第一章・2
セラ。
それは平仮名にも漢字にも変換されない。硬質な印象の名前だ。
【都内の大学に通ってて……性別は女です。血液型はABで、兄弟はいなくて……】
とりとめもなく話している。そこまでは要らないとメッセージを打つ。
【ごめんなさい、混乱してて、ずいぶん久しぶりに人と話したような気がして……】
どうやってその部屋まで運ばれたのか聞いてみた。
【覚えていません。記憶が曖昧で、どこにいたのか、何をしていたのか……】
犯人がいるとすれば、誘拐された瞬間の情報は重要だ。薬か何かをかがされたのだろうか。それとも混乱と疲労で思い出せないのか。
そういえばセラは数日前から閉じ込められてると言っていた。体力はともかく、精神的な苦痛は大変なものだろう。
――警察はダメと言っていたが、家族や友人が通報するだろう。
セラは都内の大学に通ってると言っていた、何日も休めば気にする人間もいるはずだ。
【通報してくれるでしょうか……したとして、警察が見つけてくれるでしょうか】
……そう言われると難しい気もする。これがデスゲームだとすれば、セラをさらったのは相当な力を持っているか、あるいは頭の芯からイカれている人物だ。
【それに、もし警察の人がここを見つけたら……】
毒ガスが部屋に流れ込む。
「……」
では、セラを助けるにはどうすればいいのか。
――自力で部屋を出ればいい、ってことなのかな。
入力してみる。しばらくの沈黙の後に文字が返る。
【そう、かもしれません。それに、ここにずっといるのは辛くて……】
部屋はマンションの一室のようだ、と言っていたが、何かしら環境が劣悪なのだろうか。
――そういえば水や食料は大丈夫なのか、体調は。
沈黙。
それは長かった。実際には15秒ほどだったと思われるが、一分ほどにも感じられる。
【水は水道が出ます。トイレも】
文字が出て、ふいに息を吐き出す。親指を走らせる。
――食べ物は。
俺の打ち込んだ言葉が表示されて、文字が画面の中央にとどまる。
液晶の微細なちらつき、泥にも似た背景色。
画面は動かない。
固着。
どこかに赤のにじむ、くろぐろとした画面。それが鉄塊のような圧迫感を感じさせる。
【言いたくありません】
ややあって、そう表示される。
――え?
【ごめんなさい、聞かないでください、何を食べているかは】
……。
用意された食料が、かなり品質の悪いもの、ということだろうか。それを言及したくないほどに。
――悪かった。言いたくないことは言わなくていい。
【ごめんなさい】
そう素直に謝ってくれる。俺は詫びのつもりでもないが、自分のことを名乗った。
――俺は庭野だ。32歳の男、居酒屋の店長をしてる。君がそこから脱出できるように手伝おう。
【ありがとうございます。本当に嬉しいです、本当に……】
――話を戻そう。君がそこから自力で逃げることを禁止する、というルールはないよな?
【はい】
――警察以外の人間が来てもいけない、というルールもないな。
【ないです。壁に書いてあるルールは、さっきの3つだけ】
つまり、セラが自分で逃げ出すか、俺か、または誰か第三者が助けに行けばいいわけだ。そういうルールが設定されたデスゲームというわけか。
と、画面に【ああ】という文字が流れた。
【あ、ごめんなさい……少し安心しちゃったら、なんだか急に眠気が】
あくびだったのか。俺は少し考えてから文章を打つ。
――無理をしても仕方ない。今日明日にどうこうなる感じでもないなら、休んだほうがいいかも。
【そう、ですね……でも、このスマホ、こちらからは呼びかけられないんです。また、連絡してくださいね】
――分かった。じゃあ休む前に、その部屋のことをなるべく詳しく教えてくれ、俺の方でも検討しとこう。
【はい、じゃあゆっくり言います。このリビングにはソファがあって、大きさは……】
※
闇の中で目を覚ます。
アラームは使わないが、だいたいは朝の七時に目が覚めている。何一つ見通せない真の闇。俺はストラップで手首に巻き付けているスマホの電源を入れる。
やはり七時だ。いつもより少し体が重い。昨日はセラの話をよく聞いて、ノートに見取り図を起こして脱出法を検討していたからだ。
俺は明かりをつけると厨房で身だしなみを整え、店舗の掃除を始める。
