少年と輝く夏の日々
工場に通う日々は楽しかった。まさに秘密基地のように入り浸っていた。
「今年の球技大会バスケだってねー」
「サッカーが良かったよなぁ」
練習の合間はパイプ椅子に腰かけ、瓶ケースに廃材の板を載せて作ったテーブルに菓子などを広げ雑談する。
時には合間の時間の方が長くなる日もある。部屋で過ごしているように、リラックスでき、楽しい時間だった。
そういうとき、ガビは大抵何らかの作業をしていた。資材を束ねていたり、機械を分解していたり。黙々と作業していることもあれば、雑談に加わってくることもあった。
「サッカーや野球はクラスで男女1チームずつ作って人数が少し余っちゃうのと、時間がかかりすぎるから無しなんだって。今年は各クラスで複数チーム出して、たくさん試合させたいみたい」
人気のバスケ漫画の影響で、バスケ部に限らずバスケをやりたいと言う希望が多かったのも理由のひとつらしい。
「まあ試合たくさんできるのは面白そうだけどな。クラス戦じゃないってこと?」
「チームごとに勝敗でポイントがついて、クラスで合算するみたいだよ。だからクラス対抗戦ではあるよ。戦力の配分を考えるのも面白そうだよね。捨てチームを作るみたいなことは賛同されないだろうけどさ」
それでも、どうせやるなら俺たちの二組を優勝させたい。
「バスケ部が多い三組をどうするかだよな。精鋭チームつくってくるか、全体的に勝てるチームをつくってくるか、前以てわかれば良いけど」
「だいちゃんが三組だったよね」
だいちゃんは同じサッカークラブのメンバーだ。
頼れるボランチで試合では攻守切り替えのタイミングにプレーで関わることがある。俺との連携の相性は良好だ。
試合や練習外では会えば雑談を交わす程度の仲だ。関係性は悪くはないが、自分のクラスが不利になるような情報を漏らすような人物ではない。が、雑談の中でうまく会話をコントロールできれば情報は引き出せるかもしれない。
「三組は女子もバスケ部多いよね」
そうだった。それに引き換えうちの女子はオシャレと音楽とドラマの話ばかりしている者が多く、運動部に入っている者すらあまり多くない。
「三組の女子と言えば……」
話題が少しずつ変わっていくのは雑談ならでは。とりとめのない話が尽きない。
「ああ、聞いたことある。霊感あるとかそんなんだろ? 三年の頃にもそんなん言ってたやついたわ」
女子の話題なのに、誰が好きだのそういう話にならないのも羽龍との会話が心地良い理由だ。
もちろん女子に興味が無いわけではないが、それよりも今はサッカーをしていたいし、羽龍と話している方が楽しい。
「私の国にも、精霊とコミュニケーションする人、いたよ」ガビが会話に加わってきた。
ガビはこれまで、自分のことを積極的には語らなかった。
俺と羽龍もなんとなく深くは尋ねはせず、もっぱらサッカーの話が中心で、たまに学校の話を聞いてもらうくらいだった。
俺と羽龍、弟との間でも、ガビの技術については話すことは多かったが、カビの個人的な事情や背景については、なぜか予想なども含め話題にすることはほとんどなかった。
もちろん、学校では話題にも出さないようにしていた。俺たちだけの特別なコーチや秘密特訓について、内緒にしたい気持ちもあったが、ガビとの付き合いを周囲に知られない方が良いような気がしていた。
「知られたくない」、ではなく、「知られてはいけない」といった漠然とした予感もあった。
ガビはエキゾチックな顔立ちではあるが、モンゴロイド系と大きく異なるというほどでもなく、肌の色も近い。日本語の使い方から外国人だと考え、サッカーがうまいという先入観から、おそらく南米出身かなと思っていたが、ステレオタイプな南米人のイメージにあるような時間に関するルーズさや性格が底抜けに明るいといった要素はあまり見られなかった。練習の日は必ず時間通りに来て、明るく人懐こいがどこか寂し気な目をしている時があった。
そんなガビが、自分の国のことを話してきた。
この機を逃すかとばかりに出身国を尋ねたところ、ブラジルであるとあっさり判明し、「やっぱりそうか」と、何故か少しうれしく思った。
ガビの語った精霊の話は、精神性の高いものだったが、神秘や超常現象ではなく、哲学的な内容であった。
言葉も行動も、根っこは心の在り様である。すべては心から始まっている。
自らに問う『思い』も、誰かに放つ『言葉』も、何かを為すための『行動』も、その集合であるひとの『人生』も。
つまるところ、そこで語られた精霊とのコミュニケーションとは、別の誰かにとっては神であったり、先祖であったりするのだろうけど、自身のよりどころとなるなにかに対して問い、それは同時に自らの心に対しても問う行為でもあり、自らの裡から返されるその答えを、言動や行動、又は人生の指針とするということなのだと言う。
霊感少女の話題から随分と壮大な話になったものだが、彼女の主張をありがちな自己顕示欲の発露と切って捨てるよりも、そこに一片の理があると思っても良いのかもしれない。
今度機会があったら話を聴いてみようと思った。