第四章・2
※
連れられてきたのは学生向けのマンションのようだった。それなりに小綺麗だけど、明らかに一室が狭い。
「部屋は一つ空いてるから、そこに寝てね」
「え、あ、うん……」
部屋を見回す。奥のリビングが一番広くて12畳ぐらい、それとは別に6畳ほどの寝室がある。段ボールがたくさん詰まっていた。
リビングはと言うと、なんだか左右にくっきり分かれてる印象だ。右側はさっばりとしていてフローリングにホコリひとつ落ちてない。家具は小型の冷蔵庫とパイプベッドだけ。
対して左側はビールの缶が山積みになっていて、雑誌とか漫画が散らばってる。そして寝袋が一つある。
仲良川さんはベッドに腰掛けると、スマホをたしたしと操作し始めた。ベッドにもう一つ置いて二丁使いだ。
「アクセスどんな感じだ?」
「伸びてる……セラさんの噂は弾くようにしてるけど、隠語を使って何人かがやり取りしてる」
所在なげにしてると、仲良川さんが申し訳なさそうに話しかける。
「ごめんね、これ仕事なの。ブログやってるから」
「ブログ……?」
「こいつ『嫌なニュース』の管理人なんだよ。けっこう稼いでんだよな」
金咲の言葉に目を丸くする。僕でも知ってる有名ブログだ。
「前はセラさんのことを記事にしてたけど……今は扱ってないの。コメント欄への書き込みも、セラさんのことは徹底して弾くようにしてる。禁止ワードもたくさん設定してるんだけど、隠語を使って話してる人もいる……」
「ほんとはブログ消したほうがいいんだけどよ、この噂が役に立つかもしれねえからなあ」
金咲はいつのまにかビールを開けている。いや、缶を開けた音なんかしただろうか。もしかして開けたまま放置してたのを飲んでるのか?
「黒日くんは、セラさんの噂って聞いてる?」
「いや、まったく……スマホは川に捨てたし、ここ最近はずっと引きこもってたから」
「どうも発信源が複数あるみたい……東京、大阪、仙台、北海道に福岡、この5箇所に本物があったみたいなの……」
この土地も含まれてる。やっぱり僕の持ってた短冊も本物だったのか。
「警察も注意喚起してるぜ。うちの週刊新柳もセラさんのこと取材するなって言われたらしい」
週刊新柳はよく知らないが、道すがら聞いた所によれば芸能ゴシップとオカルトがメインの雑誌らしい。
「金咲さんは……その、自分を埋めた犯人を捕まえたいんですか?」
「捕まえたいってのとは少し違う。なんのためにあたしを埋めたのか知りたい。何の意味もないとは思えない」
金咲が語るには自分が埋められていた部屋はカメラもなかったという。観察すらしていなかったのだ。あらためて意味不明な事件である。
「カメラがないのは確かなんですか? 小さいカメラをどこかに仕込んでた可能性も」
「確かだ。時間が腐るほどあったから、毎日1時間ほど部屋中を探した。針の先ほどの穴ひとつ無かった」
金咲はそれはともかく、と僕に向き直る。
「あたしのことはどうでもいい。問題はお前のアクセスしてる櫟セラだが……」
金咲は部屋の隅からビニール袋を取り出す。果たしてその中には何台ものスマホが入っている。
「何ですかそれ」
「プリペイドスマホだよ。それぞれ100ギガまでネットできる。必要になるだろうから用意しといた、しといたが……」
そこで、ためらうような沈黙がある。この粗野というか荒くれた印象の人には珍しい間だった。
「お前がセラの呪いを受けてないかどうか確認したい、アクセスする気はあるか」
「……」
潜りたくはない。
あの場所は恐ろしすぎるから。
でも逃げ続けても解決しないし、呪いを受けてるのは仲良川さんも同じだ。確認するなら今かもしれない。
「わかりました」
僕はプリペイドスマホを受け取ると、持っている短冊を撮影する。一瞬だけ表示されるURL、どこかへと繋がる瞬間の、時間が伸びるような感覚。
暗転。
現れるのは暗い部屋だ。茶褐色に染まったコンクリートが6面を埋める部屋。中央に白装束の人物がいる。襦袢のような白の着物。滝行をする人間が着るものを思わせる。
「誰かいるれの?」
