第四章・7
「そうだ、と、言ったらどうする?」
臥空は試すような笑いを口の端に登らせる。
「あなたを殺すべきだと思ってます」
臥空が死んだとしてもセラさんの呪いは消えない可能性が高い。事態はすでに転がりだしており、制動が効かない段階にある。
だから、黒幕かどうか問いかけることにも意味はない?
そうではない。彼は少なくとも悪人だとは言える。殺しておけば新たな悲劇を回避できるかもしれない。セラさんの呪いについても事態が好転する可能性もなくはない。
だから有無を言わさず、殺すべきなのだろうか。
「では、なぜ問うた」
僕の思考を先読みするように言う。
そうだ、黒幕であろうとなかろうと、ここで臥空を殺さないという選択肢があるだろうか。
ない。
だから、これは言い訳なのだ。
犯罪に手を染める度胸は湧いてこないし、僕の腕っぷしで勝てるかどうかも分からない。
問いかけるという行為は一種の宣言なのだ。私は事態に何も断定的な意見を持っていない、その結果いかんで何か行動を起こすつもりはない、という宣言だ。僕はゆっくりとそれを認識する。
「あなたが黒幕だと答えたなら」
だがそれを認めるのも違うと感じる。僕なりの答えを無意識からすくい上げる。
「少なくとも、あなたは嘘はつかない人間ということです」
「ふむ、なるほど」
臥空は両腕を組み、感心したように頷く。実際にはそれほど深遠なやり取りなど何もないのだけど。
「黒幕ではない」
臥空は言う。
「こう答えるしかないのが残念じゃのう。絵図を書いたのはこの村の者だ。その者がサバイブを作った。櫟セラという学生を生き埋めにしたのも同じ人物だ」
なるべく丁寧に話そうという気持ちがあるのか、言葉を確かめながらゆっくりと語っている。
「オブサリ様は腐りかけておった。腐った御神体は信仰を失う。だからこの村は新しいものを求めた。仮想世界の中に人格を構築し、数え切れぬ死を体験させることで人格を神格に変えるという試みだ」
「……じゃあ、女子大生生き埋め事件は」
「テストケースよ。地下に埋められた人間がどのように振る舞うのか知る必要があった。被検体は自力で助けを呼んだようだが、本来は1年ほどで偶然を装って助け出すつもりだった」
「テストケース……でも彼女が埋められた地下には、カメラのたぐいは無かったとか」
「大した問題ではない。事情聴取を行う警察にも村の関係者はいた。この村はお前の想像している以上の権力を持っておる」
そして、と臥空は断定的な響きを乗せる。
「実験と実証は完遂された。仮想空間の神として櫟セラは生まれた」
「そんなことが、できるはずが……」
「神とは実在のものではない。祈るものの精神に宿るのだ。それはすなわち呪い。櫟セラは脱出不可能な迷宮の中にいる。それに干渉した者に殺される、殺されることで呪いとなり、魂を導くものとなる」
神とか呪いとか、そんなものが本当にいるのか。
あるいは、いてもいなくても同じなのか。
「プレイヤーキャラが死ぬようなサバイブはたくさんあります」
僕は、自分の持つ常識の世界に踏みとどまりたい一心で尋ねる。
「なぜ櫟セラだけが特別なんですか」
「わしもここまでの力をつけるとは思っておらなんだ。すでに世の中のあらゆる場所に影響が出ておる。世界を一変させるやも知れぬ」
顎をさすりつつ、推測ではあるが、と前置きして言う。
「興味深いのは噂だ。噂の広まり方が途轍もなく速い。実在の事件をモチーフにしている要素が一役買ったのもあるが、世の中の変化と不可思議な噛み合わせを見せたのよ。もし櫟セラのサバイブがなければ、別の何かが世の噂の中心に座ったかも知れぬな」
「噂……」
僕は仲良川さんを見る。まだ眠ったままだ。
彼女はネット上の情報をまとめるサイトを運営していた。しかも、彼女自身は長い文章が読めない状態で、更新作業のほとんどをAIに委ねていた。
