決意と意志5
「提供するものと条件に合意いただけるということですね? 早速契約書を作りますよ。裁判では使い物にならないでしょうが、あなた方の世界なら法律以上に効果がありそうだ」
羽龍の言葉に、烏我は満足そうに頷いた。
「良いでしょう。念を押しますが、監禁も軟禁もしない、新規組織の責任者として権限と自由も持ってもらいます。相応の報酬も約束しましょう。それでもしっかりと根を張り規模を拡大させるまでは、数年では効かないでしょう」
はじめて烏我は真剣な顔をして羽龍の目を覗き込んだ。羽龍の覚悟を図るように。
「それまでは帰国はできません。
うちの業界の性質上、現地で行う仕事の性質上、こちらの国であなたが連絡できるのはあたしだけです。原則はこちらからの連絡のみとなります。
有体に言えば既存の人間関係とは縁を切る形になりますな。また、現地はこの国ほど安全でも無い。
ご自身が築き上げた会社を手放してまでして単身で臨む覚悟を決めるのに、時間は必要ありませんか?」
「調べたならご存知でしょう。私には高天以外に特段所縁のある者はいない。強いて言えば従業員ですが、身売りを考えている会社は私から見ても素晴らしい経営者と体質を持った職場だ」
長年持ち続けた目的も今はもう無い。
他に心残りなどないと言う羽龍に偽りはなかった。
「高天が無事なら、などと言うから献身的だと仰るのでしょうが、別段犠牲になっているつもりはありませんよ。
今まで、本当に、やりたいことをやりたいように、好きなように生きてきた。この決断も。だからこの先に続く人生も、俺のやりたいことの延長線上にある。
何の覚悟も後悔も必要ない」
「話が早くて助かりますわ。できれば再来月には現地入りしてもらいたい」
羽龍の言葉に満足した烏我の顔にはニヤついた笑みが戻っていた。
「あまり時間がありませんね」
「ええ、元々しばらくスタックしてしまっていた案件です。動かせるのであれば早急に稼働させたい。契約書の作成は任せます。締結前で申し訳ないが、準備は進めておいてくださいや。ああ、現地での生活についてはこちらで整えさせてもらいますよ」
「身一つで渡れるのなら、個人的な準備にはあまり時間は必要ありませんが……」
「会社の売却ですね。株式売却での譲渡ならさほど手続きに時間は掛らんでしょう。売却先がお知り合いなら交渉はスムーズにいくのでは?」
烏我は羽龍の懸念を先回りした。
羽龍が気にしていた点はそれだけではなかったのだが、常に飄々とし、相手の心の機微を表情から見抜くのに長けた烏我も、首尾よくいった交渉に気を良くしているのか、羽龍の懸念には気づかなかった。
「それでも時間が掛かりそうなら、うちで懇意にしている弁護士に代理人をさせますよ。あたしもこの件にはある程度権限は持たされていますが、流石に独断では決められない。まあ会長に話を通すだけなので時間のかかることではありませんが。契約書の雛形ができたら、こちらの方の段取りも必要になるか」
烏我は機嫌が良かった。
普段から口はまわるタイプの男だが、殊更饒舌だった。
「お互いしばらくはバタバタしそうですな」
――再来月か。祭りは観られないな。
羽龍はよく喋る烏我の声をどこか他人事のように聞きながら、諦めることになった予定を、決まってしまった未来を想った。