慈杏の決意7
恋人と同じ職場は、少なからず慈杏の気持ちを浮き立たせた。
しかし、大手の広告代理店はそれなりに同期の数が多く、確率的にいえば自然なことだが慈杏とミカは同じ職種にはなれたものの、配属先は異なるチームとなった。社内で顔を合わせたり、何かの折に多少の雑談を交わすことくらいはあったが、一緒に仕事どころか、外出も多かったため、お昼を一緒にとることさえも滅多にできなかった。
それでも、慈杏にとっては同じ職場に、学生時から心を許している者がいて、同じ環境の中それぞれで頑張っている事実に、心強さを感じていたし、時に励まされることもあった。
先輩の新町の独立についていくことは、その環境を手放すことでもあった。
慈杏は新町に強い憧れに近い感情を持っていたため決断は早かったが、少しも悩まなかったといえば嘘になる。
望んで入社した会社だ。まだ入社したての慈杏にとっては、会社にもまた、夢や希望、期待があった。会社に残ることでもたらされるものは可能性に溢れていて、とても見極めなど出来はしない。
そして、恋人のいる職場でもある。
しかし、慈杏の背中を押したのはその同じ職場に勤めている恋人だった。
恋人は羨ましいとも言っていた。
独立に付いていくということは創業メンバーになるということ。それは、認められた者であるということでもあった。
彼は慈杏の上司である新町とは直接関わることはなかったが、その業績は社内のだれもが知るところだった。会社のエースに認められた慈杏に、誇らしさと羨ましさを感じたと素直に言っていた。
「ミカも来る? ミカなら優秀だし、来てくれたらわたしも先輩も助かると思う」慈杏は安定した企業からの独立に誰かを誘うつもりはなかったが、羨んでくれたことに勇気を得て、思い切って声を掛けたのだった。
しかしミカは、「俺も俺で、ここでやりたいことがあるんだ。一緒にやりたい仲間もいるしね」と、笑顔で答えた。
実際、慈杏とミカがとふたりで飲んでいる時の話題は、仕事の話が中心で、お互いうちの先輩がすごい、うちのチームは良い、と、下手したら若干気持ちの悪い自慢ばかりしていた。ミカも充実した仕事をしていたのは間違いがなかった。
慈杏が仮にミカから今の会社に残ってくれと言われても残らないように、慈杏がミカに来てほしいと言っても首を縦に振ることはないのはわかっていたし、それで良いと考えていた。
「いつか一緒のチームで仕事できたらとは思ってたから、ちょっと残念だけどな」といったミカの言葉は慈杏を喜ばせたし、それでもお互い、自分のやりたいことを貫ける、それでも気持ちは揺るがないでいられる自信がある、そんな関係を築けているのが嬉しかった。
とはいえ転職後も職場は近く、時間があれば仕事終わりに飲みや映画に誘いあって、タイミングが合えば一緒に行動していた。
慈杏はそんな話を掻い摘んで渡会に伝えた。