仲良川さんのサイトの記事を別のサイトが拾い、また別のサイトへ。
文章が要約されたり何かを付加されたりしてぐるぐると回る。
記事のロンダリング。そんなことはずっと昔から起きていた。
だけど、AI。
人間ではない思考がそれをさらに高速化させているのか。もはや記事を書くのは人間ではなく、読者がいようといまいとお構いなしに、人間の恣意を排除して広がる噂。だから特別な力を持つ……。
考えすぎている、と感じる。AIのそのような記事作成について語れるほどの知識はない。愚考は不要な恐怖を生むだけだ。
「……なぜ、僕の職場にQRコードを」
「実験よ」
実験。
なぜ僕のところに。
いや、待てよ。
あるじゃないか。僕と、僕の周辺にいる人々に櫟セラを体験させる理由が。
「ぼ……僕が、セラさんの呪いに耐性があることを知っていた」
「――左様」
臥空は、この世の皮肉をすべて固めたような笑みを見せる。
「櫟セラの影響が弱い人間がいるという推測、それを確認したかった。あのQRコードは黒幕たる人物によってほうぼうにばら撒いておるものだが、それとは別にお前の周辺にも撒かれた。十数年前。6歳で親類に引き取られ、この村を離れた人間が一人だけいると聞いておった」
それは、僕のこと。
では、なぜ僕だけ呪いの影響が無いのか、あるいは弱いのか。
僕が、他の人と違うこと、それは臥空が僕を実験に選んだ理由と同じ……。
「オブサリ様の影響……」
「話が早いことだ」
臥空はあぐらを組んだまま体重を前に傾け、のしかかるような威圧を放つ。
「お前の家はオブサリ様を安置していた。お前は幼いながらにオブサリ様のことを何度も聞かされたはず。その思想もだ。それがお前の心に食い込んでいたはず」
そう、かも知れない。
僕はずっと、あの奇妙な死体が怖かった。それが僕の家にあった意味を考えたくなかった。目を逸らしていた。
思い出したくなかった。
でも、思い出したくないということは、知っているということ。
僕は両親からどんな話を聞いていたのか。思い出せない。でもきっと心の何処かにあるのだ。
死んだ後に、僕たちの魂を導くという悪神。煙で燻され、嘲弄される死体。それにまつわる村の人々の狂気を、聞いていたのだ。
「呪いとは信仰である。それが仮説だった」
臥空は、何かしら有意義なことを確信している人間が見せる、満足げな笑みを浮かべて言う。
「お前を見てわしも確信できた。お前はチノクラに降りても陰の気にあてられなかった。櫟セラの呪いは、すでに何かを信仰している人間には効かぬ。あるいは力が弱まる。信仰とはその人間が抱いている世界観であり、鳥類にある刷り込み現象のように早いもの勝ちの法則なのだ。仏門の教えに帰依しておるわしにも効かぬだろう」
では。
効かないならば、では。
「こ、この村は!」
この異様な信仰を宿す村は、チノクラと呼ばれた地下空間は。
あの芋虫のような、直視できないモノたちは!
「ど……どうなるんですか!」
「如何ともならぬ」
それを述べることに恍惚が伴うのか、頬をゆるめて言う。
「櫟セラの呪いは効かず、オブサリ様の信仰を失いつつあるこの村には、何の救いもないのだ。チノクラに落ちた者どもに、死後の魂の導きなど無いのだ」
無惨。
その一語だけが、場のすべてを埋めるような感覚。
何の救いもなく、ただ、地下に落ちる。そして命を落とす。
限りない地下の闇の中に、落としてしまう……。
「な、なぜ……こんなことを」
「うん? 別に村人などどうでもよかろう。人はいつか死ぬ。死後が無であるなど、ごく当たり前のことだ。わしにとって重要なのは櫟セラだけよ」
櫟セラ。それが臥空の目的なのか?
そうだ、そもそもこの人物は、何のために動いている?
どういうツテでこの村に取り入り、どういう理由で櫟セラを生んだのだ?
