明けの明星2
「お前、高天だろ?」
取り止めもない思考に耽っていた暁に、唐突に声がかけられた。
驚いて声の方を向くと、いつのまにか間近に迫っていたランナーだった。
フードを外した男の額には微かに傷跡が見えた。
挑発的な目つきでこちらを見てくる子どもの頃の同級生の顔がオーバーラップして見える。
「児玉?」
「よく覚えていたな。別に仲良くもなかったのに」
「それをいうならお前だって」
「ふん、加害者はすぐ忘れても被害者はいつまでも覚えているのが世の常だろ?」
確かにその通りだ。
だから暁たちも拘泥し続けられた。
理不尽な仕打ちを受けたと思い込み、それをもたらした地域というものを対象にした復讐計画を。
しかし。
「被害者?」
仲良くはなかったし喧嘩もした。
殴ったのも事実だ。だが、あの背景で起こった喧嘩で一方的に被害者と加害者で切り分けられているのだとしたら、暁は納得し難いものがあった。その後の顛末を考えれば尚更だ。
「別に今更あの日の出来事を引っ張り出して被害者ヅラする気はないさ」
児玉は暁の疑問を察したように、話し始めた。
「お前たちがサッカー辞めた後も、俺はずっと続けてたんだ。卒業するまではお前たちの抜けた穴を埋めようと必死にやったし、そのおかげか、中学では割とすぐにポジションをもらえたよ。でも、その頃からどんどん視力が落ちてきてさ」
眼科に連れて行かれた日は、泣いて過ごしたそうだ。
左目の視力が極端に落ちていて、引きずられるように右目の視力も落ちているとわかった。その後の検査で、左目の視力が落ちた原因は怪我の後遺症であると判明した。暁に殴られた際に負った傷だった。
児玉のポジションはミッドフィルダーだ。
キーパーほどではないが、空間認識能力は重要だ。
視力そのものは矯正器具で補えたとしても、進行中の症状を治療しないと言う選択肢は無かった。
「そんなわけで治療に専念するって理由で休部して、そのまま復帰することはなかったよ。北光とこそこそなんかやっていたお前は知らなかったかもしれないけどな」
――知らなかった。
「さっきも言ったけど、その件で被害者を主張するつもりは無かったさ。実際当時何の訴えもしなかったろ?
時間も経っていたし、子ども同士の喧嘩だからと、うちの親もお前やお前の家に責任を追求するのを良しとしなかった」
あの時、ガビを追い出そう声を上げていた児玉の親が?
暁の記憶にあるこの街の大人像とは印象が結びつかない話だった。
「お前が俺やうちの親をどう思っているか知らねえけど、少なくともうちの親は子ども同士の喧嘩に加害者や被害者がいるなんて考え方はしてなかった。
実際原因は俺の挑発だしな。だから俺も誰かの責任にできない事故や病気の類だと思って諦めたんだ」
自分が知っている事実と違う事実。
まさに先ほど暁が考えていたことが、当時から其処此処で起こっていたのだと示しているような話だった。
「理屈では、な。でも、まだガキだぜ? 悟るなんてできない。掴みかけていた夢、道半ばの夢を不本意な理由で強制的に諦めろなんて言われてもすんなりいくわけないよな?
被害者ヅラする気はないとは言っても、心の中で誰かの所為にしたくなる気持ちまで消せるものじゃない。……正直お前を恨んでいたよ」
それはそうだろう。
理不尽な『仕方のないこと』、例えば災害でさえも、誰かや自分への責任を見出して責めるのは人の性なのかもしれないのだから。
暁自身が、この街というものを攻撃の対象とすることで責任の所在を求めたように。
「もちろん、実際には責任などないし、取らせることもできない逆恨みであるとわかっている。だから鬱屈するんだけどな。
俺にとってお前は忘れられない存在になってしまうわけだ」
児玉は自嘲気味に笑いながら言葉を続けた。
「幸い成長するに従い視力の低下は歯止めが掛かり、矯正で日常生活は問題なく送れる程度で済んだ。慣れさえすれば、サッカーだってできる。
プロはもちろん、学生サッカーの選手のレベルでも厳しいけど、休みの日に遊びでやる分には問題ないし、最近は子どもらに教える側でサッカーに関わっているんだ。
意外と適性あったみたいで、教え子がユースに入ったりもしてるんだぜ?」
本当に意外だと思ったが、気付かされた。
よくよく考えたら、暁は児玉という人間をほとんど何もわかっていなかったのだと。