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イキウメニサレテイマス  作者: MUMU
第三章 ドジョウ
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第三章・3



無数の鳥が飛び立つように日々は過ぎる。


スマホは鮎島が紹介した男に売り払った。組織の若衆の一人だ。タダ同然の価格だったので喜んでいた。


数週間が過ぎるが、俺の身には何も起きなかった。今はほとんど意識もしていない。


鮎島は汚れ仕事が立て込んでるようだ。深夜の警邏けいら中、浮足立っているチンピラを見かけた。壮絶な時間を終えたあとの隠しきれない高ぶりが全身から漏れていた。俺はそいつらを無視して歩み去る。


街には不穏な噂が流れている。ビルの基礎に人が埋められている。公園の砂場の下に埋められている。河川敷を歩いていた時、桜の根元から腕が出て足首を掴まれた。真夜中に校庭の真ん中から誰かが這い出てくるのを見た――。


治安が悪化してるわけではない。むしろ街は平和そのものだ。昼には明るい色の服が行き交い、家族連れや恋人たちが溢れている。


事件も起こる。商業ビルのボイラー室からホトケが見つかったのだ。室内で練炭を焚いての一酸化炭素中毒だ。

遺書が現場に残されており、自死と判断された。ボイラー室は明らかに外から施錠されていたそうだが、捜査本部などは立たない。警察も忙しいのだろう。


鮎島に聞いてみたが自分たちの仕事ではないらしい。どの組織も厄介ごとが増えてるようだ。


沼弟ぬまてくん、出てこれるかね」


砂田次長からお呼びがかかったのはそんな時だ。俺は非番だったが、指定された場所へ行く。料亭だった。


奥の間に通されると砂田次長がいた。痩せぎすで度の強い眼鏡をかけた神経質そうな人物だ。


脇には男がいる。体格がよく、袈裟を着た僧侶風の男。髪は短く刈り込んで、無精髭が顎の下まで生えている。


そいつは牛丼を食べていた。おそらく牛丼なのだろう。高価そうな平鉢に盛られているのは白飯と牛の赤身のたたきである。


「やあ、来てくれたかね」


次長というのは階級で言うと警視。県警本部で刑事課や地域課を束ねる存在。つまり県警のトップ3に入る。雲の上の存在だ。


上司の覚えがめでたい俺は話しかけられることが多かったが、サシで呼び出す関係ではない。


俺はまず一献を注ぎ、俺も返杯を受ける。


「実はねえ、鮎島という男のことなんだが」

「はあ」

「私が若い頃だ。まだこの土地に大きな空港がなかった頃、駅前の開発も始まってない頃に、ある組織から話を受けてね。私と持ちつ持たれつの関係になりたいと言うんだ」


鮎島はどう見ても35は超えてない。やつの属する組織の先代か、もっと前の話と言うことか。


「何かあったらお目こぼしが欲しいと言われた。特に大きなことは無かったが、警察官としての職務の範囲で……まあ、手心を加えたことはあったかも知れない。やがて歳月が経ち、私とのパイプ役が鮎島という男に代わった」

「……」

「だが最近、奔放が過ぎるようだ。私の責任でもあるから、ここは」


言えたのはそこまでだった。

砂田次長は卓に突っ伏して刺し身やら汁椀やらをぶちまけ、眠ってしまう。


「ほう」


大柄な僧侶風の男がそう言う。僧侶風、というのはこの男が本職には思えないからだ。無精髭もそうだし、どことなく人を食った雰囲気がある。宗教家はもっと愛想の良いものだろう。


「で、あんたは何なんだ」


俺は鮎島にメッセージを打ちつつ聞く。砂田次長が何の話をするつもりだったか知らんが、俺と鮎島の関係は承知の上だろう。先手を打つに越したことはない。この料亭に来ることは誰にも知らせてないだろうし、いろいろと都合がいい。


