感果3
広告を嘘にしない。興味を持って集まった観客たちに、想起させた期待と遜色のない、或いは超えるような満足は与えられたのではないだろうか。
そんなふうに自ら思えるパフォーマンスだったと思う。
自画自賛かもしれないし、親の欲目かもしれない。
それでも今日は、自分たちが作り、自分が所属しているエスコーラを、祭りを大いに盛り上げたエスコーラと、そのパフォーマンスを成功させたメンバーを、その盛り上げに一役買ってくれたクリエイティブとクリエイターを、関わってくれた事業者を、そして、自分の娘を。
心の底から称賛したいと思った。
今の『ソルエス』は、全盛期と比較しても何の遜色もないだろう。
ハルはもはや名実ともにプレヂデンチだ。
本人は先代と比較してまだ足りていない、届いていないと思っている節があるし、まだ引退しきっていない俺たち七人への遠慮が見える。
子どもたち世代では年長のハルは俺たちの商店街での取組を、『ソルエス』立ち上げの熱量を、当時肌で感じられる年齢だったのかもしれない。
畏敬の念が必要以上に大きくなり、本人すら意識していない委縮に繋がってしまってはいけない。
俺たちが成し遂げた成果への自負はある。これはそれぞれが自らの中に持っていれば良いものだ。
本人以外が殊更ありがたがるようなものではない。その成果を、七人の有志によって為されたと、持て囃し、半ば伝説のように語ってくれる者も居るが、はっきり言えば、若気(当時然程若かったわけではないが)の至りだ。今風に言えば黒歴史と言うやつだ。
そんな伝説の英雄のような称号は、後進の邪魔になるなら犬に食わせてしまえば良い。
そうだな、るいぷるあたりにいじらせて神格化や伝説を笑い話程度に堕としてもらうのも良いかもしれない。
ハルは俺たちなど創設者など、メンバーのひとり、チームに所属するリソースのひとつと捉え、ハルらしさを発揮して、これからのエスコーラはハルのカラーで作り上げていけば良いと思う。
少なくとも、基礎となる運営力や求心力に瑕疵は無いのだから。
慈杏とミカのカザウには不覚にも涙が込み上げた。
リズムの基本、テンポの要となるスルドがずれるわけにはいかないから、懸命に集中したが、スポットライトを正面から浴びてバンデイラを掲げた慈杏の後ろ姿がやたらと神々しく見えたのは、滲む涙の影響か。
慈杏はこの先の輝かしい未来を、光に向かってまっすぐ進んでいける。
もしかしたら、隣のエスコート役と一緒に。きっと、素晴らしい出来事ばかりが待っている。そう思わせてくれた。
演奏中、ふとそんなことを考えてしまい、俺にはもうすぐお迎えが来てしまうのではとさえ思ったが、心臓の如きスルドの音が、俺自身をも奮わせてくれた。
客席に、妻と師たるパン屋のご主人の姿が見えた。
妻は快方に向かっていて、すぐにでも店に立ちたがっていた。
今日のパフォーマンスに出られなかったことも悔しがっていたから、自ずとサンバにも復帰するだろう。
ご主人は、地域の野菜や果物を使った創作料理のコースを出す和フレンチのレストランにパンを卸しているらしい。
非常に人気でそのレストランではパンの詰め合わせのネット販売もしていて、そちらの売上も好評のようだ。まだまだ現役のご主人は、今日も元気に我々のパフォーマンスに合わせて配布された手作りガンザを振ってくれている。勇気をもらえた。
俺が枯れてどうする!
慈杏の行く末を、一日でも長く見ていたい。
そのためには俺も長く現役でいなくては。まして慈杏の往く道の障害になるわけにはいかないな。