第二章・4
「だから週刊新柳の記者です、金咲って人が」
「まあ落ち着いてください。ちゃんと事件として捜査しますから」
警察の人たちと一緒に部屋を見て回る。無くなったものはないか、身に覚えのないものが残されてないか。
「犯人は窓を破って侵入してますね」
リビング側の窓、廊下にはスチール製の格子がついていたが、それが切断されている。その上で窓を割り、錠を開けて侵入したようだ。
「こんなもの切ったらすごい音が……」
「昨日の夜は前の道路で工事してたらしいんですよ。それにこのマンション。夜中に騒いでる住人も多いみたいですし」
エレベーターの中には深夜の騒音を咎める張り紙がある。それを見ての発言だろう。
「中のほう、かなり荒らされてますねえ」
まだ11階に移してなかった本棚が倒され、埃で汚れた背中側が見えている。
台所からは調味料がボトルごと投げ出され、ダンボールに詰めていた服は出され、靴まで箱から出されている。
「金目のものでも探したんでしょうねえ、荒らし方がめちゃくちゃだから、素人の仕事っぽいなあ」
そんなことを呟くのが仕事上適切なのかは分からないが、警官はあまり親身になってくれてない。ストーカー被害だという私の言葉も話半分に聞いている。
「まあ引っ越し途中で良かったですねえ。犯人も財布とか通帳とか探したんでしょうけど、見つからなかったんでしょうね。それで、何か無くなってますか」
「……引っ越しの途中だったので、よく分からないです」
「そうですか、すぐに気づかないぐらいの被害ってことですよ、よかった」
私を安心させようとしているのか。それとも事件を矮小化したいのか。深刻さを床に投げ捨てるように言う。
だが、この部屋の荒れよう。
犯人は何かを探してたのではないか。わざとらしく下着まで投げ出して。
あの短冊。
セラさんに通じるアドレス。QRコードの刻まれた短冊を探していた。そう考えるべきではないのか。
「……このマンション。監視カメラあるでしょう? 犯人が映ってないんですか」
「別の者がチェックしてますけど、大勢映ってて難しいらしいですよ。まあ学生の住んでるマンションだから来客も多くてですね。最近はウーバーとかもあるし、映ってる人すべてを調べるとなると大変ですからねえ」
「金咲って記者なんです。私より少し低いぐらいの背丈で、大きなカバンを持っててパンツスーツの……」
警官の困惑した顔を見てはっと気づく。仮に金咲が来たとして、そんな姿でカメラに映るはずがない。最低限は身元を隠せる格好のはずだ。
「ともかく落ち着いて、普段通り過ごされてください。ストーカー被害の可能性もちゃんと調べますので」
「……よろしくお願いします」
※
倉庫の中で、もくもくと漫画の単行本にシュリンクをかける。
店長に頼んで裏方の仕事を回してもらったけれど、さすがに考えすぎと思わなくもない。こんな白昼堂々、駅ビルにある大型書店で何の脅威があるというのか。
侵入者に部屋を荒らされてから数日。神経の高ぶりは落ち着くどころか膨らんでくる。これは怒りだろうか。それとも混乱か。恐怖であるとは思いたくない。
私はスマホを取り出す。皮肉なことに「嫌なニュース」のPVはさらに跳ね上がっている。
今日は公的なニュースサイトでも生き埋め殺人事件を扱っていた。セラさんの名前こそ出ていないが、世の中に流れる不穏な空気、姿の見えない殺人鬼の恐怖を煽るような内容だった。
ご苦労なことだ。メジャーなマスコミまで生き埋めブームに乗っかっているのか。
高ぶっているせいか、シュリンクがけという単純作業はてきぱきと片付いていた。次の指示をもらう前に、新着ニュースを軽く見て回る。
「……?」
何だろう。何か違和感がある。
生き埋め事件の記事が多いこと? そうではない。RSSの並びに違和感がある。
「「アイスパイア」が更新されてない。「不可思議.web」も……」
それは日間数十万のアクセスを誇る人気サイト。更新が止まったところなど見たことがない。
私はニュースサイト関連の掲示板を開く。ゴシップとも流言ともつかない言葉の飛び交う空間。普段はあまり見ない場所だ。
オカルト系ニュースサイトの管理者が、セラさんの呪いを受けた。
すでに生き埋めにされている。
そんな話で持ちきりになっている。どこにこんなに人間が潜んでいるのか、膨大な量の噂が流れている。
「ありえない……!」
セラさんの呪いなどありえない。あれはどこかの誰かが作った対話型AIによるゲーム。サバイブと呼ばれるジャンルに過ぎない。
そうだ、あの金咲という記者。
あれがオカルト系サイトの管理者に干渉して、更新をやめさせている? だがそんなことがあり得るのか。わずか数日で。