その人物は、確かに金咲に少し似ている。だがかなり若く、黒髪が腰のあたりまで伸びている。
「お願いぎ、誰かのでも助けて、生き埋めなにされているにので」
「おい、なんか舌足らずじゃねえか?」
「これ、『嫌なニュース』にも書かれてた症状だ……。セラさんの喋り方は子どもみたいに舌足らずだって、ときどき、何を言ってるか分からなくなるって」
「僕が前にアクセスした時は、もっとちゃんと喋ってたけど……」
「誰かいるれの」
「ああ、うん、いるよ。黒日だ。君の名前は?」
「櫟せせあ」
舌足らずのようでもあり、複数人が同時に喋るような印象もある。
セラさんは、自分はここに生き埋めにされている、どうか助けてほしいと告げる。
「やっぱり新規の櫟セラだ。前の櫟セラは死んでるな」
金咲のつぶやきを受けというわけでもないが、櫟セラが言葉を並べる。
「私は何とになく理解ひしていりる。私はは何千回目かの私。私ひは何度もこくの場所に送られてちいる」
何千回も、この場所に……。
僕は前と同じようにする。セラさんに呼びかけ、部屋の外を見るように言う。
「恐ろししい」
彼女は部屋を出る前にすでに怯えている。外にあるあれを察知しているのか。それとも以前の自分が知っているのか。
部屋を出れば、視界が一気に開ける感覚。
天地を貫く螺旋。
そう見えたのは階段だ。筒状の空間のぐるりを取り巻いている。
「何……この場所」
繋がる場所はみんな違うらしい。短冊のQRコードに依存してるのだろうか。
この縦穴は直径20メートルあまり。一軒家が収まるほどに大きい。外周全体に鉄柵があり、階段は壁と鉄柵に挟まれて存在している。
格子状の柵は檻のようでもあり、内側にある何かを閉じ込めるかにも思える。
「明かりがあるね。真っ暗な場所もあるらしいけど……」
階段にはところどころに白熱電球が取り付けられており、どこからか電気を得て発光している。半分以上の電球は割れているが、筒状というシンプルな空間ゆえに全体を照らせてる。
「何ににかいる」
何かいる、と櫟セラが言う。
円筒内の中心あたり。
吊り下げられた、蜘蛛の死骸のような奇妙なシルエット。
とても大きい、博物館で見た恐竜の骨のような。
僕はそれを直視できない。
何かが、枝のようになった部分をかさかさ動かしている。
遥か上方から吊り下げられている。
茶色とも褐色ともつかない色をして……。
「見らるれない」
櫟セラは部屋に戻ってしまう。そして僕も、これ以上はプレイできない。スマホを床に置いて距離を取る。
「今日は……ここまでにしましょう。ゆっくり休んでださい」
「はいい」
スマホをスリープにして裏返す。
額にじっとりと汗をかいている。今見たものを忘れたい。あれが何なのか考えたくない。
「黒日くん、今のって……?」
「あれを見ると気がふれる」
その確信だけがある。
あれは直視してはいけない。あれが何なのか考えてはいけない。
それなのに、思い出される。
なぜ、あれとまた出会うんだ。
大きさは違うが、あれは。
「う、ぐ……」
吐き気をもよおす。
やめてくれ。
考えたくない。
二度と思い出したくない……。
「吊られた人間に見えたな、かなり大きかったが」
金咲が言う。
「グロテスクなのは分かる。だけど目が潰れるほど醜悪じゃなかったぞ。櫟セラは怖がってたみたいだけどよ」
「あれは……見てはいけないんです。意識してもいけない。あれが何なのか考えてもいけない。その上で階段を登らなければいけない。だから僕には……プレイできなかった」
「わかった」
ぽん、と背中を叩くのは金咲。
「無理させて悪かった。もうプレイしなくていい」
プレイしなくていい、その言葉に肺の空気を全て吐き出すほど安堵する。
だが、櫟セラは。
彼女はあの場所で、どんな運命を辿るのだろう。
部屋に閉じこもったまま餓死するのか。それとも階段を登ろうとして、あれを意識して気がふれてしまうのか。
何千回目かの私と言っていた彼女は、あの場所でまた何千回も……。
※
あてがわれた部屋を掃除する。
