないな、鮎島さんはもっと先のことを考えられる人間だったと思うぜ。小耳に挟んだが、なんでも政治家の家系だとか」
俺は大柄な男に視線を向ける。睡眠不足気味で険の強い視線だ。
「別に調べたわけじゃないさ、そういう噂は前からあるだろ」
「父方の祖父が国会議員だった。大臣も経験したらしい。親父は市議会議員をやったり祖父の秘書をやったりしてたが、今はある市民団体の幹部だ。母方は京都の資産家で、母は女子大の教授だ」
ひゅう、と口笛が鳴る。
「もうとっくに縁は切れてる。俺が家を出たのは中学の頃だ。親子関係を証明する物はほとんどない」
「本当だったのか、さすがだねえ」
真実とはいえ、こんな話を信じる方もどうかしているが、俺にそれだけの貫目があるのだと肯定的に考えよう。
「穴は買おう。振り込みは部下に指示しておく」
「助かるぜ」
その一言には本音が見えた。おそらく何かの債権のカタで手に入れた物件なのだろう。この男も持て余していたわけだ。
「買った以上は仕事を回してくれ。この街には埋めるべき大ダルが多すぎる」
「そうだな」
大柄な男は退出する。俺は電話をかける。
コールの間、あの男の組織について考える。企業に寄生しているタイプで、実動部隊は多くない。頭を埋めれば末端はどうにでもなるだろう。
「ああもしもし、すまないな。さっきの麻雀だが、ちょっと耳に入れとくことがあってな」
この街には埋めるべき大ダルが多すぎる。
そして埋めても埋めても終わらない。無限に増えていくかに思える。
俺は何かの罰でも背負っているのか。それとも罰を受けてるのはこの街か。
「体のでかい黒スーツがいただろう。あいつは危険だ。あんたを生き埋めにして、利権をいただこうと持ちかけてきたぜ。ああ、そうだな、こっちから構成員の情報を回すから……」