あるいは、セラさんの呪い、が。
「……!」
バックヤードの床を踏みつける。
思考がまとまらない。セラさんの呪いと妙な記者。ウェブ上でのいくつかのサイトの更新停止。
情報を整理しなければ、と感じる。
掲示板で飛び交う無責任な言葉、それが目から侵入し、私の思考を混乱させる。ただでさえ混乱しているのに、さらに大量の噂が。
「……AI、これらのページを記録して情報をまとめて」
私はなるべく高性能なチャット型AIを起動。噂の飛び交うページを保存して情報を集めさせる。
「それぞれについて……現実的にあり得そうな真相を提示してみて」
人工知能と呼ばれるAI。だが実態としては、人間の行う思考とは全く違うものだという。
数億とか数十億とかの言語データを処理し、こちらの質問に対してそれらしい回答を返しているのだとか。
しかし、ある研究によれば、その回答精度はもはや人類の99.9%以上の人間よりも優れているらしい。全世界規模の並列処理により、即座に回答が返る。
・セラさんの呪い。
《セラさんは実在しない。真相と呼べるものはなく、根拠のない噂の集合に過ぎない》
・部屋を荒らされたこと。
《更新を止めるためにそこまでやることは考えにくい。空き巣被害と捉えるのが妥当である》
・オカルト系大手サイトの更新停止。
《セラさんの都市伝説は急速に広がりを見せており、社会的な影響が大きいため、プロバイダが更新停止の措置を取った可能性がある。または、同じく社会的な影響を考慮した第三者が、プロバイダに働きかけて更新を止めさせた可能性がある。この場合、セラさんの呪いの脅威ではなく、アングラ的な記事が社会通念上問題である、などのクレームを送ることでサイトを凍結させうる》
・生き埋め事件の増加。
《一般的に殺人事件の被害者が発見された場合。それが生き埋めにされたかどうかを判断するのは困難である。また生き埋めという殺害方法を定量的に観測した記録は乏しく、増えているとの噂は主観的なものに過ぎない》
「……」
一瞬で出力されたそれらの答えを、私は読めない。
なぜだろう、目が滑るというやつだろうか。文字を脳が処理してくれない。私にとって大事な情報のはずなのに。
「……再要約、私は安全? 安全じゃない?」
返答が出力される。
《安全》
「セラさんは実在する? しない? するかしないかだけで答えて」
《実在しない》
長い息を吐き出す。
私が処理しきれなかった情報を、AIはいともたやすく言語化して整理してくれる。そのことで私の頭まですっきりした気分になり、何割かの問題を処理できた気分になる。
やはりAIは優秀だ。私は思考をAIに委ねていることに安堵する。
そうだ、自分で考える必要などない。
人間に、たくさんの情報は必要ないのだから。
「仲良川さん」
バックヤードのドアが開き、店長が顔を出す。
「それ終わったら今日は仕事終わりでいいよ」
「今日は22時までのシフトですけど」
「ストーカー被害に遭ってるんでしょ。あまり遅くなる前に帰らないと」
「ああ、いえ、大丈夫ですよ。よく考えたら私の思い込みが大きかったかも……」
しかし5階が荒らされたことは事実だ。帰ることには不安というより、蜘蛛の巣だらけの部屋に入るような嫌悪がある。
そうだ、数日だけ近くのビジネスホテルに泊まろうか。
「最後までやりますよ、心配しないでください」
「そうかい? まあいつでも上がっていいから」
私はもくもくと作業を続ける。大きな書店だから一人でできる仕事は色々ある。本の荷解きをしたりPOPを描いたり。児童向け雑誌にふろくを挟んだり。
気がつくと22時を回っていた。私はタイムカードを押して私服に着替えると、誰もいないバックヤードに戻り、スマホを立ち上げる。
「セラさん、そっちはどう?」
『ああ、仲良川さん……』
セラさんは気落ちした声を出す。床にへたり込んでいるような気だるさがあった。
『昨日、AIの力を借りたでしょう? あれで分かったことがあるの』
そうなのか。ではやはり、大量にあったメモ類は何かの謎解きだったのか。
『メモは書かれた筆記具で分類できるみたいなの。そして書かれた順番がある。最初はボールペン。これを残した人のことを「ボールペン」と呼ぶね。次はサインペン、筆ペン、石ころに朱肉を塗りつけて書いたもの、それから口紅……』
セラさんはつらつらと説明している。だが言葉が頭に入っていかない。ようはセラさんが謎を解いた。そういう理解だけが頭の中にでんと居座って、それ以外の言葉が弾かれる。
「ボールペン」を人物の代名詞のように言っていたが、なぜボールペンだけそう呼ぶのだろう?