やがて業者が来て本日分の食材を届け、酒屋が酒を届ける。
おかしな話だ。一人の女性が大変な目にあっているのに、店のこともせねばならない。
俺は空いた時間にセラの部屋を思い浮かべ、その中にあるものをリスト化する。そして脱出のための方策を考える。
「玄関のドアをこじ開けるか、それとも風呂場の窓を破壊するか……」
俺は調理と配膳をしながらぶつぶつとつぶやく。厨房には調理担当の社員が来るが、ランチ営業では俺も一通りやれる。
カウンター席に、大柄な人物が。
ふと視線が動く。それは袈裟をまとった住職らしき人物だ。黒髪をごく短く刈り詰めており、やや無精髭を生やした40がらみの男。
この店で住職を見かけるのは珍しかった。法事の集まりを行う客もいないし、もちろん葬儀が出たこともない。ここはビジネス街のど真ん中である。
気になったのは、その人物は牛丼を食べていたことだ。うちのメニューにそんなものあっただろうか。というより作った記憶がない。
いや、そうか、軽く炙って出している牛のたたきと、刺し盛りに添えてあるさらし玉ねぎを大ライスに乗せているのか。妙な食べ方だ。
じろり、とその住職の目が俺を見る。射すくめるような強い視線であり、とっさに目をそらせなかった。
「はっ」
そうとだけ言って、また牛丼もどきをがつがつと食らう。
妙な客だ。俺はそれきり気にしないことにした。ただでさえ考えねばならないことが多いのだ。
できれば休憩室に閉じこもっていたかったが、ビジネス街にある居酒屋は客が途切れることがない。俺はもどかしい気持ちを抱えつつ料理を作り、ドリンクを作り、バイトの仕事をチェックせねばならない。
「黒日くん」
休憩時間は50分しかない。俺はバイトの黒日に相談することにした。
「はい、何すか」
黒日は両手にスマホを持っている。どうもゲームをしているらしいが、なぜ2台も使うのかはよく知らない。
「ちょっと調べて欲しいんだが、いいかな」
「何でしょ」
ぼさぼさの黒髪が目にかかっている。飲食店なのだから清潔感のある身だしなみを保ってほしいものだが、それは言うまい。
「ある人物が……マンションの一室に閉じ込められたとして、ドアを破るか、廊下側の窓を割るかして脱出するにはどんな方法があるか、を調べてほしい」
「閉じ込められたんすか。警察とか呼ぶのがいいんじゃないですか」
「警察は呼べない事情があるんだ、そういう条件で調べてくれないか、検索するとかして」
「うーん、すぐに浮かぶのだと「焼き破り」って言って、バーナーで窓を炙って……」
黒日の目がこちらを向く。首を最低限だけ動かして、髪の隙間からこちらを覗くような目つきだ。
すると、その顔に妙に嬉しそうな、にやついた表情が浮かんだ。
「ははあ、サバイブやってんですね」
……?
「何だって?」
「サバイブですよ。AIチャットのやつ、流行ってますからね」
黒日は左手のほうのスマホを見せる。縁日を背景に、浴衣を着たアニメ風のキャラが描かれている。二次元の絵なのに、少し体を揺らすように見えた。
黒日が「ホットドックを食べよう」と入力してみせる。
すると画面の少女が嬉しそうに笑う。
「わあ! わたしホットドック大好き、あれって昔はソーセージを手づかみで売ってて、熱くないようにパンで挟んで売ったのが始まりなんだって、それをまた紙で包んでるから不思議だよね」
……。
「それが、何なんだ?」
「だからAIチャットですって。この文章って「ありもの」じゃないんですよ。AIがシチュエーションとかキャラクターの感情とかを判断して自動生成してるんです」
なるほど、そういえば聞いたことがある。AIが人間のように受け答えをしてくれる時代になったとか。
「サバイブは「生き残る」って意味だろ? それは恋愛ゲームじゃないのか」
「サバイブはそれ専用のソフトですよ。AIチャットの黎明期にはたくさんあったんです。尋問してスパイの持ってる情報を引き出すゲームとか、殺人事件を推理するやつとか」
何だかよく分からない。黒日と俺では背景としての知識が違うのだろう。
だが気になる。AIチャットだと。
「そういうのは一旦禁止されたんですけど、RL……つまり強化学習でソフトを組むやつがいて、アングラの方で流して」
