サンバ1
「なにか、わかりました?」
ポルタの衣装を身につけた慈杏が尋ねた。
暁は眺めていた手紙を畳みジップ付きビニール袋に入れると、ジャケットを改造して作られた衣裳の内ポケットに仕舞った。
「いや、この中には暗号や裏の意味はないと思う。今はもう疑ってもいない、というより、文面を全面的に信用するしか無いと思っているよ。だから真実を読み解くとかそんな意図はない。日課とまでは言わないけど、なんとなく見てしまうんだ。心配かけてすまない」
「いえ……」
心配そうな表情を見せた慈杏からは続く言葉はなかった。
「大丈夫。期間は短かったけど、密度の濃い練習はしてきたつもりだ。精神的にも安定している。落ち込んだり沈んだりはしていない」
スタンバイしているバテリアの楽器の音が聞こえる。
「いよいよだな」
空は良く晴れていた。
暦上では晩秋とされているが、重い衣装を着て激しく動くには暑い日であった。
暁は程よい高揚感と緊張感に包まれていた。慈杏も、バテリアの音でスイッチが入った。
ふたりはパレードのスタンバイエリアまで移動した。
先頭はマランドロのハルと、コステイロをつけていない、学生ダンサーを中心としたドレスで踊る集団だ。渡会もここにいる。
続いてコステイロを身につけたパシスタ。
カザウは次の位置だ。
その後をジスタキとバンドに音響機材を乗せた台車、バイアーナ、クリアンサスと続く。
最後にハイーニャ、ヂレトール、バテリアの編成だ。
バテリアのみが演奏するバツカーダがはじまった。
パレードはまだ始まらない。
緊張感が高まる。
台車のスピーカーから軽快なカバキーニョの音が流れてきた。ウクレレのような楽器で、疾走感のあるメロディが軽やかに奏でられている。
あわせて、歌ではコーラスやシャウトを担当するプシャドールがカウントをとる。
――いよいよだ。
暁は昂りを感じていた。
サッカーの大会の日以来の。
そう、最後に高揚を感じたのはあの試合の日だ。
以降計画に没頭した二十年は、しかし昂りを得られるような日々では無かった。
遅きに失しているのはもう充分にわかっていた。
届けと願うことは、喪って二度と戻らないものが、まるで天に在るかのように信じることで自らを慰めるだけの行為に過ぎないのもわかっていた。
それでも構わない。
暁は、もう絶対に届かないことが、届けられないことが、わかっていたからこそ、懸命に、届けようと懸命に、バンデイラを観客と、その向こうの空に向けて広げるのだった。
慈杏と共に。