感果1
とても良い祭りだった。とても良いパレードとショーだった。
観客の反応も良かった。
それに、この商店街にこんなに人が集まるなんて。
経済効果はどれくらいあっただろうか。などと、銀行時代のようなことを思ってしまうのは、見にきてくれていた妻の横に懐かしい顔を見たからかも知れなかった。
この国が、長い不況の時期を過ごすことになった責任の一端は銀行にあるだろう。
自分の責任などと烏滸がましいことを言うつもりはなかったが、融資課として中小の様々な企業や店舗への融資に関わり、時には廃業にも関わった身として、全く責任がないと自信を持って言えなかった。
銀行マンとして、粛々と全うすべき業務に向き合っただけだと嘯く同僚もいた。
矜持を持って事に当たり、後ろ暗いことは何もないと。
銀行は銀行として、市場の中で果たすべき役割や機能を果たすのみだ。利用者の中には、その機能に救われる者も居れば身を崩す者もいる。
それは銀行を利用する側の問題で、利用者側の問題にまで立ち入るべきではないと言っていた同僚は、確かに真摯に業務に向き合っていて、業界内の其処此処で聞いたような、相手を煽っての無理な貸付けなどはしていなく、後に問題になった貸し剥がしなどによって貸付相手を追い詰め苦しめるような仕事はしていなかった。
しかし、書類上の評価に感情は一切載せず、貸付相手への追加融資を拒み、必要があれば全額返済を求め、段階を踏んで容赦なく担保を処分した。
何も悪いことはしていない。
プロとしてとても正しい。
銀行マンは銀行を守らなくてはならない。
大風呂敷を広げるなら、銀行を守ることは、国の経済を守ることにも通じる。銀行が簡単に潰れるなんて事態は避けなくてはならないのだ。
しかし俺は、銀行を守るために潰れていく店舗を、国のために必要な犠牲とは思えなかった。
新人時代から担当している店舗があった。
案件としては小さいが、銀行マンとして一人前に育ててくれたと思える取引先のひとつだ。
かつて自分が行った融資で店舗をリニューアルした時には一緒にチラシ配りをしたパン屋のご主人に、銀行の決定を伝えに行った時、ご主人は穏やかに受け入れてくれた。いっそなじってくれた方が良かった。
「このパン、いくらで売っているか知っていますか?」
穏やかながらも寂しそうなご主人に問われた。当然知っていた。売値は八十八円、利益は五十五円だ。
銀行さんにはピンとこないかもしれませんが、そう言う額のお金で我々は生活をしているのですと言うご主人は、自身は既に二人の息子は独立していて、この街よりさらに郊外の市街地で家を建てていたご長男に、この機に一緒に住もう、落ち着いたら敷地内で趣味程度にまたパン屋をやっても良いと言ってくれていたこともあり、まだ引退には少し早いが言葉に甘えることにしたと告げられた。
恵まれているが、そうではない近隣の、長年苦楽を共にした仲間とも言える店舗のオーナーたちへの心苦しさを残して。
この件が銀行を辞めた原因ではない。
だが、切欠のひとつではあった。
銀行の仕事は社会に必要な、誇り高い仕事だ。
だけど、地域の人たちと結びつき、その人達の満足と引き換えに直接得られるお金。そう言うお金で、まだ幼い慈杏を育てたいと思った。
その決意を伝えに行き、図々しくもパンづくりの技術やノウハウを学びに行った俺を、パン屋のご主人は快く受け入れてくれた。
決して同情で用意した指導料ではなかったが、「多すぎる」と、材料費などの必要経費以外はほとんど手付かずで返してくれたご主人は、契約相手ではなく師匠であり恩人だ。
経営は机上の計画通りには行かない、物理的な問題で予期しない費用負担なんていくらでも発生する。
現金はあるに越したことはないと、店舗オーナーとしての先輩でもあるご主人の言葉通り、この時返してくれた現金には助けられた。
パンづくりも、商品販売も、経営も、素人だった俺が、紆余曲折ありながらも、どうにかここまで来られたのは、やはりご主人の存在があってこそだ。
ご主人に育てられた俺と店舗。
その店舗は慈杏を育てた。
子どもの頃から店舗の手伝いをしてくれていた慈杏は、お金を稼ぐと言うことの大切さと大変さ、お金の価値や金銭感覚を、バランスよく身につけてくれていると思っていた。