一日目
私は明け方、病院から一旦家へ戻って着替えをとりに向かった。少しでも側にいたくて、温もりを感じたかったけれど、葬儀の準備は進んでいく。病院で仮通夜、今日、本通夜となる。準備をしてから、葬儀の会場へ向かう。朝日が登りはじめる前に、家についた。
電気をつけて、机に置いたままのネイルケアセットを片付ける。
ドラマ、見てないや。
親に電話しなきゃ。あと、会社も、休むって。
携帯の充電も。
「おはよう。もしもし?お母さん。朝早くごめんね。まだ寝てたでしょ?」
『おはよう。早起きだねえ。仕事は今日出張?どうしたの?』
「……」
なんて言えば良いのか、伝えたら、康之が死んだって理解する自分がいる気がして、一瞬ためらった。
「お母さん、康之さん、昨日の夜、会社から事故で、運ばれた。病院に」
『え?事故?大丈夫だったの?入院してるの?』
「…ううん、亡くなったの」
ああ、言った。言ってしまった。言ったそばから昨夜の眠る康之がフラッシュバックされる。信じたくないのに、自分の言葉からでる、冷静な声。
『は?ちょっと待って、お父さん!大変!』
母は私と電話も切らずに父を呼び出し、スピーカーにして話し出す。
『おはよう、あかり。康之さん、いつ?病院に運ばれたって、あかりはまだ病院か?』
お父さんが冷静に聞く。
「昨日の夜、救急車で運ばれて、連絡きたの。今日、通夜だよ」
『なんでもっと早く連絡しないの!』
連絡しなきゃと気づいた時にはすでに3時半を過ぎていたんだ。
「だって、連絡しようって思ったけど、もう夜中だったし、だから朝一で電話したのにぃ」
言いながら泣いてしまった。今は朝の5時。
『わかった。とにかくお母さん達も行くから、今どこね?』
「今ねぇ、アパートに戻ってきたとこ。準備してから通夜と葬儀の会場に行く」
『ちょっと待っときなさい。高速で1時間くらいで着くから』
プチッと電話を切られた。
とりあえずルーティンのようにリモコンでいつもの朝の番組を付ける。番組はまだ始まったばかりだ。
『―――昨夜、▲▲県〇〇市にある工場で、――同市に住む会社員住田康之さん27歳が――警察は業務上過失致死容疑も視野に――』
テレビで全国のニュースで報道されていた。
ラインがピロンと鳴った。こんな時間に。
【朝早くにごめん、同姓同名で不安になって。連絡とれないんだけど、まさかとか思って、連絡してみた】
ラインニュースが添付されている。
高校時代からの共通の友人、康之の大親友。上白石賢人。
仕事、朝早いって言ってたなぁ。既読ついてしまったから、返信しなきゃ。
【うん。康之だよ。信じられないけど。さっき病院から帰ってきた】
返信に既読が付いた時には、ライン電話が鳴り出した。
通話ボタンをスライドさせる。
携帯を持つ手が震える。こんなに携帯重かったかな。
「もしもし、おはよう」
『もしもし、まじで言ってるんだよね?なんで?仕事で?だって、お前ら、来月籍入れるんだろ?式は12月の二週目日曜日、って連絡、まじかよ』
「…そうだよ」
そうだ。両親の顔合わせも終わって、来月に出す婚約届もまだ書いてないけど準備した。式場も予約しているし、指輪も来月にはできる。ああ、キャンセルの連絡しなきゃ。こんな時なのに、仕事みたいに頭が回ってこれからの段取りを考えてしまう。
『高校の同級生と、あとは社会人バレーのメンバーには連絡しておく。通夜と葬儀の会場教えて』
何かこんな感じの内容で事務連絡みたいに淡々と、必要な事だけを話した。ちゃんと覚えていない。が、社会人経験の電話対応でなんとなくできたと思う。
『大丈夫か?いや、大丈夫じゃねえよな。通夜には行くから、いや、俺も動揺してる。嘘だろ』
――嘘じゃない。
「じゃ、通夜で、ね」
ライン電話を切る。
黒のスラックスに白シャツ、黒の上着、あとは喪服セット。結婚したら親戚付き合いもあるし、買っておこうと話して親と決めた喪服だ。こんな為に使うなんて。皮肉でしかない。
準備をしている間にもグループラインで連絡が入ってくる。結婚式に来てくれる予定だった人たち。
会社へも連絡しなきゃ。とりあえず村田部長に報告だ。
もうすぐ6時、たぶんもう起きているはずだ。
「おはようございます。すみません、朝早くに」
『おはようございます。大丈夫ですよ。何かありました?』
