慈杏の計画2
「逆に、」
若人は持論を続けた。
後者の完璧すぎる者にも若人の中の警鐘が鳴るのだと。
その男の名刺には『(株)佐田都市開発』とあった。
地場では有力なデベロッパーで市政や第三セクターとの繋がりが強く、新駅周辺の開発を任されているらしい。
男の役職は主事。自治体などでは末端の事務系を指すこともあるが、営業であるこの男には当てはまらない。大手のデベロッパーでは前線に出る担当としては最高位に位置していることも多い。おそらくそちらに近い職位だろう。
実力主義であろう業界で、その地位にあることを加味すれば、男と相対する者の立場によっては頼りになる存在になろうが、別の立場では油断ならない相手にもなり得る。
若人は銀行員時代の抜け目の無さで男を見定めていた。
担当の男は三十代前半といったところか。
スーツも靴もオーダーだろう。生地も外を周る仕事を前提とした範疇に於ける、最上というよりは最適な中から上質なものを選んでいて、仕立ても良い。聞き齧りの知識だが、見たところブリティッシュスタイルだろう。イタリアンスタイルと比較して固い交渉向きと言える。
黒に近い濃紺無地のスーツにホワイトのワイドカラーシャツは皺やほつれなどは見当たらない。
胸ポケットにはスクエアで挿したホワイトのチーフ、グレンチェック柄のグレーネクタイ、ブラックのベルトにストレートチップのよく磨かれた革靴。
ブリーフケースも同色の本革で、メーカーは土屋鞄だ。若人も銀行員時代に出勤用に同じメーカーのものを使っていて、ブランド志向より品質志向に好まれるメーカーだと思っていた。
ネクタイピンとカフスはさりげないがスターリングシルバー製だろう。安物ではないと思えた。
髪型は前髪を上げた七三分け。いかにも誠実そうな印象だ。ビジネスシーンの正装として申し分ない。
身につけているものは全て上質だが、ブランドやデザインを主張するようなものではなく、上質な品質に適正な金額を支払う合理性と余裕、本質を捉える気質が伺える。ただし、時計だけはスイスの高級時計パテックフィリップのカルトラバだった。品の良いデザインでホワイトの文字盤にブラックのベルトは、全体のコーディネートに馴染んでいるが、この一点に関しては主張が見える。
これによって、完璧だがともすれば無難で無個性或いは合理主義的になりかねないスタイルに、こだわりという血を通わせて人間味を増す効果が得られている。相手がファッションや腕時計のマニアなら、話題のひとつにもなるだろう。
そこまで含めて意図されているように見えるくらい、隙のない完璧さが却って気になるのだと若人は語った。
装いを完璧に近づけるのは防御力を上げる行為だと若人は考えている。
攻撃力たる計画がいかに素晴らしくても、防御力が備わってなくては勝てるものも勝てないのは融資時代のシステム会社の例を見ても明らかだろう。
提案に違和感はなく魅力が有るのに、そこまで完璧を装わなくてはならないのは、何か守りたいものがあるからなのでは。
言い換えるなら、何か隠したいものがあるのでは。無論、自然と装いが完璧になる着道楽もいるだろうが、どうもそのようなタイプにも見えなかった。
「まあ、しょせん持論だし全くの思い違いかもしれないがね。自らの進退についてだ、気が乗る乗らない、その理由だけで決断しても良いだろう」
慈杏は頷いた。
若人の論はよくわかった。推測に推測を重ね過ぎているような気もしないでも無いが、言わんとしていることは理解できたし、経験則による判断を無視して良いとも思えなかった。