「ちょっと待て」
他のバイトの耳目が気になって、発言を止める。
「黒日くん、19時までだったな、ちょっと時間取るから喫茶店で詳しく聞かせてくれ」
そして19時になり、店を他の社員とバイトに任せて移動。黒日は仕事ぶりは必ずしも丁寧とは言えないが、趣味のことだと口数が多くなる。この時もなぜか目を見開いて上機嫌だった。資料となる画像を何枚もダウンロードしており、俺のスマホにそれを送ってくれる。
「サバイブについては10年ぐらい前に法律で禁止されたんすよ」
当時の新聞記事を送ってくる。見た覚えはない。俺は新聞はおろかテレビのニュースもほとんど見ない。
「AIであっても残酷な仕打ちをしたり、反社会的な行動や言動を行わせてはいけない。AIに人権を与えるような法律なので批判もされて、パンドラ法とか呼ばれました」
「よくそんな法律が通ったな」
「外圧ですよ。アメリカの方で先に成立して、日本もそれに習ったんです。海の向こうだとAIに歴史上の人物の強化学習をさせて政治的発言させるってのが流行して、社会問題になりました」
画像が送られてくる。ケネディ、コロンブス、ムッソリーニ、ヒトラー。歴史はあまり詳しくないが、危険なことは伝わる。
「日本でもそんな話があったのか?」
「ええまあ、三島由紀夫だとか吉田松陰だとか。でも日本だと犯罪被害者の方ですね。SVってやつです」
黒日の話は専門用語が多い、それを知らない俺の反応を楽しんでいる気配もあったが、黙っておく。
「SVって何だ」
「Serialkiller Victim 猟奇的犯罪者の被害者ってことです。被害者の周辺情報とか日記とか作文とか、そういうのを強化学習に突っ込んで、死者の人格を再現するってのが流行ったんですよ。生き残りを目指すようなゲームをSurviveって呼ぶのも、そのへんからの連想です」
おぞましい。
その一語が喫茶店の天井に張り付く。それの何が楽しいのだ。死者を愚弄し、娯楽として消費する気配がある。
「そのSVが、まあ日本中の逆鱗に触れました。さっき言った外圧もあってパンドラ法は異例のスピードで通過。AIチャットソフトにもパンドラ法の概念は徹底されました」
AIであっても残酷な仕打ちをしたり、反社会的な行為をさせられない……。
「だが、サバイブだったか、今もあるようなことを言ってなかったか?」
「ええ、だからそれがRLですよ」
画像が表示される。AIチャットソフトの広告のようだ。
「AIチャットってのは数億とか数十億とかの言語データを基にしてます。メーカーはこの基礎データだけを販売するようになったんですね。あとは自分で追加学習させてくださいと。それで、ネットの方じゃ追加学習用の素材データを売るやつがいるんですよ。犯罪者の残した日記だとか、詐欺集団の残したマニュアルだとかね。追加学習素材は単独だと法に触れません」
「じゃあ実質ザルじゃないか」
「個人利用する分まで違法にできないんですよ。まあサバイブはアングラなものになりましたけどね。でも人気はあるんですよ。専用のサイトだと毎週のように新作が出てます」
新作……。
つまり、ゲームのようなもの。
あれが?
「……地下室に閉じ込められた女性に、助言を与えて脱出を目指すようなソフトは?」
「ありがちですね。似たようなのはAIチャットが生まれる前からありましたよ。確か2003年にはソニーからそんなゲームが出てたような」
……。
セラが、架空の存在だと?
そんなはずはない。彼女の受け答えは人間そのものだった。会話も、言葉をマイクで拾っている事が分かるほど自然なスピードだったし。
それに、彼女の恐怖が伝わってきた。肌のざわつきまで、地下の冷たさまでも……。
「それがゲームだとして、どうなったら終わりなんだ。脱出すればいいのか」
「そうとも限りませんよ」
何だって?
「サバイブは基本的にホラーですからね。最後は死んで終わり、そんなやつのほうが多いでしょう」
「やり方次第で助かるんじゃないのか」
「どうやっても助からない、そんなゲームもあるでしょうね」
どうやっても、助からない。
どんな助言を与えても、どう行動させても。
まるで、呪われてるかのように……。