羽龍の動機3
やがてふたりは計画通りの大学と学部に入り、必要な経験や人脈を得るためのバイトやインターン、学生団体の活動などをこなし、得るべきフィーを確実に得ていった。
「はたから見たら気持ち悪いよね。けど昏い妄執ってのは夢中になれるものなんだ」
変わらない笑顔で過去を語る羽龍だが、その笑みに自嘲が混ざるようになっていた。
「大学を卒業する頃、母を亡くして……」
癌だった、と言う。まだ四十代だった。
亡くなるには若い年齢だが、若かったが故に胃に見つかった癌の進行は早かった。気付いた時には長くない余命を告げられるような段階だった。
ちゃんと検査をしていれば、ちゃんと周りが気遣っていれば、ちゃんと家族が意識を向けていれば、早期発見できた可能性の高い癌だった。
「既に俺も成人していたし、手や苦労を掛けたとは思わないけど、もともと丈夫とは言えない人だったから、ひとりで俺をそこまで育てただけでも、積もる負担があったのかもしれない。
若い母だったから、祖父母は健在である可能性は高かったが、葬儀に呼べる親族の連絡先はどこを探しても見つからなかった」
主体性のない羽龍からは、母にその出自や若い頃のことを尋ねたりはしなかった。
ただ、なんとなく羽龍は自分が生まれる前の時点から、母は少なくとも安楽ではない生き方をしてきたのだろうと感じていた。
「とにかく母を亡くしてからは、いよいよ目標に没頭したよ。
語ってみると、やっぱり昏いなぁ。陰湿だよね。むしろ、俺がアキを巻き込んでいたのかもしれない」
呆れたように言う羽龍の顔からは、笑みが少しずつ薄れていた。
「俺が計画なんて立てなければ、幼い反抗心なんていつか日常の楽しさや悩みに紛れて消えてしまっていたのかもしれない。
お互い相手を巻き込んだ、申し訳ないなんて後悔していても相手も困るだろうから言わないけど、後悔は、当然あるよ。ミカのこともあるしね」
慈杏は何も言えなかった。
「でも、アキにもキミにもミカにも悪いけど……楽しかったんだ。アキと一緒に駆けてきたこの二十年間は」
だけど、長すぎたかもね。子どもの時間としては。
そう呟く羽龍の言葉は、もはや慈杏に向けられてはいなかった。
良い加減大人にならないとな、と立ち上がると、
「そろそろ帰るね。今日はお邪魔したね。アキにもよろしく言っておいて。あとダンス頑張ってって」
慈杏は何かを言いかけたが、羽龍は気づかない振りをして出て行った。
ここはとても居心地が良い。長居をしてはならないと羽龍は思っていた。
練習場を出た羽龍は空を見上げた。
大きな満月は美しく、夜風は心地よかった。
電車で来て正解だと羽龍は思った。駅までの約二十分、少し身体を冷ましながら歩きたかった。
羽龍は練習を見学しただけだ。運動をしたわけではない。
それでも身体の芯に籠るような熱を感じるのは、『ソルエス』メンバーの熱気に当てられたからだと思った。その熱源には、暁も含まれているのだ。
羽龍はゆっくり歩いていた。少しずつ練習場は遠くなっていく。
慈杏に過去を語ったからか、色々な思い出が羽龍の頭の中を駆け巡っていった。
羽龍は思う。
楽しかった。アキと計画を進めた日々は本当に楽しかった。
唯一の肉親を失った羽龍にとって、残ったのは本当にこれだけだったのだ。
だけどそれは居心地の良いぬるま湯だったのかもしれないと。そこから抜け出すには強い意志が必要な。
そして、暁は自分の力で抜け出そうとしている。
「次は俺の番だよね」
駅までの暗い道のりを、満月に照らされた羽龍は、歩を止めてそっと決意の言葉を口にすると、また歩き始めた。