少年と日々に差した翳り
それからの日々は、とにかく必死だった。
ガビが教えてくれた最後の技術の難易度は高く、実践で使うのを前提とするなら、今週中に身に着け、週末の練習試合で試す。来週中に修正し、再来週を向かえなくてはならない。もうひとつの教えであるコラソンを自分の真ん中に置き、練習の日々を過ごした。試合直前に、登校日があるのが本当にもどかしかった。
「ガビ、今日何時に来れるって言ってたっけ?」
「ここからだと十五分くらいかかるよな。早く行こう」
終業のチャイムと同時に席を立ち、離れた席にいる羽龍に話しかける俺を、担任の先生が少し怪訝な表情で見ていた。
「高天、北村も。ちょっといいか」
「えー! 急いでんだけど」
「ちょっと訊くだけだ。五分で終わる。お前ら、河川敷沿いの廃工場に出入りしているだろ。怒らないから教えてくれ」
言い切られていることに焦りながらも、怒らないという言葉に少し安堵して頷いた。
先生は「やっぱり……」と言いた気な表情をしたので、カマを掛けられたと気づいたが、ここは変に嘘をつかない方が良いと思った。
「はい、工場の方の許可は得ていて、その方が居る時だけ使わせてもらっています。子どもだけで遊んではいません」羽龍が説明した。
「そうか、わかった、ありがとう。先生はお前たちがそこで遊ぶのを悪いとは言わないよ。
でも、ちゃんとお前たちのご両親には話しているか? その工場の方とご両親で会話はしているか?
お前たちに何かあった場合、責任を取るのはその工場の人になるし、ガラスを割るとか、工場に何か損害を与えた場合はお前たちのご両親が責任を取ることになるんだぞ。それに……」
やや言いにくそうに先生は言葉を続けた。
あの工場は日系ブラジル人の二世がブラジルから日本に戻ってきて、先祖の土地を使って開業したらしい。
周囲が農地であったため、土地の汚染に敏感な住人にとって工場は歓迎し難かったこと、日系とはいえ外国からの移民で、言葉も通じにくくコミュニケーションが円滑ではなかったことから、近隣の住人とは決して良好な関係は築けず、揉めたりこそしないが相互不可侵的な関係性だったと聞かされた。
そんな立ち位置なので、だからそこの人たちと関わるなというのではなく、何かあった時にその人たちが周囲から悪い噂を立てられたり、より孤立してしまったりする要因になってしまう可能性があるのだと、よく考えるようにと。
先生の話はもっともだった。
ガビに感謝があるなら、ガビが周りから悪く言われないようにしないと。
親にはサッカーを教えてもらっていることくらいは伝えてあった。親からお礼の品を持たされガビに渡してもいる。ただ、直接会わせてはなかった。
羽龍は引っ越し組で、俺の家は農家の傍流だが親は一般企業の勤め人だった。工場とは距離もあるので、工場やその関係者に対しマイナスのイメージは持っていないだろう。羽龍と話し、一度電話でも良いから会話してもらうことにした。
そして、かかわる人間は少ない方が良いことも再認識した。
学校であまり話題にしてこなかったのは正解だったが、今回のやり取りは同級生に聞かれてしまっていた。
何人かからちょっとした質問攻めにあったが、曖昧な返事でかわしておいた。しかし、ひとりだけなかなか諦めてくれない同級生がいた。
児玉という生徒で、同じサッカーチームに所属していて、俺たちと同じく部活には入らない自主練組だった。
「お前らが急にうまくなったのもそこで練習してるからだろ? 俺も連れてけよ」
「ごめん、あまり広い場所じゃなくてさ。これ以上人数増やせないんだ。でも、土日の練習に特別コーチとして来てくれないか話してみるよ」
羽龍がうまくごまかしてくれた。意外と本気かもしれなかったが。
確かに土日の練習にも来てくれれば、それはそれで良いなと思った。完全な拒否では引き下がってくれなかったと思われる同級生も、それ以上追ってはこなかった。
渋々といった表情からは、納得は得られていないことが良くわかり、心に引っ掛かりを覚えた。