「セラさん、それで脱出はできそうなの」
『その前に説明させてほしいの。メモはどれも地下について何も知らない人が書いていた。そして各階には殺人鬼が徘徊してる。うっかり入れば腕を奪われる。足を奪われる。避けるためにはエレベーターと階段を使って、各階をジグザグに動かないといけないみたい』
ずいぶん複雑なルールだ、金庫を開ける手順のようだ。
『「ボールペン」やそれ以外のメモの書き手は途中で命を落としたみたい。おそらく最後に記述されたのは血文字だった。仲良川さんのAIはそう判断した。このメモを残した人のことを「血文字」と呼ぶね』
「血文字……」
「各階には、また別のたくさんのメモがあった。私は「血文字」のメモに従って進んだ。エレベーターで8階へ、階段で7階に降りて、エレベーターで3階へ、それ以外の移動をしようとすれば体の一部をもぎ取られる」
「……」
『でも違った』
セラさんはほうと息を吐いて言う。床に倒れて、オフィスの天井をぼんやりと見つめるような気配があった。
「どうしたの」
『「血文字」は最後に11階に行った。その階には「地上」と書かれたドアがあったの』
「あ、出口、じゃあ……」
『そのドアには「さあ、ここを通って地上へ出ろ」と書かれたメモがあった。メモは「ボールペン」で書かれてた……』
「え……」
最後にメモを残していたのは「血文字」の人物。その人間に脱出を促したのは「ボールペン」の人物?
でも「ボールペン」は、最初にメモを残した人なんじゃ……。
「どういうことなの?」
『仲良川さん。たぶん、メモを残した人の順番まで気づいたのは私が最初だと思うの。メッセージの絡み方はとても複雑で、AIがなければとても分からなかった』
「うん……」
『「ボールペン」は地下のことを何も分かってなかった。わかってないフリをしてたのかも。あのメッセージは何もかも信用できなくなった』
「セラさん……セラさんが何を見てきたのか、私にはよくわからない……」
『メッセージは、もっとたくさんの人間が書いたのかもしれない。筆記具が限られてる環境なのに、筆記具の種類だけで人数を推測できない。そもそも貼られているメモが多すぎる。でもそれなら、なぜ筆跡が同じなの。いいえ、よく見ればどの字も何となく似ている。なぜ筆跡のことを考えなかったのか。それは、私の字にも似ているから』
……? 分からない。セラさんの言葉が飲み込めない。多すぎる情報を拒絶している。大事なことかもしれないのに。
セラさんは話し続けている。私はそれが会話なのか独り言なのか分からない。言葉が耳からこぼれ落ちる。
『メッセージは何人が残したの。そもそもこれは誰に向けたものなの。なぜメッセージが増え続けてるの。襲ってくる殺人鬼とはメッセージを書いてた誰かの成れの果てではないの』
「セラさん落ち着いて……私、分からないよ。話が難しくて……」
『ここには何人の人がいるの。同じようなことがどれだけ繰り返されたの。ただのデスゲーム、悪趣味ならまだいい。どこか儀式めいてる。何か大きな仕組みの一部に思える。何のために。ねえ仲良川さん』
「ど……どうしたの、セラさん」
『一見すると役に立ちそうな情報がたくさんある……それ自体が罠ということはないの? なぜなら人は情報で判断しようとするから』
「……わからない、わからないよ、そんなの」
『あなたはどうなの』
私……?
私が、何を……。
『情報に振り回されてないの。あなたにもし敵がいるなら、それはあなたに情報を渡さないように動いている。姿を隠した相手より、隠してない情報のほうがあまりにも多い。それは危険な多数決になる。すべての情報が偽りの答えを示すものに……』
その時、けたたましい音が。
非常ベルの音が、深夜のビルに響き渡った。




