果報1
良い。とても良い。
弧峰からの報告は、想定できる限りの最上の成果と思えた。
目的は弧峰の退職防止。
必須条件は実家の家業継続が中・長期のスパンで見込める経営資源、主にヒトの確保。
手段として現店主の変節を促すか代替人をみつけるのか。
弧峰は中期的な視点で現店主の目先的なモチベーションを上げ、当座を凌ぎながら次の手を考えるといった施策を進めていた。
元々は店舗を残すには自らが店主にならざるを得ないとの決断を出していた弧峰を、私が退職を認めなかったことでバタバタと組んだ計画だ。
猶予のない中で走りながら考えるといった状況にあって、次善の施策であったと言える。しかしやはりツケを先延ばしにしているに過ぎず、根本の要因は解消されていない、延命の様相は拭えなかった。
だからわたしは十重二十重のバックアップを用意するつもりだった。
要は店舗の存続が最優先であれば、なにも弧峰自身が店に縛られる必要はない。
オーナーは弧峰で店舗を回せる人材が用意できれば良い。
もちろん人を入れるとなれば相応のコストが必要だ。斜陽な商店街の中では気を吐いていた店舗だったとはいえ、現在の商店街の市場規模と店舗の客単価を考えれば、家族経営の強みによって生かされていた側面も大いにあったはずだ。
では、パンの製造から接客販売までを機能とするパン屋を運営するに能う人員を揃えるとなると、どれほどのコストになるのか。
一方、弧峰のオーナー業務にしても、店舗に立たないとは言え今の仕事を続けながら兼ねることは可能なのか。
懸念が具体的であればあるほど、対策は立てやすい。
わたしはそのふたつの懸念をクリアしたプランを用意することにした。
オーナー業務については、簡略化したスキームを作り、システマティックにすればやれなくはないだろう。
元々売上や生活の糧を目的にしたものではない。売り上げ向上を狙う経営というよりも、収支と労務、リスクへの管理に特化した作業のみと割り切れば割くべき労力は限定的になるはずだ。
売上を必要以上に追わなくても良い点は、生産、管理、売上の面で必要最低限を満たせば良く、経営資源の投入が最小で行える点も低リスクで実施する上では有利だった。
また、あまり良いやり方ではないかもしれないが、うちで依頼している税理士や社労士に必要業務を少し依頼することもできるかもしれない。
次に、難易度の高い人材確保について。
これはマッチングで解消することにした。
人件費を使って人を雇うのではなく、場所や環境を提供する対価として店舗で労務を提供してもらうやり方だ。
パン屋をやりたいとうっすらとでも考えている人を幅広く探し、ローコストでパン屋としての経営経験や職人経験を積んでもらう。
幸い現店主は体力的にすぐ引退しなくてはならないような状態にあるわけではない。
仮に引退して経営から身を引いても、職人として未来ある志望者への指南なども担ってくれるかもしれない。それによって意欲が戻ってくれれば尚良い。
現店主の協力がどこまで得られるか、店舗を残すだけで良いのか、味も残したいのかなど、条件次第で適した人材は異なるが、そこは条件を洗い出した上で弧峰と希望者の協議で整えれば良い。そのためにも、なるべく多くの希望者が必要だった。
そこでわたしは、経営者仲間でフリーランサーのマッチングサービスを提供する業務を手掛けている者のほか、貸店舗に強い不動産仲介業者、調理師学校、料理教室、パン屋やカフェのフランチャイザー、食品メーカー、創業スクール、銀行など近しい業界や候補者が利用する可能性の高い業界を中心に、物流、医療、アパレルなど、持っているツテは全て使って人を集めてもらった。
その甲斐もあり、すでに候補者は五名ほど集まっていた。
弧峰の施策が実り延命が為るならそれも良し。
急ぎで店舗に入ってもらうよりも、双方がしっかりと納得をして、然るべき準備期間を設けて進めた方が成功の率は格段に上がるのだから。
マッチングがうまくいかなかった場合のことも想定はしてあった。
店舗機能にこだわらなくても良いという観点で見れば、パン製造の機能を有した空間として捉えることで別の存続の道も見えてくる。
例えばパンの製造は元店主もしくは弧峰が余力でできる分のみを製造する。
作られたパンはあくまでもこの場所利用に際する特典として、サロンやコワーキングスペースとして企業向けに提案することもできるだろう。
なんならうちの会社のサテライトとして使っても良いと思っている。
もちろん、同情ではなく、企業としてその費用を投じるに値すると判断している。
新駅のおかげで、このエリアから北関東に出るのが大幅に楽になった。昨今学園都市エリアの医療関係者からの案件も増えているため、この地に拠点を置くことは魅力的だ。
一方、都心へも直通で三十分かからないため連携もとりやすい。
この地は元々東北まで繋がる国道も通っているから、これを機に営業範囲の拡大を狙っても良い。うち自体人員も増えてきていて今のオフィスは手狭に感じてきていたところだった。
弧峰がもう少し成長したら、弧峰の実家の近いこの地でサテライトの長を任せることはとても良いアイディアのように思えた。
なにより、美味しいパンが自分のオフィスで食べられるのは従業員満足度的にも良いことだ。福利厚生の充実かつ特有さによる差別化は、優秀な人材採用の一助にもなるだろう。
以前弧峰が差し入れしてくれたパンはとても美味しかった。あのクロワッサンをしこたま食べたい。
メロンパンも美味しかった。浴びるほど食べたい。二郎系にさえ怯まない私の胃力を見せつけてやりたい。
しかして、弧峰の取組は必須条件を悠々とクリアした。
それも、目先の延命ではなく、商店街そのものの危機を救った。