燎原の火1
エンサイオの帰り道。慈杏と美嘉は駅まで歩いて向かっていた。
そろそろ深夜に差し掛かる時間帯だ。夜空には雲が多く星の姿は見えなかった。
商店街の一角にある舗装されていない駐車場には酒が入っているらしい若者がタバコを吸いながらたむろしていた。
何がおかしいのかバカ笑いしている。二十二時過ぎという時間を気にはしていないようだ。
まさに先ほど治樹が注意を促した現象がそのまま目の前で起こっていた。
「確かに最近雰囲気変わったよな」
治樹のいう通り、ふたりで帰っていた美嘉と慈杏は、若者たちを認識しその話題に触れた。
「そうね、森公園のガゼボ下のベンチのところでもお酒持ち込んで夜中まで延々と大声で騒いだりしているみたい」
「ハルのいう通り、練習帰りはひとりにならないようにしなよ。本番まで日もないから基本は全練習日参加するつもりだけど、どうしても仕事で行けない時があったら……渡会さんがいたら一緒に帰れると思うけど、やっぱり女性だけじゃ不安だな。お父さんも来てたら送ってもらえるよね? もしお父さんも来られなかったら、慈杏も休むとか……」
メンバーは商店街や地元の住人がほとんどだったため、それぞれの自宅は練習場からは比較的近い位置にあった。
今日の練習に参加したほとんどのメンバーは車移動で、一部は乗り合いで送ってもらっていた。ちなみに渡会は締切に追われ残業をしていて、若人も問屋との打ち合わせ兼食事が営業終了後にあったため本日の練習は不参加だった。
慈杏と美嘉は職場に近い地域に住んでいたため、駅から電車で帰る必要がある。
練習場から商店街を抜けて駅まで向かう道程は徒歩で二十分程度かかった。練習の終わる二十二時はバスのない時間だ。
「心配性だなぁ。ありがとう。そんなケースはあまりないだろうから大丈夫。もしそうなりそうだったら考えるよ」
この日はたまたま車で来ていたメンバーの空きシートが埋まってしまい、電車でも方向が一緒だからとふたりは徒歩で帰ることにしたが、大体の日は誰かしらかに載せてもらえるはずだから、実際それほどの心配はいらないだろうと慈杏は考えていた。
駅のロータリーでも騒いでいる若者がいた。
近くのコンビニで買い込んだであろうアルコールの空き缶に、カップラーメンの容器や惣菜などのトレーが散らばっている。
一際大きな声が上がる。
慈杏がつい声の方に目をやる。
たまたまガードパイプに腰掛けるように持たれていたイエローゴールドのショートヘアの若者と目があった。その目は座っていた。
「おー、今こっち見たべ? なに? なんかあんか?」
呂律が回ってないと言うほどではなかったが、絵に描いたような絡み方をしてくるこの男と、まとも対話ができるとは思えなかった。
「慈杏、行こう」
「うん」
男を見ないようにして早足で去ろうとするふたり。
「待てよおい」
男はふたりをすんなりと行かせるつもりはなさそうだった。
慈杏の腕を掴む。
「離せ!」
美嘉が声を上げ、男の腕を払い慈杏と男の間に入った。
「おいおいおいおい、暴力か? こええなぁおい」
「掴みかかってきたのはお前だろ?」
へらへらと言う男に、美嘉は明らかな怒りを向けていた。
「ミカ、良いから!」この状況は良くないと慈杏は思った。
発生してしまった以上、無視以外に最適解はない。
関わってはいけない、向き合ってもいけない、有無を言わせてはいけないのだ。
「声に驚いてつい見てしまいました。見てすみませんでした! 急ぎますので、これで」
早口で言い美嘉の手を引っ張り去ろうとする慈杏を、しかしやはり男は逃さなかった。
「勝手に話終わらすなよ。謝ったな? 悪いって認めたってことだよな? こういう時あれだろ? 誠意ってやつ見せるもんなんだよなあ? いしゃりょーだっけ?」
ゲラゲラと笑いながら後ろを振り返り仲間に同意を求める。男の仲間は「おまえ完全に悪役じゃん!」「主人公みたいなにーさんがんばれー! ワルモンに女やられちゃうぞー?」などとヤジを飛ばしている。
「これでお酒でも買ってください」
慈杏は男を見ないようにしながら千円札を数枚取って相手に押し付ける。
「慈杏! 渡す必要ない! つけあがるだけだ、キリがない」
「つけあがるなんて随分だな。まるで俺らがチンピラかなんかみたいじゃん? 違うだろ? そのねーちゃんが謝ったんだよな? その詫びで、そっちから受け取ってくださいって流れだろ?」
男からヘラヘラ笑いが消えた。