燎原の火2
男がいやらしい笑みを消し、美嘉を睨み距離を詰める。目は座ったままだ。
不穏だった雰囲気が、より剣呑なものに染め上げられてゆく。
後ろにいた男の仲間も集まってきた。四人で慈杏と美嘉を囲うようになっていた。
「チンピラそのものじゃないか! なんなら警察呼ぶか? チンピラじゃないなら良いよな。市民同士の揉め事の仲介は公正な相手にしてもらうべきだろ」
美嘉は顔を近づける相手から顔を背けず、後退もせず、目も逸らさず、怯む様子は見せない。
「ミカ、やめてっ」
対応として美嘉の言っていることは間違っていない。
数千円で終えられた保証はない。こう言う連中を野放しにして、妙な成功体験を与えるべきでもない。それは新たな被害や事件の土壌の醸成に手を貸すに近しい。
だけど。今わたしたちが、この状態でこの相手たちと正論で対峙することが適切ではないと慈杏は思っていた。
ずるくても卑怯でも良い。後の何かの事件の遠因になるかもしれないけど、それよりもとにかくこの場から去るのが最優先だと思えた。
「おーおー、なによ、調子乗ってる? ……らぁっ!」
男はおもむろに美嘉の首に右腕を回し、身体を固定させてから美嘉の鳩尾に膝を入れた。
「う!」美嘉はくの字に腰を曲げて呻いた。
「やめて! やめてくださいっ‼︎」
「おい、女抑えとけ」
男は仲間に指示を出した。
腰を曲げた美嘉の頭は男の胸の高さにあった。男は美嘉の髪を掴み、顔を上げさせ、男は顔を近づけて凄んだ。
「手ぇ出されねぇとでも思った? あぁ?」
「彼女を離せっ……!」美嘉は怯まなかった。
「格好良いなぁ……主人公さんよぉ!
......めてんじゃねぇぞ‼︎」
もう一度腹に膝を入れ、蹲った美嘉の顔を蹴り上げる。慈杏が悲鳴をあげた。
周辺には駅から出てきて家路に向かう人が何人かはいたが、慈杏達に近付く者はいなかった。
男は崩れ落ちる美嘉を左手で胸元を掴み上げ無理やり立たせ、顔面へ拳を叩きつけて殴り倒した。
倒れた美嘉は後頭部を硬い地面に強く打ち付けた。
以降は一方的だった。
残っていた仲間も加わり、三人で倒れた美嘉を蹴り続けた。
悲鳴を聞いた者か目撃した通行者が通報したのか、時間にして五分ほどして、警察官がふたり駆けつけてきた。
駅近くに交番があるため、警察官は文字通り走ってきた。
警察に気づいた男たちはその場から逃げ去った。
羽交締めしていた男から解放された慈杏は顔を腫らし血を流している恋人の元に駆け寄って泣きながら声をかけ続けた。
慈杏は救急車を呼ぶ冷静さも失っていたが、誰かが呼んでくれたのか、サイレンの音が遠くから聞こえてきた。
男たちを捕まえられたのかはわからないが、警察官の一人が慈杏に声をかけながら、無線で何かを伝えていた。
全ての音が慈杏にはどこか別の世界で鳴っているように聞こえていた。