心に呪い
決める……その行為によって、行動が定まる。
でも強固ではない。今決めたなにかは、過去に決めたなにかを打ち消し、上書きする場合もある。
不安定な心そのものだ。
心ひとつで人生が変わるというのに、その心はあまりに自由である。
そんな心を固めるものが、夢や目標を持つことだろう。または目的か。
夢や目標を目指し、人生を費やす。
夢、理想、目標、誓い……一般的に尊く肯定的に捉えられるその心の在り様、定め固めた心の在り様は、時には呪いのようでもある。
至れても至れなくても、悔いがあってもなくても、ある意味心を縛るその行為は、自らが心に掛けた呪いの一種だと言えるのではないか。
人の心は何よりも自由であり、自ら不自由さを強いる自由さえもある。
自由であるが故の、なんでもあり。
心ひとつで人生が変わるというのに、その心がこんなにも無軌道なら、人によっては心に振り回され、人によっては心が示した誤った路を邁進してしまうこともあるだろう。
呪い……オカルト的なその言葉が、人生を縛るという意味で結果を伴い実在するのなら、超常、もしくは異常、または疾患の類かもしれないこの現象だって説明できるのかもしれない。
いや、説明など、証明などできなくても構わない。
妄想かもしれなくても、自分の中だけで起こっていることかもしれなくても、視えるという結果を伴い実在しているのなら、大事なのはそれをどう使うかだ。
例えば誰かの心が、人生を誤らせようとしているのが視えたなら......