サンバ計画2
「お父さんがジャック?」渡会が不思議そうに慈杏に尋ねた。
みんななんらかのニックネームをサンバネームとして使っているのだと慈杏は説明した。
「うちのお父さんはジャック。若人の若の音読みをもじってるの」
「渡会と同じセンス……」
「なんだ! てことはむしろJで良かったんじゃん! 勝った! 優勝や、優勝やで!」
「ちなみにわたしは名前のまま、ジアンでやってるよ。ええと、会社の後輩二人です」
慈杏はそれ以上渡会に話させはしないとばかりに、被せ気味に治樹に言った。
「百合藍司です」
「渡会類です!」
「よろしく! 早速みんなに紹介しようか」
治樹は大きく手を二回叩き、
「みんな、ちょっと手を止めて! ジアンがメストリ候補と見学者をふたり連れてきてくれたぞ!」
一同が注目する。軽く自己紹介してと促された三人は、一通り自己紹介を終えた。
「今日自己紹介三回もするとは思わなかったな」
「っすね……」
美嘉と百合がぼそぼそと言っていた。治樹は自己紹介を終えた三人と慈杏を呼び出し、伝えた。
「ミカは早速メストリの練習に入ってもらう。
イベントまではもう半年切っているから正直あまり時間がない。とはいえ焦らせるつもりはないので安心してほしい。進捗次第で最適な構成にすることはできるから、とにかく楽しんで!」
具体的な練習は慈杏に一任された。
慈杏は早速美嘉を連れて、練習場の一角を陣取った。バンデイラを広げ、何やら説明を始めている。
「見学のふたりにはまずはサンバについて軽く教えるよ。専門用語みたいな言葉も多いしね。その後、ダンスや楽器の体験もしてもらう。本当はミカにも聞いてもらいたいけど、ジアンに都度教えるよう頼んどいた」
サンバはブラジル発祥ってのはなんとなく知っていると思う。
と治樹は話し始めた。練習場の端でパイプ椅子に座り、見学者用の簡単なリーフレットを見ながら、ふたりは説明を受けていた。
ブラジルはポルトガル語が公用語なので、サンバ用語はポルトガル語が多い。
チーム名の『ソール・エ・エストレーラ』は『太陽と星』って意味だ。ふたりはその辺りについては慈杏や若人からも聞いていた。北のサンロード商店街と南のスターロード商店街が由来であることなどを。
サンバチームは、『エスコーラ・ヂ・サンバ』、略して『エスコーラ』や、『ブロコ・カルナヴァレスコ』略して『ブロコ』と呼ばれている。
『エスコーラ』は『学校』が語源で、サンバの学校という意味合いだが、先生と生徒がいるわけではない。単語の語源や成り立ちを紐解けば、『群れ』という意味もあるようだから、おおよそ集団という意味で使われているのだと思う。
エスコーラは、サンバカーニバルの様式を満たしている必要があり、必然的に規模の大きいチームが名乗ることが多い。
『ブロコ』は『ブロック(塊)』が語源で、『カルナヴァル』、つまりカーニバルを楽しむ人たちって意味で、決まりなどはなく自由に楽しむことに主眼を置いている。
様式を満たす必要がないので、エスコーラよりは小規模で自由な集まりのチームが多い。
「うちは一時結構な人数いたこともあって、様式も満たしていたから『エスコーラ』を名乗っているよ」
少し誇らしげで、少し過去を懐かしむような顔で言う治樹だが、衰退を嘆くような悲壮感は無かった。
エスコーラを象徴する旗を『パビリャオン』や『バンデイラ』という。
その旗を持つのはジアンが担う『ポルタ・バンデイラ』略して『ポルタ』。『ポルタ』をエスコートする男性が、美嘉にやってもらう『メストリ・サラ』略して『メストリ』。このペアを『カザウ』や『ポルメス』と呼ぶ。このペアの存在も、様式を満たす上で必須だと言う。
治樹の説明は続く。
ダンサーは技巧派の『パシスタ』と華やかで目立つ『ジスタッキ』がいる。
サンバダンサーの象徴とも言える背負った羽は『コステイロ』、頭の飾りは『カベッサ』。
女性ダンサーが身につけているビキニのような衣装は『タンガ』。
このダンサーのことを、一般の人は『サンバ』や『サンバダンサー』と呼ぶことがほとんどである。
だが、羽根の衣装を身につけないダンサーもいて、大きいスカートで回るようなダンスをする『バイアーナ』は、ブラジルでは『パシスタ』を引退した女性ダンサーが成り、サンバ発祥の地とされるバイーア地方を語源にもつ名誉あるダンサーだ。
バイアーナも、様式を満たす要素のひとつである。
サンバダンサーは男性もいる。
男性でも『コステイロ』を背負う『パシスタ』もいるが、白いスーツスタイルにパナマハット、キザな伊達男風の『マランドロ』。
訳すと悪漢と言ったニュアンスになるが、スタイリッシュさに恥じない紳士である。治樹は演者としては『マランドロ』をやっていた。
ダンサーのカテゴリからは外れるかもしれないが、と前置きをして、治樹は近くに置いてあったタンバリンに似た形状の楽器を手にし、皿回しのように指で回したり、それを回転させながら高く放ち、ターンしながらキャッチしてみせる。渡会が「おーっ!」と歓声を上げた。
「これは『パンデイロ』という楽器で、楽器なので本来は演奏に使うものなんだけど、さっきみたいに曲芸をする『マラバリスタ』と呼ばれるパフォーマーもいる」
聞く話聞く話、そのすべてが全く知らない話だった。
百合はもちろん、渡会も余計な茶々入れをせず、真剣な様子で、時に頷き、時に相槌や感嘆の声を漏らしながら、興味深く治樹の話を聴いていた。