「わしか? わしは臥空がくう。臥薪嘗胆の臥にそらだ」

「僧名なんかどうでもいい。鮎島の関係者か」


俺は銃を取り出す。警察の備品ではない。鮎島から借りている中国産の22口径だ。消音器も取り付けてある。


「わしは砂田の相談役よ。こやつは憑かれておったからのう」

「つかれる? 取り憑かれてたって事か」

「左様。己の背負った役割に取り憑かれていた」


銃を目にしても臥空は毛ほども動じない。こんな場所で撃つ気などないが、ずいぶん余裕がある。こいつも鮎島の関係者とすれば、銃の一つも持っているのだろうか。


「砂田はのう、お主にすべての役目を受け継がせようとしておったぞ」


そのように言う。


「利ざやを生む仕組みも余さず教えて、警察での出世も約束しようとな。そして己は海外で楽隠居したいと言うておった」

「無理だな、因果応報ってやつだろう」


砂田次長は俺の先代だったわけだ。俺がいろいろと裏仕事をしてる以上、砂田の頃も平穏無事だったとは思えない。負けず劣らずのことをしていただろう。


「砂田を埋めてどうする。こやつは自分が可愛いだけよ。安全な場所に逃がしてやれば悪さはせんよ」

「不安要素だ。消しておくべきだろう」


鮎島から返答があった。すぐにここに来るらしい。砂田を料亭の外に出さねばならないが、まあ酔いつぶれて介抱した体裁にするか。


「お主は因果応報と言うたが」


臥空はそんな俺を見て、皮肉げな笑みを浮かべて言う。


「それは仏教の成立より前、古代インド哲学から続く考え方よ。あらゆる原因はその中にすでに結果をはらんでいる。これを因中いんちゅう有果うかという」

「そうかい」

「だが原因と結果は無関係であり、さまざまに複雑な事情が入り組んで果となる因中いんちゅう無果むかという考え方もある」

「? そうなのか」

「かと思えば時には原因と結果は結びつき、時には無関係な時もあるという因中いんちゅうやく有果うかやく無果むかという考え方もある」

「どっちなんだよ」

「原因があるから結果がある。原因と結果は無関係。どうともつかない。すべての事象に意味などないが、あってもよい。それが仏教というものだ。すなわち、どちらかに決めるのは傲慢ということよ」


俺は臥空へ向ける視線を強める。こいつは何かを言わんとしているのか。


「何が言いたい」

「砂田を埋めることの意味が分かっておるか? 因果応報というなら、いずれお主も埋まることになる。それが分からぬほど愚昧ではなかろう」

「俺は砂田ほど間抜けじゃない。うまくやるさ」

「やはりな」


にやりと笑う。その笑い方に挑戦的なものを感じて苛立たしくなる。


「自分は埋まらぬと確信しておる。あるいは、自分だけは因果の輪から抜け出せると思っておる。素晴らしいことよ。それは解脱と言うものだ。お釈迦様が到達した境地よ」

「俺は埋められたりせんさ」

「そうか。せいぜい世の栄華をたのしむがよかろう」


臥空は立ち上がり、部屋を出ようとする。俺はどうしたものか少し考えるが、まあこれだけ目立つ男だ。必要になればすぐに探せるだろう。


「時にお主。くぬぎセラという人物を知っておるか」


不意に、そんなことを言う。


「知らないな、誰だそれは」

「遭遇したなら気をつけることだ。あれは深み・・を増している。振り撒く呪いは尋常ではない」


こいつ、何にどこまで関わっている?


