慈杏の計画7
スツールと同じく、若人がイートイン用に用意していたもののしまったままだった小さな丸テーブルを引っ張り出してきて、そこに百合が用意した資料を広げ、慈杏と百合、渡会があれこれと話をしていた。
「お父さんたちが『ソルエス』を立ち上げたんですよね?」
先程までの喧騒は落ち着いていて、慈杏たちの様子を椅子に座って眺めていた若人にミカが尋ねた。
軽い打ち合わせは終わったようで、三人も席に戻ってきた。
「お父さん……ああ、まあ、そうだね」
若人が一瞬複雑そうな顔をしたのを渡会はめざとく見つけていたが、珍しく言葉は挟まなかった。一方、ミカは何も気づかなかったのか質問を続ける。
「南北の商店街をまとめるためにサークルを作ることになった経緯は慈杏さんから聞いているんですが、何故サンバだったんですか? 経験者がいたとか?」
「いや、何がやりたいとか何ができるって観点で立ち上げてはいないんだ」
若人は当時を思い出していた。
とにかく何かやろう、何かしなくては、との思いばかり先行し、手段と目的が入れ替わったような主張が跋扈し収拾がついていなかった。
「他のメンバーはまた違う感覚もあったと思うが、俺はあくまでもサークルは商店街を一つにまとめる手段であることを第一議としていたから、イベントで見物客を巻き込め、盛り上がりが見込め、老若男女が楽しめるって条件を満たしていればなんでも良かったんだ。
結果としてサンバはその条件を満たしていたのだけど、当時は俺を含め理解が足りてなくて、どちらかといえば若い女性中心の文化だと思っていたくらいだ。
楽器奏者、『バテリア』って言うのだけどね、がいたり、男性や子ども、年配のダンサーがいたりするなんて誰も知らなかった」
ボクたちもそう思っていましたと百合は相槌を打った。
「きっかけは、商工会議所の会員の中に日系ブラジル人がいてね。
商店街のメンバーではなかったのだけど銀行員時代に融資の担当をしていて親交があったので、商工会議所の会合なんかで会うとお互いの商売のことを中心に雑談することが多かったんだ。その頃は彼の体調が思わしくなく、会社は既に彼の息子が代理で運営していたのだが、代表は未だ彼のままだったから関係は続いていて、資金繰りについて軽く相談を受けたりもしていたよ。
だから逆に商店街で何のサークルを立ち上げるかを悩んでいた時に、ぽろっと漏らしていたのだと思う。
細かいやり取りは忘れてしまったけど、その息子さんが毎週土日にサンバの講師をしてくれると言ってくれて、先生がいるならサンバにしようと決まったんだ」
「日系ブラジル人……」
ミカは思案するような顔で呟いた。
「そうか、キミは地元出身だったね。当時日系人は目立っていただろうから、知っていたかもしれないな」
「川沿いの自動車整備工場ですか?」
やっぱり知っていたかと言う表情で
「うん。もしかしたら噂も?」
若人は端的な尋ね方をした。
「塗料で使われているカドミニウムとか水銀が土壌汚染を起こしたとか……」
「それは、」
慈杏が口を挟もうとした時、入り口が開けられた。
「失礼します。クローズのところ申し訳ありません」
男が半分下ろしたシャッターを潜るようにして入り口を開けて入ってきた。もうひとりの男も同じように続く。
「またあなたですか」
入り口に立っていた男の顔はこわばっていた。その目線は怪訝な顔をして答えた若人には向いていなかった。
「美嘉、か? こんなとここでなにをしている」