いつもより張りのない。穏やかな声。叱る時と穏やかに戯ける時のメリハリがあるベテランの建築士だ。
「はい。今日と明日、急ですがお休みをいただけないでしょうか?結婚予定の婚約者、を、が?昨夜、事故で亡くなって、すみません」
もう、自分のことを説明するのにもよくわからなくなっている。声が震えているのに気づかれてしまうだろうか、涙を堪えなきゃ、
『え?ちょっと、待って、このニュースってもしかして…東村さんの婚約者?』
招待状を送る前に、入籍後の名字も報告もしているからもちろん知っている。年の功なのか、すぐに状況を把握したようで
『お休み承知しました。職場の人にも伝えておきます。あー、土日は休みで月曜日から出社で大丈夫?』
「はい。明日のミーティング、自分がメインだったんですが、すみません。よろしくおねがいします」
電話を切って今日の占いが始まるころ、ちょうどインターホンが鳴った。
「おはよう。お母さん達も荷物色々ここに持ってきたけど、大丈夫?あと、おにぎり、コンビニで買ってきた」
「ありがとう。車で食べるね」
「…行こうか」
お父さんの運転する車で出かける。
「婚約者だから、籍をいれていないから、親族のところには座らせてもらえないかもしれないな」
「そうかもね。でも、生きてるうちに会えたよ。死に際に一緒にいられたんだよ」
電話があって病院へ向かったことを話す。窓の外はもう朝の渋滞が始まっているようだ。後部座席でお母さんは、私の手をさすったり、握り締めたりしている。
会場は私のアパートから三十分くらいのところだった。
康之はすでに親族控え室に真っ白な布団で寝かされていた。
ドライアイスで身体を冷やしているそうで、すでに冷たくなっていた。薄化粧されたのか、怪我のガーゼは無く、穏やかな自然な笑みで眠っているように感じる。
―――わかってる。通夜の後は葬儀でその後火葬。あと少しで二度と会えなくなる別れがやってくる。
忘れられるわけがないけど、ずっと覚えておきたいんだ。側にいたい。離れたくないよ。無理だよ。
穏やかに、眠る康之を見ながら手を握る。もう、固くて冷たい。この手のひらも、もう触れることができなくなる。
「お姉ちゃん?泣かないで?やす兄ちゃん寝てるだけだよー」
康之のお姉さんの子供、ゆかちゃんが私をよしよししてくれる。
その間、鳴り止まない康之の携帯電話。知っている人や式に出てくださる方で覚えている人は私が対応した。
もちろん私の携帯にも知り合いからどんどん連絡がくる。
お昼を過ぎると、通夜の準備で棺に入れられていく。
通夜の席は康之さんのお母さんの隣に座らせてもらえることになった。親族にはすでに式を挙げることを伝えていたわけだし。喪服を着るために、親族控え室へ向かう。
その日、事故は大々的に伝えられた。もちろん、会社で起こった事故だ。名前も年齢も、起こった場所も、どうやって亡くなったかも全て報道された。原因究明、再発防止に向けて警察も含めて捜査中の報道もされた。労災で書類送検なのだろうか。
通夜が始まった。記者もきている。こういう時、婚約者がいて、ドラマみたいってお涙頂戴があるけど、実際にその立場になるとは思っていなかった。
「おつかれさま。なんて声かけていいかわかんねぇよ」
「やすが、、、何でだよ」
「…連勤で疲れて作業ミスもあったそうよ」
―――通夜の儀式が済んだあとは挨拶が続く。クーラーのきいた葬儀場へ外気が入ってくる。今夜も熱帯夜らしい。
「こんばんは。遅くなりました。東村さん?」
朝連絡をした村田部長も仕事上がりの姿で来訪された。鏑木主任も一緒だ。
「村田部長、鏑木主任、ありがとうございます」
「婚約者の顔を見てもいいですか?」
「…はい」
本当は結婚式で見るはずでしたね。まただ。近づくたびに涙が出る。もう、枯れるほど泣いていると思うのに。来訪者の対応で棺に近づかない時はきちんと対応しようとして涙は止まっている。たまにこうやって棺に近づいてしまうと涙が止まらない。ちゃんと顔を見なきゃ、お別れなのに。そう思うと尚更涙で見えなくなる。
あの時ガーゼで覆われていた頬は化粧できれいに修復されている。自然になるように紅を挿し、微笑んでいるように見える。
―やすくん。私の話していた尊敬してる上司だよ。
「この度は、ご子息ご逝去の報、お悔やみ申し上げます」
部長たちは康之の両親へ挨拶する。お悔やみ、だ。