「金だ。単純なことだろう」
やはり僕の問いを読むかのように、鷹揚に告げる。
「先ほど言うた通り、わしは黒幕ではない」
臥空は、言うべきことは十分に言い尽くそうとしている、という満足げな気配とともに言う。
「わしは雇われただけよ。黒幕の考えなど大した興味はない。人間をごっそりと減らしたいとか、そんな風なものだろう」
「人間を……」
「もはや何人死ぬか想像もつかぬ。まあ良いではないか。影響のない人間がいることも判明した。人類の絶滅までは行かぬだろう。社会が限られた富を奪い合うゲームだとすれば、労せずして参加者が減っていくことは利益でしかないのだ。わしは生臭坊主ではあるが、説法の口舌はそれなりに達者であった。民衆をまとめる腕を買われて雇われたのよ」
そのような臥空の言葉はすでに真剣味を欠いていた。ここから先の彼の言葉には何の真実も無いような気がした。
そして僕には、もう察しがついていた。
黒幕が、誰なのか。
「……黒日卒」
「む」
臥空は、己に失言でもあったかと身構える空気を出す。
「僕の母が、黒幕なんですね」
「……お前は優秀だな」
優秀というほどでもない。臥空は話しすぎているし、僕が察せない方がおかしいのだ。
僕の家はオブサリ様を安置する家だった。臥空がこの村に入り込めたのは、僕の家が招いたと考えるのが自然だろう。
そしてチノクラには、僕の父しかいなかったのだから。
「お前の母は、この村の利権すべてを掌握しておる」
そこで、絆すような生暖かさが言葉に乗る。
「金銭にすれば莫大な額だ。何もかもお前の母のものだ。あまり金には興味が無いようだったがな。どうする? お前が望むなら黒日卒のもとへ連れて行ってもよい」
「行きません」
臥空がなぜ僕のことを知っていたのか。母から聞いた以外にありえない。
僕を実験台にしたのは母なのだ。
もし、僕に櫟セラの呪いへの耐性が無かったら。僕の周りの大切な人が犠牲になったなら。いや、もうすでに。
仲良川さん――。
「僕は」
母がどんな人物かなんて、知らない。
何を考えてるかなんて、分かるはずもない。
でも僕が。この物語に組み込まれようとしている。おそらくは母の意思で。
それに組み込まれるのは、嫌だ。
「僕は、母の思惑から逃げます」
臥空は。一度まじまじと僕を見て。
そして驚きの感情を声として吐き出す。
「それは……卒どのの予想とは違っているな。お前が櫟セラの呪いを止めるために行動すると読んでいたようだが」
「呪いを止める方法はあるのかも知れない。でも僕は、これ以上付き合えない。付き合うべきじゃない。僕はこの物語の主役になんかなりたくない」
僕は膝を回し、女子二人の横たわる方を向く。
何の因果もなく選ばれた犠牲者。櫟セラこと金咲星。
仲が良いとは言えなかったけど、いつも明るくて勤勉で、自立した女性だった仲良川さん。
「二人とも……ごめん」
僕は立ち上がる。舞台を降りるなら早いほうがいい。
「どこへ行く?」
「歩けるだけ歩きます。倒れるまで歩いて、倒れたら眠って、目が覚めたらまた歩きます。あらゆるニュースの聞こえない場所に、電波の届かない場所まで行きます。すべてのメディアと縁を切って生きていきます」
櫟セラの呪いは情報の中にある。だから、すべての情報をシャットアウトして生きていく。
「できるものか」
「できなくてもやります。それが唯一、母の思惑から外れる行動であり、ほんの僅かに母に罰を与えられる手段なんです」
「……世界を物語だと捉えるなら、誰もがその主役になりたがっておる。お前はこの物語の主役になれる。お前に訪れた千載一遇の契機やも知れぬ。それを捨てるのか」
「母は、自分が予想できる範囲ですべてを完結させようとしている。陰謀と抵抗の物語さえも。その中心にいるべきは僕じゃない。僕であるべきじゃないんだ」
「……そうかも知れぬな」
臥空は追いはしなかった。
僕は、まだ暗い中を歩き続ける。
森に分け入り、道を無視して、涙を流しながら歩く。
夜に向けて叫ぶ。あらゆる感情のこもった声で。
その叫びを最後に、僕という人間の情報すべてが、この世界から消えた。
※
――
――
――
――ねえ、知ってる?
――セラさんの噂
――うん、そう、誰も助けられないんだって
――セラさんは数え切れないほど死んで
――数え切れないほど、呪いをばらまいて
――でもね
――その呪いと戦ってる人が、いるんだって
――さあ、どこの誰なのか、わからない
――でも、噂だと
――戦ってる人もまた
――櫟セラ、なんだって
ここまでが七章となります
全体としては折り返しというところですが、他の連載も始めたいと思っているので、更新ペースは落ちてしまうかと思います
当初は夏の間に終わらせる予定でしたが、思いのほか長い話になりそうです
もしよろしければ、今しばらくお付き合いください
 




