薄暑光
穏やかな季節は短く、すぐにやってくる暑い時期を予感させる日が増えてきた。
『サンスターまつり』で実施する『ソルエス』のパレードやショーの構成も決まり、季節の移ろいと比例するように各パートが練習に熱を帯びてきた。
まだ本番まで日数はあるが、決して余裕があると言える者はいなく、ソルエスメンバーは自主練や衣装制作など、日常がサンバに染まりつつある日々を送っていた。
美嘉は慈杏に連れられて、カザウのワークショップにも積極的に参加し、パフォーマンスのレベルを一段も二段も上げただけでなく、カザウとしての在り方や立ち居振る舞いなども身につけていった。
治樹は、ふたりをもはや急造ではなく、エスコーラの正規カザウとして充分に認めていた。
『リアライズ』の弧峰チームは『ソルエス』の『サンスターまつり』用ポスターやリーフレットのクリエイティブの制作を買って出て、治樹とチームでの打合せも増えてきた。
コンセプトは既に決まっていたから、各クリエイティブの詳細を詰める段階だ。
企画の概要書を見たのか、いつの間にか新町が「休憩中に遊んでたらできた」と、Webページのドラフト版を作り上げていたことはみんなを驚かせた。
「いやー、さすがに忙しいね」
自主練の帰り道、美嘉が言った。
困ったような言い方だったがその表情は明るかった。
夜遅くまで働いて疲れ切っているのに、追加の仕事が入ってしまった時に、参ったなぁなどと言いながら全然参ってなさそうな顔をしていることがあったとしたら、それは心から仕事が好きで、充実しているからだろう。開き直っている可能性もあるが。
さて、ミカはどっちだろうかなどと思いながら、その表情を窺い見る慈杏は、確認したわけでも確信する根拠があるわけでもないが、前者だろうなと勝手に思って嬉しくなっていた。
美嘉は落ち着いたら久しぶりにこの街をゆっくり散歩したいななどと言っていた。
慈杏は、本当に仕事が忙しいサラリーマンみたいなことを言うなと思いながらも、温泉や旅行じゃないのが美嘉らしいなと微笑ましく思っていた。
外で出会った恋人が、同じ地元で同じ子ども時代を過ごしていた可能性はどれくらいなのだろう? もし奇跡といえるくらいの確率ならば、その奇跡は大事にしたいと思っていた。
「高台の方にさ、好きだった場所があるんだ。にいちゃん達も多分知らない、俺だけの場所」
慈杏には心当たりのない場所だった。
美嘉がこの街を出てからは一度も訪れていないらしいから、久しぶりに行ってみたいと言っていた。美嘉の子ども時代に触れられる気がして、慈杏もそこに行くのを楽しみにしていた。
本番が近づくにつれ、練習の日も増え、パレードやショーの構成や段取りに関する打ち合わせも増えてきた。
慈杏をはじめとする4sメンバーにとっては計画の推進も同時進行で行わなくてはならない。もちろん日常の仕事を疎かにせずに。
「ところで、お父さんの様子はどう?」
ワークショップの予定を電話で話し合った後、美嘉は尋ねた。
パレードとショーの成功も、祭りの盛況も、元を正せば慈杏の父、若人の事業継続の意志に繋げるためのものだ。
パフォーマンスや祭りは参加者であり当事者である若人は意欲的に見えていたが、だからと言って店舗を畳む当初の考えを覆すかどうかは別の話だ。
慈杏は敢えて具体的な話題には触れていないと言う。目先の祭りへの意欲に特化してほしいのが半分、この時点で確定的な結論を出されてしまうことへの不安が半分あったためだ。
「特に根拠のない楽天的なこと言うよ。気に障ったらごめん」電話口から聞こえる美嘉の気遣いのこもった優しい声に、慈杏は「うん」と言った。
美嘉の心地よい声は、「大丈夫」「きっと大丈夫」「全部うまくいく」と、慈杏を勇気付ける言葉で溢れていた。
「本当に何の根拠もないね」
笑いながら言う慈杏の心の中には、不思議といつの間にか不安は消えていた。
こう言うのって、理屈じゃないんだなぁと思った。
美嘉に伝わった声が揺らいでいなかったかなと心配しながら、慈杏は涙を拭った。