櫟セラとは何なんだ。


埋まる人間が、加速度的に増えてることと何か関係しているのか。


「問題ないさ。呪いは誰かに押し付ければ済む」


俺はそうとだけ言う。


かかか、と甲高い、腹で反響させるような笑いを残して臥空は去っていった。


ほんの数分後。鮎島が部屋に入ってくる。


「砂田があんたに接触してきたか」

「ああ、俺に役目を譲って隠居したいらしい。とりあえず眠らせたがどうする」

「始末する。こいつは債務者やらチンピラやらと同じやり方はできないが、方法は用意してある。とにかく連れ出そう」

「分かった。両肩を持って連れ出すか」


砂田を担ぎ上げる。驚くほど軽い。

哀れなものだ。この年まで表に裏にと働き続けて、脂肪の蓄えすら持たなかったのか。


「なあ、臥空がくうという僧侶を知ってるか?」

「知らないな。誰だそれは」


俺は数秒の思考のあと、頭を振った。


「いや、何でもない」





夜の海沿いを走る。このあたりはドライブコースとして有名だが、時刻はすでに深夜だ、ほとんど車とすれ違うこともない。


「用意と言ってたが、いつものようにビルの基礎に埋めるんじゃダメなのか」

「砂田だけは俺たちで埋める。部下にも見られたくない」


そうだろうな。誰かが砂田は他殺であると警察に電話をかける。それだけで命取りになりかねない。命に貴賎はないらしいが、警察にとって身内殺しは最大の逆鱗なのだから。


たどり着いたのは古びた別荘だ。中に入ると執務机が一つあり、書類棚や固定電話、コピー機もあってちょっとしたオフィスになっている。


「これだ」


鮎島が示すのは封筒である。手提げ金庫の中にあり、さらに乾燥剤と一緒にビニール袋に入れられていた。


「自筆の遺書か?」

「保険のために書かせておいた。後でこれを海沿いの崖に置いてくる。砂田はこの別荘の裏手に埋める」


裏手にはご丁寧に穴が掘ってあった。深さ4メートルほどの穴。雨が入らないよう木板で蓋がされている。


「すまんな、力仕事を頼めるか」

「ああ、分かった」


穴の近くにはブルーシートをかけられた土の山があった。穴の底に裸にした砂田を降ろすと、やや硬くなっていた土をシャベルで放り込んでいく。脱がした服は後で念入りに焼いておくか。いや、ゴミ集積所に持ち込むだけでも十分だろうか。


「そうだ沼弟さん、言っておくことがあってな」

「なんだ」

「あんたがスマホを売った男がいただろう? あいつも埋めたよ。前々から組織のカネをつまんでたことが分かってな」

「そうか」


背中が。


背中の筋肉が張るのを感じる。背骨に電流が流れて、産毛が立ち上がる感覚。


土に重さを感じない。空気をすくうようにシャベルを動かせる。


骨が溶けそうなほど熱を持っている。


「沼弟さん、ここまでさせて済まなかったな。もっと長い付き合いになってから頼むことだと思うが」

「別に構わない」


そうだ、何ほどのことでもない。


俺は生きている。埋められたのは俺以外の人間。


死の風が、呪いの獣が、俺のそばを素通りしていく。その一瞬が何ものにも代えがたい。人生の全ての快楽を束ねたような、目の奥に光がまたたくような絶頂が。


音楽が。


鮎島のスマホが着信音を鳴らしたようだ。


「すまん、少し電話してくる。進めといてくれ」

「ああ」


俺はもくもくと土をかける。砂田に盛ったのは強い薬だ。何も感じないまま窒息して死ぬだろう。

理想的なことだ。こいつは人生の終わる瞬間まで失敗しなかった。


さて、完全に砂をかける前に写真でも撮っておくか。俺自身の身を守る道具にもなるだろう。そういうのは多いほどいい。


スマホを取り出す。画面にはまだらに砂のかぶさった裸の男。俺はなるべく顔がわかるようにズームを。


四角いフレームが浮かぶ。


「……?」


顔を検出したかと思ったが違う。これはQRコード読み取りのフレーム。なぜそんなものが。


画面が切り替わる。一瞬だけ表示されるURL。一瞬だけスマホの重みが増すような手ごたえ。画面が暗転し、どこかの部屋を俯瞰で眺めた画面が。


櫟セラ、が。


部屋の真ん中に立って、薄汚れた白装束で、こちらを見ている。


「おひさしぶり」


彼女は言う。俺は唇を舐めて、画面を凝視する。


大したことではない。


この程度のこと、焦るにも足りないさ。




「――ああ、久しぶりだな」


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