段ボールの中身は服とか小物類、あとはなぜか大量の古新聞が積まれていた。仲良川さんは新聞を取っているのか。
押し入れが空だったので古新聞をそこに詰め込み、自分の寝る場所を確保する。それでも二畳ほどのスペースが空いただけだが、贅沢は言わない。
「というか……本当に泊まっていいのかな」
別に何も起きるはずないけど、いちおう僕だって男なんだけど。
まったく異性として扱われてないのかな。
それとも、二人ともそれどころではないのか。
仲良川さんは呪いを受けていて、金咲は自分の目的があるから。
「黒日くん、お風呂空いたけど入る?」
「え、ああ、うん、あとで」
「そう、お湯冷めるから早めに入ったほうが良いよ、ここ追い焚きないから」
ひらひらと手を振ってドアが閉まる。仲良川さんがどんな姿でそれを言ったのか、目で追う勇気は無かった。
そして夕食。冷凍食品のランチプレートである。
ごちそうになっておいて言うのも何だけど、やはりしばらく観察してると分かる。仲良川さんはあまり余裕がないのだ。
チリ一つ無いのはそもそも散らかしていないから、だらけてお菓子を食べたり、服を適当に脱ぎ捨てたり、そういう所作がない。常に気を張ってせわしなく動いている。ゴミはすぐにゴミ袋に詰めてベランダに出す。くつろぐという瞬間が見えない。
金咲はというと真逆だ。寝転がってビールを飲みながら、適当にシャツを脱いで床に落ちてるものをまた着ている。スーツの上下だけはハンガーにかけたが、場所が定まってる私物はそれだけのようだ。
部屋が右と左で対照的になってる理由がわかった。境界線を越えてくるゴミは仲良川さんがすぐに片付けるからだ。
食事が済むと、仲良川さんは僕にいろいろと質問をする。以前のプレイではどんな会話をしたか、他に櫟セラと繋がった人を知らないか、など。
「それで、地下道のトイレにあったのね?」
「そうだよ……個室の壁に貼ってあった。噂には聞いてたから、何となく撮影しちゃって……」
「川に捨てたスマホって黒日くんの名義だよね? 誰かのを借りてるとかない? 名義を変えてしまえば呪いから逃げられるって噂もあるけど……」
「いや……ずっと僕のだよ」
「……ねえ黒日くん」
「な、何?」
仲良川さんが僕の目をのぞき込んでいる。顔立ちは小さいのに黒目の大きい溌剌とした目。軽く噛んだ唇は林檎のように赤い。その口が言葉を紡いで。
「そんな喋り方じゃなかったよね?」
…………。
「え?」
「なんかもっとくだけた感じじゃなかった? 前の店長、庭野さんとときどき話してたよね?」
「あの、いや、別にこんなもんですが」
「はーん」
と、境界線の向こうでビールをあおりながら金咲が笑う。
「ああ、はいはい、あれだな」
ぐびぐびとまたビールに戻る。
「金咲さん、あれって?」
「ぶはは、まあ女にあんまり免疫ないってやつだろ。キンチョーしてんだよ」
「そうなの黒日くん?」
「べ、別に、普通だよ」
仲良川さんはふーんと言ってベッドを降りる。トイレに行ったようだ。金咲はまだ笑っている。
「そりゃそうなるわな、あいつあれだ、戦車で言うとセンチュリオンみてえな体してるから」
「いや、その、全然そんなことではないです」
なぜ戦車で例えたんだろう?
「それでお前」
また別のビール缶を開ける。
「なんで死んでねえんだ?」
「……。そう、言われても」
「大きく分けると二つだ。何らかの理由で呪われなかった。もう一つはお前が櫟セラの呪いに耐性がある」
耐性……。
「そして、この街には本物の短冊がばら撒かれた。お前の勤めてた居酒屋の店長と従業員、少なくとも三人が櫟セラに触れた。もしかしてあのカエルみてえな男もかな。背水底とか言ったか」
あの短冊を、ばら撒いた誰か。
それは、金咲を埋めた人物。女子大生生き埋め事件の犯人とイコールなのだろうか。少なくとも無関係ではないと感じる。
「おっと、また生き埋めの噂だ」
櫟セラはスマホをまじまじと見る。どうやらネット上の噂を掘っていたようだ。
「これは……近いぞ。駅ビルそばの解体工事中のビルで、正体不明の地下室から警察官を発見……か」




