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太陽と星のバンデイラ  作者: さくらのはなびら
日が落ち星が隠れたとしても
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Do you see shooting star?

 病院の廊下に駆けつける。

 静まった薄暗い院内で、自らの息を切らした呼吸音だけが男にはやけにうるさく聞こえた。

 廊下には兄弟の両親と慈杏が不安そうにしていた。


「暁」


 兄弟の母親麻里(まり)は、暁を縋るような目で見て、その名前を呼んだ。

 その目には散々に泣いた痕跡を認めることができた。


「美嘉は?」


 暁は誰にともなく尋ねると、父親の紀利(のりとし)が口を重たそうに開いた。


「今は眠っている。暴行の傷はたいしたことないようだが、頭を強く打っていて、あまり良く無いようだ。詳しくは検査次第らしいが……」


 紀利の言葉で、麻里が啜り泣く。涙は無限に湧いてくるようだった。


「あの、ごめんなさい……わたしが絡まれたせいで」


「悪いのは加害者だ。被害者である美嘉にも、慈杏さんにも、責任など断じて無い」


 ベンチに腰掛けた紀利は、リノリウムの廊下を見たまま強く言った。


 病室の扉が開く。

 医師が姿を現した。一連の動きは暁にはとてもゆっくりと見えた。


「患者さんの意識が戻りました。まだ意識は混濁されていますが、お話はできそうです。

あまり無理はさせられませんが、ご家族とお話しされたいようで、ご家族のみ短時間でと条件はつけさせていただきますが、お話しなさっていただけますか?」


 全員が頷いた。


「皆様全員ご家族ということでよろしいでしょうか?」医師が尋ねる。


「あの、わたしは」

 医師の問いに慈杏は言い澱んだ。


「全員家族です!」

 涙声で麻里が力強く応えた。



 治療室の美嘉は焦点が少し定まらない様子で、入室してきた家族を認めた。


「母さん」美嘉がたどたどしく話しはじめた。「むかし、弁当、全部、残して帰った時の、ごめん、ずっと気になってた」


 真っ先に美嘉の側に寄り添った麻里に言葉を伝えた。

 些細なこと、麻里自身覚えてもいなかったこと。だけど美嘉はその日からずっと気にしていたことだった。



 美嘉が高校生の頃、麻里は息子の栄養のバランスを考えて弁当を持たせたがった。

 美嘉がよくつるんでいた友達は学食や購買、時には学校を抜け出して近くのラーメン屋などで昼食をとっており、美嘉もそれに倣いたく、弁当には手をつけず友達に付き合うことがあった。

 返された手付かずの弁当を見て、時に小言を言い、時に悲しそうな顔を見せた麻里に、美嘉はばつの悪い思いを抱えていたが、「だからいらないって言ってるじゃん」などと開き直ることもあった。その度に美嘉の心には少しずつ、母親に対する懺悔の気持ちが積もっていたのだった。


「そんなの、また作るから、今度はちゃんと食べてよね。あは、いい歳してお母さんが弁当なんて作ってたら慈杏ちゃんに嫌がられるかな?」


「ふ、ふたりで、つくりましょうよ、絶対残さないようにミカの好きなものだけで、たくさんつくって……」


「そうね、うん、それが良いわね!」


 麻里と慈杏は無理に笑おうとし、それが無理に過ぎるため、一層の涙声で言っていた。


「父さんも、ごめん、車、勝手に使って、ドア開ける時、駐車場の壁にぶつけてドアの縁に傷ついてる」


「馬鹿、そんなのとっくに気づいている。

謝るくらいなら早く元気になれ。気力で治ったりするんだ。母さんのエピソードに比べて弱いし、その辺のについても話さなきゃならん。謝らなくて良いから強い気持ち持てよ」


 美嘉は目だけで微笑んだ。

 その目線を、三人からは一歩引いた位置に立ち、ただ美嘉を見続けていた暁に移した。


「にいちゃん、むかしみたいに、また、前みたいに……」


「お前、なにをそんな遺言みたいな……」


 ふざけるな、と暁は思った。

 そんなありきたりなドラマのワンシーンのような場面など誰も求めていない。

 ドラマの主人公などとは程遠い、語るべくもない日常を、矮小な想いや夢や欲を抱えて生きていく。それが名もなき者どもの営みだろう。急にドラマティックな場面など、与えてくれなくて良い。


「言いたいことあるなら、さっさと治してちゃんと喋れる時に言えよ。お前、死ぬなよ?死ぬなんて最悪だからな!」


 暁は美嘉の目に宿る力が薄れていくように感じた。だんだん朦朧としてきているように見える。


「はは、むかしの、にいちゃんみたい……」


 掠れていた声もより細くなっている。


「にいちゃん、俺の代わりに、メストレ……慈杏と……慈杏を、頼むよ」


「知るか! そんなのお前がやれ!」


 失おうとしている意識を呼び戻すように、だんだん小さくなる美嘉の声量と反比例させるように、暁は大声をあげた。


「慈杏を、頼むよ。ガビのこと、にいちゃんに伝え……。慈杏、ごめんな……」


「ほんと、謝ってばかりじゃない! やめてよ……」

 慈杏が美嘉の手を取り祈るように握った手に額をつける。


「俺、慈杏を、連れて……」


 だんだんと、しかし確実に、その声は力を失っていき、明瞭さを欠いていた。


「え? なあに? うん! 一緒に行こう?」


「一緒に、あの……見える……」


「ミカ! なんて言ったの⁉︎ 聴こえないよ!」



「皆様、これ以上は。

彼ももう限界のようですし、検査の準備も整いましたので今日のところはこの辺で。今日はもう遅いですので皆様もお休みになられてください」


 冷静な医師の言葉は、感情の奔流の中にある親族を、現実に留めさせてくれる効果があるのかもしれない。


「明日改めて、ご家族の皆様へは治療に関しての詳しい内容と、申し上げにくいことですが、万が一の際についてのご説明をさせていただきます」


 事務的とも言える医師の言葉は、音として聞こえていても言葉として捉えている者はいなかった。

 父親である紀利を除いて。

 紀利は脳の、或いは心の冷静な部分で、医師の言葉を受け止めていた。



 検査の結果、脳内に出血があることがわかった。緊急手術は成功したものの、予断を許さない状況は続いていた。

 会話ができる状態ではないが、意識が戻ることもあり、このまま持ち直すのではと思われた矢先、容態が急変し、美嘉はそのまま眠るように他界した。

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